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『言葉で遊ぶ』に没頭できる、離れがたく魅力的な場所【おとなの寺子屋・参加者の声 Vol.8】

【ゆる物書きサロン、おとなになった文系女子&男子のたまり場、遊んで学べる文章ジム、こと「おとなの寺子屋〜文章教室〜」は一緒に学ぶ仲間を募集中です! 次回体験会は、2月12日(土)に開催!!】

おとなの寺子屋に初めて参加される方は、参加無料です。どうぞお試し体験にいらしてください!

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さてさて。

そもそもの話、「おとなの寺子屋」ってどういうところ?

参加したいけど、ちょっと尻込みするよ。

そういう方のために、寺子屋のメンバーのひとりである「河野木綿子」さんが、寺子屋の紹介文を書いてくれました! ありがとうございます!!

河野さんは、仕事の英語パーソナルトレーナーとして活躍されている方です。ですが寺子屋では、お仕事のライティングとはまったく別の、「書く」ことの愉しみを感じられているようです。

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半年ほど前にSNSで「おとなの寺子屋」の記事が流れてきた。「寺子屋」という言葉を見た途端に子供が3人、長机に向かってそろばんやお習字をしている絵が浮かんだ。

でも、それを大人がやっているとしたら面白いよね。と思って申し込んだのが参加したきっかけだ。

「落語、英語、国語」と自分が好きなものを並べたら三つの「語」が並ぶ。

落語大好き歴は、既に四半世紀以上だし、英語はビジネスコミュニケーション術を生業にしている。では国語とのお付き合いは?ということを「おとなの寺子屋」の好きなところと絡めて書いてみたい。

なぜ今、オンラインで有料のイベントに時間を費やして満足して続いているのかというと、言葉で遊ぶ楽しさを味わってしまったからだ。大人になってからは初めての経験。

もともと「国語」の成績は小学校から大学までずっとよかった。でも好きな本を読む以外の国語は受験や課題でよい成績を取るための手段だった。さらに個人事業主として仕事を始めてから集客のためのSNS、ブログ、メルマガ投稿はすでに8年近くやっている。本も2冊出した。振り返れば言葉はずっと手段になってしまっていた。

そんな日常の中で「おとなの寺子屋」(以下、寺子屋)に参加し始めて初めて気づいたのがここは言葉で遊べるし、楽しい!ということだ。

子供のころは言葉で遊ぶ機会はたくさんあった。たとえば、学校の帰り道にした看板の逆さま読み。看板を後ろから読み上げて大笑いする。たばこ→こばた。こぐまや→やまぐこ。

家族でやった百人一首、高校の英語の授業中にはスクラブルというスペルを使ったゲーム。

そんな遊びを大人バージョンで毎回テーマや手段を決めて大の大人が真剣にやる。それが「寺子屋」の魅力のひとつ。

「遊ぶ」というと何かいい加減みたいな感じに聞こえるかもしれないけれど、ここでは全く逆。みんな真剣に参加している。全力で言葉をいじり、いじった言葉をじっくり鑑賞する。そういう人がここには集まっている。

参加することで気が付いたのは、自分が漠然と感じていること、思っていることを格闘技のように試行錯誤・七転八倒して言葉にしていくのはすごく楽しいということ。楽じゃないけど面白い。

それは、子供のころ少し値段が高い複雑なプラモデルを、ひとりで組立てて完成した時の満足感と似ている(ちなみに私が小学校3年生くらいの時に挑戦したのは、TAMIYAの戦車のプラモデル。出来上がってから車体に迷彩色のステッカーを貼るものだった)。

寺子屋で自分が言葉にした伝えたい気持ちや感情が上手く相手に伝わったところで何か形のある成果になるわけではないけれど、得られる満足感がハンパない。

普段の生活でお金を払う目的は「いい思いをしたい」か「苦痛から逃れたい」のどちらかだと思うけれど、その結果手に入れたいのは満足感。

いっぽう、寺子屋で言葉をこねくりまわして、相手に伝わったときの快感は、私にとってお金を払って手に入れる満足感以上のものだ。

寺子屋に参加して、思いがけずに初めて体験できてしまったことがある。

俳句だ。

俳句については「五、七、五のあれでしょ?」というレベルで、大好きな噺家、柳家小三治師匠、入船亭船橋師匠が「東京やなぎ句会」という句会を何十年も続けていたことは知っている。でもその「俳句」を今、私も作るんですか???と腰が引けた。でも今、逃げると一生やらないかも?と思い直して参加した。

季語を重ねるのは野暮、とのこと。おお、ヤボはイヤだよ。と思いながら私が作ったのは

「日が暮れて インコ寝かして ひとり酒」

自分の生活を詠んで楽しかった。

もちろん、誰からもけなされない。でも、感想はもらえる。

寺子屋には今はやりの言葉でいうところの「心理的安全性」があるのだ。

寺子屋では、仲間との言葉遊びともうひとつ大きなお楽しみがある。

それは言葉をこねくり回して遊んだ後で五百田さんから課題が出ること。その日にやった講義と関連のあるお題の文章を、期日までに提出すると丁寧なコメントをもらえる。

五百田さんは知る人ぞ知るベストセラー作家だ。その五百田さんが、今までだれも指摘してくれたことのない私の文章のクセを、辛抱強く何度も指摘してくれる。ベストセラー作家に直々に言ってもらえるってなんてことは普通はない。

学生時代も今でも他人様は良い事だけ言ってくださるけど、ここでは容赦なく添削してくださるので「プロの物書きの方ってそういう見方ができるのね」という感動がある。

自分が書いたものだけじゃなく、他のメンバーが書いたもの(メンバー内で共有される)から気づくことも多い。

私のクセは、熱烈に何かを書き上げていても最後の一瞬でまったく他のことに話が外れてしまうということだ。

「最後まで熱いままで終わったほうがいいのに」。

そうか、そうだったのか、と目から鱗だ。きっとね、熱くなったままの自分が少し恥ずかしくなって横道に反れるのかもしれない。そんなことも気づいたりもしている。

もしかすると寺小屋での学び、気付きが私の中にじわじわと沁み込んできて、私の文章が今より良くなるかもしれない。もしそうならなかったとしても充分に楽しい。

様々な仕事や年代の方たちと「言葉で遊ぶ」に没頭できる時間と空間は、私にとって離れがたく魅力的な場所だ。

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