いおろ丸 ioromaru

日記の整理箱に使っています。 が、見ていただけたら嬉しいです🌟

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最近の記事

    • “とき”に向かって

      3月に入ると、やはり気になるのは桜。 今年の桜は、いつ頃咲きだすのか……。 蕾を蓄えた枝をあちこちで見上げて歩く。 桜の枝はまだ寒々しく見えるけれど、開花の“とき”を控えたこの時期が、季節で一番充実した「木の“とき”」なのではないかと思えてくる。 咲き誇る華やかな季節を前に、桜の木は着々と黙々と“とき”に向かう。 たとえば、成果や結果に行き着く道の途中は、うまく進められなかったり、ダメなんじゃないかと思ったり。 それが、あとひと踏ん張り、とにかくやるしかない時期に入ると、

      • 桜並木と梅の花 ~花咲きのとき~

        川沿いの桜並木は、まだ寒々しい景色。 だんまりの蕾たちは、 “花咲きのとき”に向かって静かな準備を重ねているのだろう。 ひと足早く“とき”を迎えた梅は、日ごと華やかさを増している。 季節が桜に舞台を移す前に、梅の華やぎに春を見る。 ≪🐠130301📒240301≫

        • 後ろ姿

          踏切の音には、わりと敏感なほう。 遠くで鳴っているのが耳に届いて「ちっ!」と思うのは、その場に駆けつけられないから。 今日は近くを歩いていたので、慌てて走った。 なぜ、慌てるのか……、何で。 せっかくなら、会いたいから。 私は“テツ”ではないが、鉄道車両を見ると興奮する。 とくにディーゼルが好きだ。 走ったけど、 やや興奮していたのもあってカメラを出すのが遅かった。 遠ざかるディーゼルの後ろ姿に「ばいばい」しながら、ようやく一枚。 やはり一度、このディーゼルの全区

        マガジン

        • 生活の画
          9本
        • 歩いています。
          13本
        • 魚の庭
          28本
        • 単に日記、綴りごと
          20本
        • 魚の頭
          9本
        • お陽さまコレクション
          6本

        記事

          銀杏日和

          都心の黄葉といえば、神宮外苑の銀杏並木が知られるところだが、私にとっては靖国さん。 春の桜の時期より断然、黄葉の時期がいい。 新しい葉が毎日降り積もる参道脇。 黄色で埋め尽くされた落葉の中に入るのは、深雪に足を踏み入れるときに似た楽しさがある。 好天の日の昼どきなどは、当たり一面が眩しくて、黄金色の光に包まれた贅沢な気分になってしまう。 神宮外苑より知られていないおかげで、あまり人がこぞってやって来ないのもいい。 ゆったり黄金色の世界に浸り、カメラを構える人たちも、それぞ

          気色悪さの痕跡

          二十代半ばに一人暮らしを始めた頃、日記帳を買って付け始めたことがあった。 が、三日続けて書いたためしがない。 書きたい日だけ書けばいいや、とすると半年くらい何も書かなくなる。 こりゃ、いかん! と心機一転しても、元の木阿弥でちっともページが進まない。 そのうち半年どころか5~6年ほったらかしにして、また気持ち新たに書き始めるが例によって続かない。 引き出しの整理の折に昔の日記帳を見つけて呆れた。 書いてあることと言ったら、  よし、頑張ろう。  頑張るぞ!  頑張る、

          気色悪さの痕跡

          神さまの計らいによる

          寿司屋と焼き肉屋さんは、金額の予測がつかない。 自分で支払うことがあまりないのもあって、店によって値段のレベルも違うし、食事をしながら「今、いくらくらい」の感覚が持てない。 ある日、友人と、仕事場の近くにある焼き肉屋さんに行ってみようという話になった。 近所だが、高いのか安いのか分からない。 友人とは、「一度、行ってみたい」という点で意見が一致して、 「カード使えるでしょ」 「だよね」 「(カードが)ダメなら、一万円札あるし」 といっても、そのときは最後の砦に近い一万円札だ

          神さまの計らいによる

          土俵に乗る

          「同じ土俵に立つな」とか、「同じ土俵に上がるな」とか、 愚かしい(低い)レベルでやり合うのは賢明ではないとは、よく言われること。 諍いをけしかけられて、それに乗ってやり合ってしまえば相手と同じレベルだと。 とはいえ、 「土俵に乗る(立つ)」ほうがいい場合もある。 「乗らない」という選択もあれば、「乗ったほうがいい」場合もあるのだ。 だって、その土俵、自分のために用意された土俵だから。 大抵の場合、自分の前に現れる土俵は自分にとってめんどくさいもの。 そのめんどくささを、さ

          青い宝石とのひととき

          ウォーキングで川沿いを歩いていると、 輝く青いものが視界に入った。 カワセミだ。    幾度かカワセミが飛んでいるのを見たことがある。 ただ、あの鳥はすばしっこくて、 すぐに竹藪や木々に茂みに飛び込んでいなくなってしまう。 なのに、この日は、 枝に留まったまま逃げもしないでいてくれるではないか。    すごいシャッターチャンスをくれたというのに、 「わ、カワセミ、カワセミ……」 興奮してカメラを持つ手が定まらない。    カワセミが留まっている枝までの距離もあって、 私のカメ

          青い宝石とのひととき

          道端マリアージュ

          都心では、 鉢植えやプランターの花や緑を、店先や建物に沿って置いている光景をよく見かける。 道幅の狭い路地裏に入ると、道の両側が鉢植えだらけ。 人は植物を欲するものなのだなあ、とつくづく思う。 コスモスでさえ鉢植えの都心と違って、ほどよく田舎の“町”では、鉢植えやプランター植えは駅周辺ぐらいのもの。ほとんど見かけない。 空き地では勝手に生えて育ってるし、植えようと思えば土に植えられる。 そんなことに感心しながら歩いていると、道路沿いに「小菊のマリアージュ」。 丁寧に植えら

          道端マリアージュ

          秋の眩しさ

          11月の陽射しは一段と眩しく、 視界を独特な輝きに映す、 秋。 緩く柔らかい波長の中で、 緑も花も色を鎮め、 さわさわ動く瞬間を、 スローモーションに変えて記憶に焼き付ける。 カメラで切り撮った瞬間が、 いつか懐かしく、愛しい記憶になるのかと思うと、 寂しさの影に取り込まれそうになるけれど、 陽射しの眩しさが、陥りそうな気持ちを救い上げ、 温かさの中に呼び戻す。 秋の眩しさ、独特の輝きは、 一年のうちでもっとも美しい。 とは、近頃の私の世界でのこと。 真夏日が好きで、

          何かいいもの、何かいいこと

          「何か、きれいなものが見たいなあ」 そんな言葉が口を突いて、 小一時間のウォーキングに出ると、 夕陽タイムに遭遇。 陽を映す川面に、金の光が湧きあがって立ちのぼる。 「何か」は、出くわしてみないと何なのか分からない。 「何か面白いこと」の「何か」も、そう。 「何かいいこと」の「何か」も、 見つけてみないと分からない。 で、その「何か」に期待して、 生きてる感じ。 ≪🐡14*1027📒231027≫   

          何かいいもの、何かいいこと

          神様の眺め

          「(自分の)内側が、(現実として)外側に現れている」 としてもよ、神頼みしたくなるときはある。 「自分の内を整えることが大事」 と知ってはいても、そこに神様がいたら、お願いしてみてもいいじゃない。 数か月前、仕事の時間調整で立ち寄った神社さん。 人がいない静かな境内をぶらぶらしているうちに、ふと「言っちゃおうかな」という気になって、拝殿の前で手を合わせながら話した。 神様に話すときは、まず、 「○○から来た(○○に住んでいる)●●●●(姓名)です」と言うといいと以前に教

          奇数の気持ち

          先日呼ばれた飲み会の場に区立中学の先生がいらして、ある生徒さんの話になった。中学三年生にして彼の九九は「シチシチ シジュウハチ」なのだとか。 「惜しい!」 その場にいた二人が声をあげた。 『近いけど、違う』と私は自分の中で呟いていた。 本当は惜しいも近いもなく、その生徒さんは覚え違いをしているだけ。単に歌詞を間違えて覚えてしまったようなものなのだ。と自分の結論付けをしたあと、九九のことをあれこれ考え始めていた。 九九に頭を乗っ取られたも同然、帰ってきてからも検証したりして、

          残暑ブルーのピリオド

          いつになく炎天下を歩き回った今年の夏。 靖国さんに北の丸公園、ご近所を一回りと、10分、20分の散歩を日に幾度も繰り返した。 仕事場の窓から陽の眩しさを見ると、どうにもこうにも外へ出たくてたまらなくなる。 梅雨前に買っておいた日焼け止めなどすっかり忘れて、日焼けたくましい体になってしまった。 毎日、陽を浴びて肌をさらしていると、体が自然の変化を敏感に受けとめているのが分かる。 陽射しの弱まり、風の変わりよう、蝉時雨の響き。 8月のはじめ、蝉の大合唱の下で緩い風に吹かれてい

          残暑ブルーのピリオド

          車とおじさんと夏休み、そして脱皮

          事務所の前で、ラジオ体操のごとく伸びをしては腕を広げ、深呼吸を繰り返ししていたら、車がすーっと来て止まった。 一瞬、緊張。 「知らない人に声をかけられても、ついて行っちゃダメよ。  車に乗せてあげると言われても、絶対に乗ったらダメよ。  アイスクリームやお菓子をくれると言われても、もらったらダメなんだからね」 外へ行こうとするたびに、しつこくしつこく母親に言われた夏。 あの日、おじさんは「車に乗せてあげる」とは言わなかった。「幼稚園は、どこ?」と訊いてきたのだ。 知ってる

          車とおじさんと夏休み、そして脱皮