質問しない代わりに付き合う

質問するということは非常に重要で、特に僕が教員として尊敬するハーバードの教授だった故クリス・クリステンセン教授の言葉を借りると、「正しいタイミングにおける正しい質問」は集団・個人を問わず進行する会話の中で大きな意味を持ちます。クリステンセン教授は質問を「個々の発見を促すもの」と定義していますが、同席している人間にもその発見は波及していくことですから、集団の中での「正しい質問」はあらゆるシーンにおいて極力する方が良いと僕は考えています。

しかしながら、良くも悪くも「質問」というものは「時を飛ばす」役割を持っていることも注目したいところです。例えば非常に日常的な会話の中に登場する「今夜何を食べたい?」という質問を考えてみます。

これはその相手と朝から日中を共にして、夕方が過ぎ、そろそろ夕食の時間帯だなという頃に「その人が何を食べたいか」を自分で推測するという工程をスキップする力を持っています。朝の段階で意見を受け取れるのですからこちらとしては一日を共にしなくともおおよその予定が立てられます。しかし本当の意味で自分が夕飯に何が食べたいかなんて、夜になってみないとわからない、というのも真ではないでしょうか。よく忙しい人はそういった未定の状態を「ノープラン」と呼びますが、ノープランには少し否定的なニュワンスがにじみ出ています。あらかじめ分かっていないと出方がわからないじゃないか、ということだと思います。でもそれはあくまでも相手の意思の開示が前提で、必ずしも能動的に決めているわけではないんですね。

僕は最近、実は質問を極力しないようにしています。クリステンセン教授の教えはどこへ行ってしまったのでしょう?(←これは質問ではなく修辞疑問文) 

でも実はあらゆる質問は基本的に人と関わりあう中で生まれるわけですから、質問をする代わりに色々な話をして、こちらが質問したかったことを相手の言動から自主的に発見していく方が楽しいなと思っているんです。

例えば禁酒に成功した人がいるとします。どうやってお酒を断つことに成功したのかを聞けば答えは返ってくるかもしれませんが、その人と例えば一日過ごしたら、その人がお酒を絶ったのちの人生をどう生きているかがわかります。だから質問しなくても、回答が目撃できるんですね。自分自身がどのようにすればいいかもわかります。不謹慎な話ですが、醤油飲み競争なるものがかつてあったらしく、あるところに出るたびに必ず優勝する人がいたようです。いつも二番手だった人が何としても勝ちたかったので、この優勝する人が何をしているのかをこっそり追跡してみることにしました。するとその勝者は醤油飲み競争の後、決まって毎回大量の豆腐を食べていたことに気づきます。そこで彼はある時その豆腐をこっそり試合の前に隠してしまったら、その人は命を落としてしまい(高ナトリウム血症)、二番手だったその選手には以後ライバルがいなくなった。。。という恐ろしい話です。

それはもはや犯罪の領域ですが、要するに何かを知りたければその人に聞かずとも、その人と時間を過ごす中でそのエッセンスは学べると言うことができます。もっと言うと、本来それほどまで知りたいことは、そこまでやって、初めて知るべきではないかという一つの美学があるように僕は思ったりもします。そしてもちろんのことですが、そこまでして知りたくないものは自分で調べればいいのです。

最後に、「欧米の人間は積極的に質問して良い」ということがよく日本で言われます。特にアメリカはそういう文化を持っています。僕もその文化が良いと考える人間の一人です。なぜなら僕は教員もやりますので、教えている人間から質問が来ると単純にその積極性を見ていて嬉しいからです。しかしながら、アメリカ人の積極的な質問はある意味で振り幅がスゴイです。僕の大学にハリウッドで女優をしている卒業生がお話をしに来てくれたことがあります。彼女からの発表があって、その後Q & Aがありました。その際にもちろんいろんな手が次々上がるのですが、「ハリウッドで俳優になるためにはいくらお金を持っていけばいいですか」という類の質問を堂々としている学生もいるんですよ。「持って行きたいだけ持っていけばいいやん?」という話ではないですか。僕はですからアメリカの文化が質問に積極的でよろしいという考えがある一方で、「何でもかんでも聞きゃいいってもんじゃないぜ」という類もたくさん見てきました。良いとすれば、積極的に疑問を投げかけ、且つそれ以上に自分自身で積極的に解を導き出す努力をしている場合だと思いますが、そこまでいけばもはやどこの文化という話ではなく「そういう生き方、在り方」の話ですから、全世界共通だと思います。

調べられることは自分で調べる。そしてエッセンスを知りたい、と思う対象がいたならば、その人と話してみるとか、その人と働いてみるとか、何かしら接点を生み出して身近で「答え」を目撃してみると、案外質問はいらないんじゃないかということを書き綴ってみましたが、ぜひ夫婦、恋人、友人と練習してみてください。まず、今度の休みに相手が何をしたいと思っているか、「今度の休みは何がしたい?」と聞かずに解を導き出してみてください。僕はそっちの方が楽しいからそうしています。

( 文・西澤伊織 / 画像・もりおさん )



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