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頭をめぐる、想いなど

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西澤伊織の今日、考えたこと
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#暮らし

タバコと宗教

一般常識に則った場合、見えないものの力を信じる様な言及をする際、一般的には前置きが必要になってきます。 例えば「私はアカデミックな人間ですが、この様なご縁は本当に神の計らいだなと思いました」などの前半の部分です。何かの偶然を自分が勝手に神に感謝するのならば、「私はアカデミックだが」、は本来は不要です。それでもやはり人と話す際はその前置きは必要になります。どうしてでしょうか?これは「私はアカデミックという事実に裏付けられたものを対象とする仕事に携わる、物事の分析を極めて公平か

noteって、相手に直接話しかけたい時どうすればいいの?

僕はブログ歴でいうとmixi上がりの人間です。ほぼ同時期にfacebookが当時アメリカの大学支給のメールアドレスを持つ学生だけ登録できるようになり、僕は当時学生でアメリカにいたのでmixiを日本語で、facebookを英語でやってました。やがてfacebookは教員、そのあと一般に開放され、アメリカではそれまで主流だった"myspace"なるものがオワコン化してきて、やがて日本でもmixiがオワコン化して、僕もfacebookだけにしばらくしていましたが、その当時「フォロワ

雨×Uberいない、は豊かな国の証拠では(笑)

今年になって車のコーティングをしまして、非常に気持ちがいいです。僕のシティーコミューターもスポーツカーもコーティングをする上での車体のクラスはSサイズ。旧車の小さなミニクーパーなんかはSSサイズらしいですが、それの1つ上のサイズです。 愛車のコーティングをする方、きっと結構いらっしゃると思うんですがやってないという方のために触れますと、まずコーティングをすると雨の日に雨がボディの上で球になるんですね。で、走ると風で後ろにコロコロと転がっていってくれます。車庫の中に入れた後も

僕は箱の愛好家

先ほど会社の倉庫にいた時、会社のすべての持ち物が倉庫という箱の中に入っているなと思いました。今はスペースの関係上、外の駐車場に停めてある僕の所有する年代物の車もかつては同じ倉庫の中に長年保管されていました。 箱というのはおそらくもう、うんと昔に発明されたのだと思いますが、今に至るまであまり形を変えていません。デザインでたまに(バレンタインの時期など)ハート形とかの箱もありますが、基本的に箱といえば長方形です。ものを収納するにおいて、長方形の箱はおそらく合理性の究極を具現化し

ネットの世界の動画の危険

ネットが今ほど生活に浸透していなかった頃、人々は何に憧れていたかというと、映画の中の世界や、雑誌の中の世界でした。映画と雑誌に共通することはそれらを「被写体をキャスティングして撮影する」ことです。俳優やモデルを撮影するということはそこに撮影中だけ架空の世界を作り上げるということで、それらは必ずしも観客や読者の生活や現実とは結びついていませんでした。 例えば映画の世界の中に出てこないのは(そして雑誌に絶対出てこない)、「登場人物の自宅のトイレ」です。前述した通り映画の世界は架

読書は自分のためでもあるけれど

今日の午後、西荻窪の駅前で長年文房具店を営んでいらっしゃる奥様とお話ができました。その奥様は元々鎌倉出身だったので、 「そういえば、小川糸さんのツバキ文具店という小説をお読みになったことはありますか」 と伺いました。小説・「ツバキ文具店」は鎌倉で文房具店を継いだ若い女性の物語だからです。 「いいえ、まだ読んでいません。でもきっと読みますからもう一度本の名前をおっしゃって」とメモ用紙を渡してくださいました。 可愛らしい木の年輪のプリントが施されたブロックメモに本の名前を

お客様がいらっしゃる家

現代の日本の住宅から消えたのは客間だと言われています。スペースが自ずと限られる都会生活では致し方ないという実状もあるかも知れません。 ちなみに「百科事典が最も売れたのは日本に客間があった時代まで」と言われています。読むかどうかは別として、ドカッと立派な本を客間に飾る人たちが昔はいたわけです。どうしていたのか?それは当時の住宅の間取りに関係があると推察してゆくことが出来ます。 これまで近代日本の住宅のデザインは居住スペースである複数の和室に対し、洋室の客間一部屋でした。しか

自分の持ち物は自分の家来

ちょっと極端な語り口ですが僕の考えでは全ての持ち物は家来です。中世とちがうことは、中世では家来は人でした。現代社会で誰かを家来と呼べば怒られます。当たり前のことですね。 持ち物が「家来」とはどういうことか、説明します。 僕はこれまでも少しずつこのnoteで自分の愛用している大切な品々を紹介してきました。紛れもなく昔からもう何年も日々共にあらゆる作業をしてきた仲です。でも僕はこれらのものに愛着はあれど決して自分と対等だとも、自分より崇高だとも思いません。これらのものは全て僕

バナナハンター;グラニースミスの思い出

市場でバナナなんかが売っていたりすると、「もし自分が店員だったら、傷んでいるバナナをどこに置き、まだ日持ちしそうなバナナをどこに隠すだろう?」なんてコトをついつい考えてしまい、ひな壇4段くらいに渡ってディスプレイされている無口なバナナたちをジロジロと見てしまう。 この時もちろん、発見したいと思っているのは日持ちするバナナだ。これは今現在、家族と離れて一人で暮らしているために、食材の消費のスピードが遅いからという理由が挙げられる。 一方で、一人で暮らしたにも関わらず、アメリ

幼い僕は 蟻を見ていた 【ぺんのおばさんの思い出】

蟻の行列は幼い僕にとって非常に不思議な存在だった。基本的に、蟻たちの姿は同じに見える。幼いながら、きっと何かしら個体差は存在するのだろうけど、見分けがつかないな、と考えていた。 幼稚園の頃、新しい家が建つまでの期間、祖父母のもとを離れて両親と過ごした借家がある。それは昔有名なある建築家の事務所が手がけたものだという木造2階建ての戸建てだったが、発想としては今も建売住宅でよく見るような、隣にもほぼ同じデザインの家が3軒並んでいるうちの真ん中に建つ家だった。 玄関には一軒一軒

あぁ、どうかお元気で

冬至を越えて、少し暖かくなるのだろうか。それともそんなことはなく、厳しい寒さはまだまだ続くのかもしれない。でも今日の朝はいつもより太陽の光が暖かかく、紅茶を淹れてベランダで飲めた程だった。 ベランダから陽に照らされた町に目をやる。コートを脱いだ人たちがポツリポツリ通り過ぎてゆく年の瀬の道。ひとりの杖をついて歩いてゆく帽子をかぶった老人の後ろ姿があった。 「あの人は。。いや、違ったか。。」 一瞬の期待に胸を躍らせたが、人違いだったようだ。 仕事場を借りたばかりの頃、よく

窓のそば、丁寧な自分

サンフランシスコを旅した際、道向かいの建物を見上げて道ゆく人が立ち止まったり、クスクス笑ったりしていたので、どうしたのかなと思って自分もそちらに目をやると、なんと全裸の人たちが窓辺で愛し合っていた。後にも先にもそれ一回だが、そんな場面に遭遇したことがある。 僕は現在、窓辺の背の高いデスクにコンピューターを置いて仕事をしている。この記事もちなみに同じ場所で書いている。高いデスクを利用している理由は、20代の初め、同じ仕事を座りっぱなしで長時間行ったために首や腰が痛くなってしま

キッチンをインスピレーションに

この冬は例年以上に仕事部屋のキッチンによく立っています。 以前はほとんど外食していましたが、特にこの1ヶ月ほどは、全く外で食べずにキッチンを活用しています。 コーヒーメーカー、フレンチプレスも大活躍です。 キッチンキャビネットにはお皿やカトラリー、調理器具も収納しているので、毎日三度の食事はこのキッチンを使います。 料理をしている間も考え事は続けられますが、食器や調理器具を手洗いしている時、色々なアイデアが浮かんできます。 食後に紅茶やコーヒーを淹れて一休みするのも

インスタの書き方を変えてしまって思ったこと

僕はブラックベリーを長年愛用していて、ご存知の方いらっしゃると思うんですが、ブラックベリーは物理キーボードを搭載したスマートフォンなので、2千文字入力とかがとても簡単なんです。夜仕事から帰ってきて、駐車場に入ってエンジンを切った車の中でよく長文を書いていました。 なのでnote開設まではインスタグラムをまるでnoteのように使っていたのですが、noteに引っ越して以来、僕なりに器用ぶって棲み分けようと、インスタグラムの方の投稿をちょっと『自分の頭の中の「みんながやってそうな