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ネットの世界の動画の危険

ネットが今ほど生活に浸透していなかった頃、人々は何に憧れていたかというと、映画の中の世界や、雑誌の中の世界でした。映画と雑誌に共通することはそれらを「被写体をキャスティングして撮影する」ことです。俳優やモデルを撮影するということはそこに撮影中だけ架空の世界を作り上げるということで、それらは必ずしも観客や読者の生活や現実とは結びついていませんでした。

例えば映画の世界の中に出てこないのは(そして雑誌に絶対出てこない)、「登場人物の自宅のトイレ」です。前述した通り映画の世界は架空の世界なので、現実的な空間は排除されます。それは架空の世界にわざわざ映さなくてもいいものだからです。もしかすると「そう言われてみればそうだな」と思われるかもしれません。しかし少し変な言い方かもしれませんが私たちは観ているものの中に映っていないものを観ていないということは無意識の中で理解していました。

ネットが普及していくことで、特にブログや動画が普及していく中で変化してきたこととして、その文章や写真、動画に登場する人物が架空の人物ではなくなってきたということが挙げられます。僕は少なからずこの変化に対して危機感を持っています。これはこの何やら魅力的な世界がどうやら我々の暮らす現実の世界の中にあるのだということを示唆するものだからです。架空でない人物が演出の効いた、現実世界と切り離された世界の中の人物たちと同じだけの注目を受けようとするとどうなるでしょうか。彼らは現実の世界の中で、例えばとんでもないお金の使い方をするわけです。僕は車が好きなので、youtubeなどで車のチャンネルを視聴しますが、必ずと言っていいほど関連動画のおすすめ欄に誰かが「爆買い」もびっくりな金にものを言わせた買い方でスーパーカーを買って乗っている動画らしきものが出てきます(サムネイルに値段が書かれていたり)。本来スーパーカーというのは見せびらかすものではなく、せいぜいガレージの中で自分だけが同じように車が好きな人間と、眺めたりしながら楽しむものでした(そして交通量の少ない早朝・夜間に高速を走る)。クラッシックカークラブのミーティングが必ず早朝で切り上げるのも同じ理由からです。

それが「値段が数千万で一括購入した〜」、という観点からほとんどお金(持ち)の話になってしまうと、申し訳ないけれども僕は本当に見苦しく思います。良い車は必ずしもそれを買わないであろう人間の眼の前に持って行ったところでただの自慢や見せびらかしにしかならず、(そもそも乗ってる人としか、本来話の合わない趣味なんですが)その行為によって別に当の本人はいくらも賢くならないのです。

僕は残念ながら昨今の見せびらかし動画が人気を集める風潮は文化的には非常に衰退してネタが切れているように見えて、全く新鮮に思うこともなければ、同じ日本人として誇らしく思えることもありません。さらにいうと、車好きな人間からしたら元々のブランドの価値が下がるのでやめてほしいと願うほどです(特にお願いだから名門アストンマーティンでやらないでほしい...せいぜいF社やL社、R社の車だけでやっててほしい...)。

冒頭の話に少し戻ると、架空の世界の物語の構成にはルールがあります。当たり前の話ですが、映画の中の登場人物は絶対にランボルギーニが「お値段いくら」という話はしません。それは映画や雑誌の中の世界で言ってみれば「自宅のトイレ」にあたる部分なんです。要するに僕はyoutubeのおすすめ動画に「自宅のトイレ番組」がやたらと出てくることに萎えているわけですね。

僕は10年ほどもうテレビを持っていないので昨今のTVチャンネルの放送内容をあまり知りませんが、テレビ離れが騒がれる原因の一つには「架空の世界」を供給し切れず「自宅のトイレ」ネタが増えてきたことも大いに関係しているだろうと考えています。そこに人々が憧れるような架空の世界が観られなくなったらあんな液晶板を眺める必要がなくなってきますから、ネットに繋いで動画を見て完結してしまうのでしょう。そしてそこでまたトイレを観て。。。そしてトイレネタがたまに炎上しているんですから、なかなか世の中は少しよろしくないと思います。


( 文・西澤伊織 / 写真・kentauroshappyさん )

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