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「情報弱者」が「お金持ち」になることもある

SNSを見ていると、ときどき『情報弱者』もしくは略して『情弱』という言葉を見かける。

使用用途としては、自虐や揶揄などいろいろな目的があるけど、おおまかな意味としては『他の人が知っているのに、その人はとある情報について知らいないので、損をしている状況』を指す。

それで、この言葉は『情報”弱”者=貧乏人』『情報”強”者=お金持ち』という図式によく当てはめられがちなんだけど、それはどうも違うんじゃないかいうのが、今日のnoteで言いたいこと。


『情報”弱”者=貧乏人』『情報”強”者=お金持ち』は間違い

例えば、近所のスーパーのチラシを全部見比べて、各商品をそれぞれ一番安い店で買う人がいたとする。

その一方で、もう面倒くさいからといって、ひとつのスーパーで全部の商品を買ってる人もいたとする。

このとき上の定義でいけば、スーパーをはしごしている人の方が『情報”強”者』だ。

そして、チラシを見比べずにひとつのスーパーで済ましている人は『情報”弱”者』だ。

となると、スーパーをはしごしている人の方が『お金持ち』ということになる。

そしてひとつのスーパーで済ました人は『貧乏人』だ。

ただそこでもし、1店舗で買い物を済ました人が、もう片方の人がチラシを見比べている時間や各スーパーをはしごしている時間の間に、各店舗で最安値を買うことによって節約できたお金以上の儲けを生み出す仕事をしたら、果たしてどうなるんだろう。


お金は価値を可視化する『ひとつの手段』でしかない

こうなると、最終的な『お金の多寡』に注目すれば、『情報”弱”者』の方が『お金持ち』ということになる。

つまりこれは、『情報”弱”者=貧乏人』『情報”強”者=お金持ち』という図式の崩壊を意味する。

なぜこんなことが起こるのかいうと、それはやっぱり『お金』は価値を可視化する『ひとつの手段』でしかないからだ。

スーパー1店舗で済ました人の多少割高な分は『チラシを見比べたり店舗をはしごする時間』や、『どういうルートで回ろうか考える思考リソースの消費』に対して投入されている。

1店舗だけで買った人は、割高な分の『お金』を今回の『時間』や『思考リソース』に回せば、より自分の持っている『価値』を最大化できると考えたということ。


無料アプリの広告

アプリでよく『有料にすると広告が出ない』という仕組みがある。

あれのアプリ運営側の意図としては、「このアプリでぼくは価値を提供してるんだから、その見返りとして、あなたの『(広告を見る)時間』かもしくは『お金』をよこしなさい」と言っているのである。

言い換えれば、『お金』も『時間』も『思考リソース』も、すべては同じ土俵に乗っているということだ。

それぞれは交換可能で、それぞれの価値に優劣はない。

なんか文字に起こすとすんごい当たり前のことを言ってる感じになっちゃうんだけど、ここを常に意識できるかどうかで、だいぶ『知ることによる人生の幸福度』みたいなものは高められるんじゃないかと思う。


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