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幼い僕は 蟻を見ていた 【ぺんのおばさんの思い出】

蟻の行列は幼い僕にとって非常に不思議な存在だった。基本的に、蟻たちの姿は同じに見える。幼いながら、きっと何かしら個体差は存在するのだろうけど、見分けがつかないな、と考えていた。

幼稚園の頃、新しい家が建つまでの期間、祖父母のもとを離れて両親と過ごした借家がある。それは昔有名なある建築家の事務所が手がけたものだという木造2階建ての戸建てだったが、発想としては今も建売住宅でよく見るような、隣にもほぼ同じデザインの家が3軒並んでいるうちの真ん中に建つ家だった。

玄関には一軒一軒にこじんまりしているとは言え昨今の住宅の常識から考えると少し贅沢に思える屋根のついた門があり、夜はおそらくそこを閉めていたのだと思う。そして日が出ている間はその門に沿うように、家を背にした僕の右隣の家から蟻が行列をなし、左隣の「ぺんのおばさん」の家に向かってしょっちゅう行進していて、それを見るのが僕は好きだった。

ぺんのおばさんの本名は知らない。当然当時両親は知っていただろうが、幼い僕は彼女をぺんのおばさんと呼んでいた。どこ出身の人だったのかわからないが、ある時「あんたのお母さんは「ぺんぺん」やねぇ」と僕に言ったことがあるので、以来ぺんのおばさんになった。厳密にはその人の意味するところ、「私の母が」ぺんぺんだったにも関わらず、幼き日の僕によって、自分がぺんを冠するおばさんになってしまったところが申し訳なくもアイロニーである。

僕が好きだった門に沿って進む蟻の行列を、ぺんのおばさんは嫌いだった。ある時蟻の行列を追いかけてぺんのおばさんの門のところにゆくと、よく自転車の後ろにつける反射板のような、しかし色は黄緑色の小さなプラスティックが置いてあって、家にいたぺんのおばさんに「これはなんですか」と尋ねると「あぁ、コレで蟻が死ぬんよ」とあっさりと答えたので衝撃を受けた。「どうやって死ぬんですか」「え、そりゃ、毒で」。

僕は家に帰り母に「ぺんのおばさんが蟻を殺そうとしてる」と言うと、「蟻もバカじゃないからね、多分大丈夫だと思うわ」とあまり心配していなかった。


母の言った通り蟻たちはその出来事の後も変わらず門に沿って行列をなしていたのだが、あいにくそれからしばらくして、僕らが新居に引っ越した後、ぺんのおばさんが亡くなったと聞いた。僕はあの時どうして蟻たちは死ななかったのだろうと考えた。きっとあの黄緑の箱の中の毒を食べなかったから、死ななかったのだろう。


ぺんのおばさんの思い出に捧げる