随筆(2020/6/23):ASD的感情突破術(ダメな)
しばしば、人は、恐怖があると、問題に直面せず、まず逃げる。
というのが、おそらく世間的にはよくある話なのだろう。
そういうのを、勇気で乗り越える。というのが大事なのだ。
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でも、私はあんまりそういう文脈で生きてたことがなくて。
恐怖があって、「あっ無理だ」と思ったら逃げるのは、まあそこは私も同じなんですよ。
でも、それは、逃げているのは、「無理そうだから」であり、「怖いから」というのではない。
(無理そうだったらやらないんですよ。以前仕事で壊されて、かなり深い双極性障害(躁うつ病)になってから、ずっとそうです。そこで頑張ると、壊されるからね)
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怖がっている自分はもちろんいるが、その時に何を思うかというと、「んで、出来るの、出来ないの」ということです。
「恐れを知らない」というのともちょっと違う。恐れは知っているが、「どうせいつかは対峙して解決しなければならないのなら、リソースも足りない訳ではないのなら、逃げると逃げた時間の無駄だ」と考えてしまうのだ。
これは、即物的な損得の話です。
「怖かろうが、やれば終わるし、得られる利得も変わらないし、早めに片付けた方が傷も少ない、というのがほぼ見えているのなら、じゃあ、やる」
という、「恐怖などの感情を即物的な損得で蹂躙して突破する」スタイルで、ここまで突破してきた。
(『パンプキンシザーズ』カルッセル編の装甲列車のようなイメージで)
(あれがカルッセル住民に恐怖をもたらしていたのだし、しかも最後は主人公ランデル・オーランド伍長にヘッダ画面のように大破されたのでは?)
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もちろん、こんなものは勇気でも何でもない。
いつか、本当に、立ち竦むような驚きや、逃げ出したいような恐怖がやって来た時に、おそらくやはりふつうに立ち竦んだり、逃げ出したりしてしまうであろう。
でかい感情を経験していないからこんなことが言えているだけだ。
それに、これを繰り返していると、感情をロードローラーで蹂躙しているのだから、繊細さはどんどん損なわれる。
いつかは、ちゃんと感情そのものに巻き込まれて、その中で感情をコントロールして、適切な実践をやっていく勇気を身につけねばならない。どうしたものか…
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