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随筆(2020/7/11):「正義の反対はまた別の正義」論を、猛スピードで置き去りにしていく話

(先に読むことをオススメします)

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(ツイートのサルベージ)

「正義の反対はまた別の正義」論を見ると、
「実際、正義にはいろいろあり、これを全部採用するとなんと保守になり、いくつかを採用しないとリベラルになる」
という、ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』の地獄の主張を思い出す。(今では議論は「その後」のフェーズだろうけど…)

保守やリベラルは政治運動の陣営だ。
政治運動家は、「上」や「横」の後ろ盾のない「醜悪」な敵を、敵の主たる弱点=攻撃重点箇所と見なす。
「権威」や「集団忠誠」や「キレイゴト」採用しなかったら、袋叩きにされて、表に出られなくなり、要は負ける。
当然、リベラルも、これらを採用する訳だ。

リベラルが権威や集団忠誠やキレイゴトを採用していないつもりであろうが、実際には全部、しかも無意識に採用している。
残念ながら、これではリベラルは自動的に「強烈な保守」として振る舞うことになる。
(リベラルのつもりのジョナサン・ハイトが聞いたらたぶんものすごく嫌がると思うんだけど)

保守の理念を採用出来ない人たちが、リベラルの理念を政治運動として実践したら、本来嫌いがちな保守めいた「権威」や「集団忠誠」や「キレイゴト」を、実は大々的にやり、無反省な分だけ保守よりさらに無反省に強烈にやる。
このネタで一個、社会派ホラーが作れるんじゃないかな。俺はやめとくけど…

これは「保守が、多様で不整合な正義に対し、八方美人的な折衷案しか用意できず、しかもそれが現に有害である」せいでもある。
で、当然、「リベラルが、事態をよりスマートに着地させられるか」という話にもなる。
ここはクリアせねばならない。リベラルの重要な仕事であろう。

やっていきましょう。

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