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随筆(2020/6/5):虚無で渇いてしまった願望に、瑞々しさを取り戻す(3)他人に好かれる「魅力」と、自分が好きな「自分らしさ」

10.願望だけが満たされて、その前提が蔑ろにされたら、やはり人は白ける

自分を捨てて、別のものを外挿して、結果として他人に愛されたり性交出来たりした時に、ぽっかりと生じる虚無。
これは、「本来の願望が満たされようが、それの前提が無いもののごとく扱われたら、やはり人は白けるのだ」という学習を与えてくれる。
だから、大事な虚無だ。

が、当然、これはもう、どうしようもなく、白ける。何もかもが超高速で無意味で無価値に色あせていく。ニヒリズムに陥っていく。
何らかのクラブのVIP席に陣取って、ファンとの性交の最中に、本人の下半身は元気だが、顔は白けて別のことを考えている、喧嘩と薬物と音楽に強いが、刺激が強いだけで幸せではないカリスマDJ。
みたいな何らかの漫画の一コマをイメージしてみましょう。そういうニヒリズムのことです。(俺はDJではなかったけどな)

無意味で無価値に色あせていく全てのものを、ニヒリズムで白けていく人が、どうしてまともに扱うと思う?
もうこの時点で、何もかもがドテカボチャにしか見えなくなるんですよ。
人? それは人の形をした珍しいダイコンですね。それが何か?

11.他人に好かれる「魅力」と、自分が好きな「自分らしさ」

11_1.「魅力」と「自分らしさ」を擦り合わせないと、虚無は埋まらない

この虚無は「誰か」に「直ちに魅力として評価されるようなところ」と、「自分らしさ」すり合わせが馴染まない限り、永遠に続くだろう。
だって、「他人が魅力だと思っているところ」は、「俺」じゃないんだから。自分にとって密接な一部分だとも、自分の核心だとも思えないし、そのような心理的な深い関わりを持てないんだから。
こんなものは、ただの、外形だ。俺の外形なり言動なりは愛されていても、俺の人格は愛されてない。嫌われてはいないかもしれないが、少なくとも、興味の対象ではない。という話はかなり避けがたいように思う。

11_2.自分の好きなジャンルも含めて、満遍なく努力するなら、何とかやっていけないでもない

これは、エレガントな完璧超人のスーパーダーリンになったら、少しはマシになる。
完璧超人ということは、八方美人的にジャンルをやっていくということだ。
どこかのジャンルは必ず、自分の好きな分野である。
そこでポイントを稼いで、そこが何らかの評価に活きてきたら、虚無は原理的には埋まる。

もちろん、スーパーダーリン路線が遠回りであることに、何ら変わりはない。
だが、やりたいことをやってもよく、しかもそれが評価に活きてくる。というのは大きな希望の光だ。

11_3.自分の好きなジャンルで努力しても、別にそこが評価されないことは、多々ある

もちろん、ただ単に、自分の好きなジャンルで努力しても、ふつう、それは、無駄です。
そこが何らかの形で評価に活きてこない限り、評価などされない訳です。
そこは気を付けなくてはならない。

自分の好きなジャンルでつよつよのオタクが、報われているか? そうじゃないだろう?
「むしろ、猛烈にキモい」ということにふつうはなる。

ならないと思っているやつ、よーく見ろ。キモオタはふつう、全く誰にも愛されてないし、性交も出来ていないぞ。そういうことだ。

11_4.「直ちに魅力として評価されるようなところ」は、やはり別個に掘っていかねばならない

キモオタ愛されない性交も出来ないのは、人とコミュニケーションのキャッチボールをしないし、人に対する興味がないし、外形的な魅力がどうでもいい、自分にはかかわりのないことだと思っているからでしょ」?

よう分かっとるやんけ。

まずは「直ちに魅力として評価されるようなところ」のポイントありきだ。そこ「が」評価される。
コミュニケーションスキル社交性外見も、そういう、「直ちに魅力として評価されるようなところ」に他ならない。
そういうのがないのに、好きな分野で強くても、それは評価されない。

自分の好きな分野は、ふつう何ら「直ちに魅力として評価されるようなところ」ではない。
まずはそこから始めないと、何言ってもデタラメのおためごかしになっちゃうんですよね。

さて、どうするか。

(続く)

(今回のテーマ的に、『ディスコミュニケーション』の松笛くんと狐のお面を使うの、かなり誤読を招くのでは…?)

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