平島 幹

ローマでずいぶん長いこと暮らしています。過去には「タン・ナピ・ナピ」、「ジャングル・ラ…

平島 幹

ローマでずいぶん長いこと暮らしています。過去には「タン・ナピ・ナピ」、「ジャングル・ラブ」などを出版。2015年あたりから、「パッショーネ」というE-bookの出版と同時に、passione-roma.comというサイトをはじめました。

最近の記事

『鉛の時代』: イタリアのもっとも長い1日、アルド・モーロが連れ去られ、ブラックホールとなった1978年3月16日とその背景

「夜よ、こんにちわ」から約20年を経て、再び「アルド・モーロ誘拐・殺害事件」をテーマとした、イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督の最高傑作、「Esterno notteー夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」の著しく複雑な背景を探ります。 そもそもベロッキオ監督は、現在に至るまで営々と続く、事件を巡る、終わりが見えない夥しい数の調査、捜査という「神経症的なストーリーには興味がなかった。新しい形で事件の物語を語ろうと考えた」との主旨の発言をしているように、映画「夜の外側」で

    • 『鉛の時代』: 「蛍が消えた」イタリアを駆け抜けた、アルド・モーロとは誰だったのか

      2023年のイタリア映画祭で「夜のロケーション」として公開された、巨匠マルコ・ベロッキオ監督の超大作「Esterno notte(2022年)」が、「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」のタイトルで、8月9日からBunkamura ル・シネマ渋谷宮下を皮切りに、いよいよ全国で順次公開されます。 この映画はカンヌ国際映画祭で初公開されたのち、まず短期間、2部に分けられ劇場公開されたあと、国営放送Raiでも放映され、「最高傑作!」と絶賛されました。また、イタリアのオスカーと

      • 欧州選挙:イタリアの勝者は本当にジョルジャ・メローニ率いる『イタリアの同胞』だったのか

        現在日本に帰国しているため、6月8日、9日の欧州議会選挙をライブでは体験することができず、イタリアメディアの報道と、現地の知人にその雰囲気を聞いてみるぐらいしか、詳しい内容を把握できませんでした。が、結果、過去最低の49.7%という投票率で選挙を終え、そもそも欧州議会選挙の投票率は国政選挙よりは低いのが常ではあっても、「イタリアの有権者の半数以上が棄権に回る」というケースは共和国はじまって以来の出来事です。過去の欧州戦の投票率を調べると、1980年には86%、2005年に72

        • ラッキー・ルチアーノ PartⅡ: 第2次世界大戦における「アンダーワールド作戦」とそれからのイタリア

          1931年、全米犯罪シンジケートの頂点に「コミッション」と呼ばれる一種の議会を設立し、「コーザ・ノストラ」を誕生させた「暗黒街の実業家」ラッキー・ルチアーノは、シンボリックな意味で1秒に100万ドルを稼ぐ男となっていました。リトル・イタリーのストリートで万引きや窃盗を繰り返していたイタリア系移民の少年は、20年ほどの間に、最高級のオーダーメイドのスーツを纏い、ウォルドーフ・アストリアホテルのスイートルームで暮らす大富豪となったのです。ところが1936年、ルチアーノ本人が直接関

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          ラッキー・ルチアーノ Part Ⅰ : 「禁酒法」を経て、暗黒街の分岐点となった「コーザ・ノストラ」の誕生

          ニューヨーク、ロウアー・イースト・サイドのストリート。徒党を組んで万引きや窃盗を繰り返していた、イタリア系移民のタフな少年サルヴァトーレ・ルカーニアが、巨万の富を誇るチャールズ・ルチアーノ、「ラッキー・ルチアーノ」としてその名を轟かすには、さほど時間はかかりませんでした。このルチアーノに関しては、単なるギャングというよりも、当時の米国に跋扈する、シチリア・マフィアの旧態依然としたシステムを一気にイノベーションした、「暗黒街の実業家」と呼ぶ方が相応しいかもしれません。資本主義に

          ラッキー・ルチアーノ Part Ⅰ : 「禁酒法」を経て、暗黒街の分岐点となった「コーザ・ノストラ」の誕生

          1900年前後 :「コーザ・ノストラ」黎明期「マーノ・ネーラ(黒い手)」とジョセフ・ペトロシーノ

          今から100年以上昔の米国で繰り広げられた、現在「マフィア」と総称される犯罪ネットワークのひとつ、「コーザ・ノストラ」黎明期の物語は、多くの書籍や映画のテーマとなっているので、おぼろげにイメージしてはいても、われわれが住む世界とはかけ離れた別世界の物語という印象でした。しかし今回、資料として選んだ本を読んだり、映画を観るうちに、われわれが住む世界も、犯罪ネットワークの世界も、構造的にはよく似ているのではないか、との疑問が湧き上がったことを、まず告白しておきたいと思います。実際

          1900年前後 :「コーザ・ノストラ」黎明期「マーノ・ネーラ(黒い手)」とジョセフ・ペトロシーノ

          スピンオフ:ローマの街に熱烈に歓迎された、ケン・ローチと最新作「オールド・オーク」

          世界中で尊敬される英国の最重要映画監督のひとり、という認識は当然ありましたが、最新作「The Old Oak(オールド・オーク)」封切りのため、ローマを訪れたケン・ローチが、これほどまでに熱狂的な歓迎を受けるとは予想していませんでした。監督が舞台挨拶をする予定の映画館はすべて、瞬く間にソールド・アウトとなり、ローマ滞在の最後に開催された舞台挨拶は、イタリア全国70の映画館で同時中継されるほどの人気でした。何より意外だったのは、1936年生まれのこの監督の作品を観るために、往年

          スピンオフ:ローマの街に熱烈に歓迎された、ケン・ローチと最新作「オールド・オーク」

          1943年:日本での壮絶な2年間を描いたダーチャ・マライーニの新刊「Vita mia(わが人生)」

          「いつかは書かなければ、と思いながら、その記憶を辿ることが、あまりにも辛く苦しく、途中で何度も休まなければなりませんでした。しかし世界中に、あらゆる形の暴力と憎悪が再び溢れる今、それを証言しなければならないと思ったのです」プレゼンテーションでそう語った、ダーチャ・マライーニの新刊「Vita mia(わが人生/Rizzoli、2023)」には、当時6歳だった少女が、両親、ふたりの妹とともに連行された、大日本帝国の捕虜収容所における、極限ともいえる凄まじい2年間(1943年~19

          1943年:日本での壮絶な2年間を描いたダーチャ・マライーニの新刊「Vita mia(わが人生)」

          不滅、シュメール、宇宙を具現した現代アートの呪術師、ジーノ・デ・ドミニチス

          「いつもの黒一色のいでたちにアストラカンのコサック帽を被り、夜のローマを歩いているのを目撃した」、といまだに語られることがあるそうです。ジーノ・デ・ドミニチスは、第二次世界大戦後の偉大なアーティストのひとりとして、イタリア現代美術史にくっきりとした存在を残しながら、1998年に51歳という若さで、突然亡くなりました。その特異な作品同様、奇妙で複雑、模倣のしようがない彼の人生そのものが、作家が演出した一種の「オペラ(作品)」であったとも言え、亡くなって25年が過ぎようとする現在

          不滅、シュメール、宇宙を具現した現代アートの呪術師、ジーノ・デ・ドミニチス

          日本をもうひとつの故郷として愛し、骨を埋めたふたりのイタリア人のこと

          イタリアの碩学のひとり、クラウディオ・マグリスの記念碑的大作「ミクロコスミ」を翻訳。2022年に出版した、気鋭の翻訳家二宮大輔氏の寄稿です。それぞれにまったく違う境遇で、長い時間を日本で過ごしたジャンルカ・スタフィッソ、ピオ・デミリアというふたりのイタリア人が、この1年の間に次々に亡くなりました。そのうち、日本をベースにイタリアメディアの極東アジア特派員を務めたジャーナリスト、ピオ・デミリアは、幅広い見識に基づく体当たりの取材で、日本のみならず、アジア各国の諸事情を掘り下げ、

          日本をもうひとつの故郷として愛し、骨を埋めたふたりのイタリア人のこと

          米国ネバダ州に保管されている(と言われる)ムッソリーニのUfoと、キャビネットRS/33の謎

          2023年7月のローマは、10日を過ぎたあたりから地獄の番犬「サーベラス(Cerbero)」、および冥界の渡し守「カローン(Caronte)」の名を持つ、サハラ砂漠から押し寄せる熱嵐がダブルで吹き荒れて、最高42℃+という酷暑に見舞われました。それらはその名の通り、まさに絶望的と言える灼熱地獄をもたらし、シチリアに山火事を頻発させたり、北イタリアにテニスボール大の雹を降らせたり、いまだかつて体験したことがない暴力的な高気圧でした。「これからはひと夏ごとに暑くなる、もっともっと

          米国ネバダ州に保管されている(と言われる)ムッソリーニのUfoと、キャビネットRS/33の謎

          今だからこそ、あえてシルヴィオ・ベルルスコーニという人物について考察する

          政治力という観点からは、もはやその権威は消滅しつつあるように見えたシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相の訃報が流れた瞬間から、TVを含め、あらゆるすべてのメディアがベルルスコーニ一色に染まったことには、正直、非常に驚きました。しかも、生前のあらゆるスキャンダルと失言、暴言、さらには70件もの脱税、汚職、未成年売春などに関する裁判、過去のマフィアとの親密な関係の可能性を、誰もが知るところであるにも関わらず、その評価のほとんどが「時代を牽引したスーパー・シルヴィオ」という称賛であり

          今だからこそ、あえてシルヴィオ・ベルルスコーニという人物について考察する

          マフィアの起源を探して19世紀、ガリバルディのイタリア統一前後、映画『山猫』のシチリアへ

          「マフィア」という言葉は、「ピッツァ」や「スパゲッティ」同様、ほぼ世界中に知れ渡るイタリア語のひとつだそうです。 もちろんイタリアに、マフィアという名の特定の犯罪組織が存在するわけではなく、資本、権力と密に繋がる、あるいは権力そのもの、というケースもある、複雑な犯罪・違法システムを指す象徴的な名称だと認識しています。 イタリアの『鉛の時代』を調べると、たとえば1970年、黒い君主と呼ばれるユニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼのクーデター未遂の影に「コーザ・ノストラ」が現れたり、

          マフィアの起源を探して19世紀、ガリバルディのイタリア統一前後、映画『山猫』のシチリアへ

          マルコ・ベロッキオ監督映画、共有された悲劇としての『Esterno Notte(夜のロケーション)』

          イタリアでは2022年5月にPart1、6月にPart2が劇場で短期公開、11月に国営放送RaiでTVシリーズとして放映されて「最高傑作!」と絶賛された、巨匠マルコ・ベロッキオ監督の『Esterno Notte(夜のロケーション)』が、2023年5月7日、イタリア映画祭(東京会場)で公開されるそうです。当時のイタリアで最も政治的影響力があった『キリスト教民主党』党首アルド・モーロが極左武装グループ『赤い旅団』に誘拐されたのは、『鉛の時代』まっただ中の1978年3月16日。45

          マルコ・ベロッキオ監督映画、共有された悲劇としての『Esterno Notte(夜のロケーション)』

          アルド・モーロとは誰なのか

          今年のイタリア映画祭で、『アルド・モーロ誘拐・殺人事件』をテーマにした、イタリア映画界の巨匠マルコ・ベロッキオ監督の330分超大作『夜のロケーション』が公開されるそうです。 とはいっても、現代の日本ではモーロ事件はあまり有名ではなく、わたしもローマに住むようになって、その詳細を知ることとなり、「こんなことが現実に起こるのか」、と衝撃を受けました。 しかし、だいたいアルド・モーロとは誰なのか、以下にざっくりまとめています。 1978年に起こった『アルド・モーロ誘拐・殺害事

          アルド・モーロとは誰なのか

          映画「La scuola cattolicaー善き生徒たち」が描く、ローマのもうひとつの70年代

          プリーモ・レーヴィ、クラウディオ・マグリス、とイタリアの深層を描く作家たちの作品を世に問う、気鋭の翻訳家、二宮大輔氏の寄稿です。社会、あるいは人間の本質に、日常の感性からさらりと食い込む、氏の視点にはいつもハッとさせられます。今回選んでくださった映画『La scuola cattolica (邦題:善き生徒たち)』は、ローマで実際に起きた「チルチェーオ事件」の犯人たちと、当時同窓だった作家、エドアルト・アルビナーティの同名の小説(2016年プレミオ・ストレーガ受賞)が映画化さ

          映画「La scuola cattolicaー善き生徒たち」が描く、ローマのもうひとつの70年代