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2021.8.28 繰り返すことで現実とは別の領域を立ち上げる

男性 30代 美術作家

「僕、車に乗る時にかっこつけて運転する癖があるんです。パジェロミニという少し背が高い車に乗っています。最近、偏った姿勢で2時間半くらい運転していたら、降りた時にがくっときてしまった。今、自分のアイデンティティのひずみが腰にきています。今はジョジョ立ちが楽だからそうして立って話しています。人間って、立つということがいかに難しいことなのかと思いました。彫刻作品を見ていても、立つという行為そのものに魅力を感じています。

自分の中から出てくる痛みって、自分の中の何かのひずみが…人間って律動していてリズムの中で生きているから、少しずつ間違ってピアノを弾いていった結果、時間内に演奏が終わらなくてダダダッとなっちゃったというイメージです。

僕、車を運転するのが好きなんです。車に乗っている時は外界と遮断されているから自分だけの空間になっている。運転している時は全てを忘れられる。よく鼻歌を歌うんですよ。そのうちに作曲をしだして、無限ループで同じ歌を歌い出す。それをリトルネロというらしいです。

リトルネロって、反復、反芻によって自分の領域を確かなものにする、というものだった気がします。鼻歌を歌って、歌を繰り返していると現実と別の安全領域の空間を作っているらしくて。歌うことで、自分がいる場所や空間とは別の領域や場を立ち上げている。エリック・サティの『ジムノペディ』。あのすごく悲しい有名な曲、あれも繰り返しの中で抒情さを歌っていて。反復によって、同じメロディや旋律が増幅されて新しいものが立ち上がってくるというような。

例えばコピーとかも、手を動かしたり回数を重ねたりすることによる複製を通じて記憶が定着しやすくなるような気がする。僕は複製とか反復するものが好きなんだけど、それは、手放しながら違う記憶を確かなものにするという。リトルネロって自分の活動に近い気がするなと思います。

例えば、同じ人と毎日「世界ってもう終わりで良くない?」みたいな話をしていても、それを反復しながらどこかで反復の安心感のような領域を作っている。その時だけは別の領域を立ち上げている、という考え方なんだよね。ないものをあるとするとか、ないとは何か、とかを考えていく中で、歌いながら安全圏や場所を作っていくというのは、存在しないけど立ち上がっている、というのがあって。「空気感が好き」とか言うじゃないですか。空気感というよりも、もっと会話を通じた見えない領域の場を歌や反復によって立ち上げている。

歌を歌ったりしながらドライブしている時って、全宇宙がそこにしかないんですよ。さらに高速道路を走っていると死が隣り合わせになって、危うさの中を生きている感じがすごくします。僕は運転は決してうまくないんだけど、運転している時はすごくリラックスできます。楽な格好にしたいから、姿勢の癖を出してしまう。それで現実に戻ると痛みが戻ってくるけど、車に乗っている時はその痛みが分からない。ただの腰痛の言い訳です。」

この記事はBE AT TOKYOのプロジェクト、【BE AT TOKYO DIARY】で制作しました。

※感染症等の対策を十分行った上で取材しています。

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