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「好きこそものの上手なれ」のプレッシャー

みなさん「#おうち時間」はいかがお過ごしですか? わたしはと言えば、ひたすら映画鑑賞の日々を送っています。周りでは普段忙しくてゆっくりできない料理に没頭してる人も多いようです。一つのことに深く集中するって、普段なかなか出来ないけどやっぱり気持ちいいですよね。「好きこそものの上手なれ」という言葉もあるくらいですから、この自粛中にみつけた趣味で才能が実る人も多いのではないでしょうか。

no DRAWING ,no LIFE

わたしは小さい頃から絵を描くことが好きでした。流行りのキャラクターやアニメというよりは、グラフィックデザインの真似事と言った方が的確かもしれません。芸大だった(卒とは言いがたい)父の影響が強いのだと思います。小さい頃から著名なデザイナーの画集や質のいい画材に親しんでいたせいか、昔から色彩感覚には自信がありました。

小学校一年生のとき、わたしは常に色鉛筆を机の上に用意していました。算数でも国語でも、配られたプリントの挿絵に色塗りするところから始めていたのです。勉強が得意なわけでもないので、毎日宿題が大量でした。当時の担任のベテラン先生は高学年ばかり担当していたので、わたしが可愛くて叱れなかったと後に母から聞かされました。

それくらい、わたしにとって絵を描くというのは日常の一部だったのです。

ものぐさの苦悩

現在、わたしは「絵を描くことが好きか」という問いに対してきっぱり肯くことができません。ごく稀に筆が乗ってくるときもありますが、それもほんの一瞬です。宿題が増えることも気にならないほど好きだったものに対して、現在のわたしは重々しい苦手意識を抱えてしまっているのです。

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わたしが絵を描くことに苦しさを感じるようになったのは、小学校高学年のあたりでした。思春期も重なって、父のアドバイスをプレッシャーに感じるようになってしまったのです。そして、絵を描くことがどんどん億劫になっていきました。図工や、中学の美術の授業が大嫌いでした。

「お父さん、この人の絵上手だねぇ」
「え〜ひなならもっと上手く描けるじゃん」
「女の子の洋服をデザインしてみたよ」
「もっとよく人の体を観察して描いてごらん。腕はこんな曲がり方しないんだよ」

父は基礎としてデッサンを勧めていたのでしょうが、わたしは描いても描いても否定されてるような気持ちでした。「残念でした!あなたのような才能はわたしにはありませーん!!」としか思えなかったのです。だって、よく見たって上手に描けないもん。顔だけ描いてるのが楽しいんだもん。「好きこそものの上手なれ」のはずなのに、全然うまくならないじゃん!

高校生あたりで、自分が本当に絵が描けなくなっていることに気づいてとても焦りました。そして父のアドバイスにヘソを曲げて努力しなかった過去を猛省したのです。コツコツ練習することをめんどくさがって才能のタネを無駄にした自分がどうしようもなく情けなくなりました。

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さっきから小出しにしているイラストは2017年から2018年にかけて描いたものです。恥ずかしながらどれにも体はついていませんが、可愛くて気に入っています。自分の絵が嫌いじゃないからこそ自信を持ちたくて、デッサンや人体に挑んでみたことは何度もありました。でも、そのたびに集中力や“コツコツ力”のなさを突きつけられて自己嫌悪に陥るのです。更には、「わたしがめんどくさがりじゃなかったらなぁ」なんてダメ人間的な思考にまた落ち込むという負の連鎖。

芸術はその人を写す鏡ってことなんでしょうか。わたしにとって絵を描くとは、楽しい反面自分の嫌な部分を見つめなくてはいけない苦しい作業でもあるんです。ちなみにヘッダーのイラストはつい先日に描いたものです。もう、「めんどくせー」がダダ漏れてます。

本当の「好き」は、後になってわかるかも

現在のわたしが得意で大好きなことは、大きな括りで言えば人に言葉で伝えることです。プレゼン、接客、inside -ME- もその一つかもしれません。もしかすると、蚊の泣くような声で人見知りをしていた幼いわたしにとって、絵は自分を表現して人に伝える手段だったのかもしれません。

好きこそものの上手なれ」

本当の「好き」は絵そのものではなく自分を表現することだったのではないでしょうか。

そう考えれば、わたしの人生って案外一貫してるのかもしれないな。こんなのって強引で都合のいいこじつけかもしれない。でも、それでわたしの気が晴れるなら、そう思っておくのも悪くないんじゃないだろうか。


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