Hina Kamada

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「”思いつき”をカタチに」誰かの思いつきを吐きだす場所になれたらしあわせです。ぜひフォロー&スキお待ちしています[インスタ] ▶︎https://instagram.com/i_me_official_?igshid=1v27otecjfl4y

最近の記事

ヒト、生きる、社会で

人生に満足していないのは私だけじゃない、と悟るのが大人になること? 足るを知る、ことが大人になること? 物足りなさを抱えながら、その穴をどうにか埋めようと踠くのが、自分らしく生きるということ。 なのだろうか。 「生きてるだけで丸儲け」なんて言葉の通り鵜呑みにして全部を妥協するようになどなっちゃいけない。と、定期的に鞭打って、たまには感情を動かして、命を実感する。 心臓が動いてる。耳鳴りがして、眩暈がして、涙が出て、あくびが出て、お腹がすく。 そういう事すら忘れるほどは

    • 生き様

      つくる、とは 誰かを救うことではない。 何より自分勝手で、がむしゃらで、この世でたった一人の自分を小さな地下の深いところから救い出すことなのだと思う。たとえそれが暗く不快で、やっと差した光も一瞬で見失う、そんなことの連続であっても。 その血走った瞳や流した汗の生々しさは時に見る者の共感を呼び、勇気づけ、世界に大きな変化をももたらす。歴史を変えた革命家や何百年も愛され続ける物語を紡いだ先人たちもきっと、鬱蒼とした不安や自身に燻る希望で溺れそうになりながら死に物狂いで創り続けた

      • 灰色の男たち

        ソーシャルデトックスしよう、と思って始めたのではない。何かの弾みでインスタのメインアカウントからログアウトしてしまったり、パスワードが分からなかったり、登録していたアドレスがもう使っていないやつだったり、要するにわたしの詰めの甘さによって何年も使っていたメインアカウントに入れなくなってしまった。 もっと試行錯誤すれば取り戻せるのだろうが、そこまでの熱意は未だ湧いてこない。こうしてインスタグラムのない生活が始まって1ヶ月が経ったわけだ。 友人とはインスタで連絡を取ることが多か

        • 23才の生活様式

          二十歳の誕生日、カラオケで『私がオバサンになっても』を歌いながら己の「女ざかり」が過ぎゆくのを恐ろしく思っていた。それから3年と11ヶ月がたった23歳のわたしは高卒で、フリーターで、全然寝付けないことに苛立って明け方のベランダでタバコを吸っている。部屋着のショートパンツのままだとまだ肌寒い。わたしは体のどこかでねっとりと身を潜める睡魔の気配と、寒さとで、清々しい朝には似合わない険しい顔をしている。そして24歳は目前だ。 悲しいかな、二十歳の頃に思い描いた「23歳」と「現状」

        ヒト、生きる、社会で

          叶えることとスタート地点に立つこと

          まだひんやりした空気が心地よい季節だけれど、雨なんかが降るとじわじわと冬の厳しさを思い出す。ちょうど冷えてくる午後7時、観客たちは傘をさしたり手を揉みあわせたりしていたが、広場の特設ステージの周りにはそれなりの人だかりができていた。 毎週開催されるこのライブの出演者は、先月メジャーデビューしたばかりの女性デュオだったり、プロなのか趣味なのかわからないシンガーソングライターだったりする。正直なところ、職場の店内までガンガン音が入ってくるので若干癪に障る。けれどまぁ、聞くに耐え

          叶えることとスタート地点に立つこと

          スーパー戦隊

          令和3年 10月7日 22:41 千葉県北西部 マグニチュード5.9 ダイニングで仕事の残りを片付けていたとき、食器棚が突然ガタゴト震えた。 「服着てない!」 ルームメイトが叫んだのが聞こえてようやく地震だとわかった。こういうときに、部屋着もちゃんと可愛いものを揃えようと反省する。そそくさとお気に入りのグリーンのパーカーを羽織ったところで何事もなく揺れはおさまった。 翌朝、JR東日本のダイヤは乱れに乱れ、いくら首都圏のはじっことはいえ朝の駅は混乱していた。小さな非日常に

          スーパー戦隊

          深呼吸して気づいたこと

          無我夢中で生活しているうちに「creatorであれ」という人生最大のテーマをどこかに追いやってしまう事がある。うん、”追いやってしまう”というより、「creatorにはなれない」という諦めといったほうがしっくりくるかもしれない。わたしが一番こわいのは、その諦めに「まぁそれも悪くない」と少なからず納得している自分がいるということ。 そういう人生を否定するわけでは、決して、ない。でも想像してほしい。物心ついたころから「医者になりなさい」と育てられ、いざ就職の時期になってみたら自分

          深呼吸して気づいたこと

          画家

          面白いことに気がついた。気がついてしまったからにはおちおち寝ていられない性分なもので、慌ててベッドから飛び起きてノートパソコンを広げた次第である。 小説の一節わたしが書くのはほとんどがエッセイ(もどき)だけれど、ごく稀に“小説の一節”のようなものが混じっている。例えば、『Short Short Short -ココア-』とか『ただの日記』とか。こういうのはすごく楽しいし、少なくとも書き上げたその瞬間は「美しいものが出来た」と心から満足する。我ながら。 そういうのを書くときは

          ラムセス2世

          わたしの左の頬、頬というかフェイスラインぎりぎりみたいなところに、生まれつきの痣がある。「いちご状血管腫」とも言われる乳児血管腫の跡で、我が家では「いちごちゃん」の愛称で長く親しまれてきた。「いちごちゃん」は、1歳ごろまでは本当にちょうど食べ頃のいちごのように真っ赤で丸々と、堂々としていた。だんだんしぼんでおばあちゃんの手の甲みたいになっていき、今ではほとんど気づかれることは無い。たまに「火傷跡?」と聞かれるくらいだ。(子供の頃はよく「弟くんに殴られたの?」とか「噛みつかれた

          ラムセス2世

          30円

          「レシート結構です」 つとめて丁寧にお断りしながら、30円引きの恵方巻きをバッグに放り込む。 最後に顔をあげて「ありがとうございます」とレジを後にしたのに、そのときも店を出るときにも、レジの彼は「ありがとうございました」を言ってくれなかった。首都圏の片隅で、終電終わりのセブンイレブンは意地を張ったように静寂を貫いた。 「…………⁉︎」 怒りと悲しみと、長く接客をやっている身としての「どうしてこういうことが起きるんだろう」という混乱とで、わたしの思考回路には重大なシステム

          ただの日記

          ふっと横須賀線の青いシートに腰を下ろすと、正面に座っている男の人がレッドブル片手に眠り込んでいた。 「お疲れさまです。」 ひと知れず見ず知らずの男を労りながら、気付けばわたしも夢の中に落ちていた。次に目が覚めたのは、彼が重たいまぶたを眉毛で引っ張り上げながら横浜駅の雑踏に消えていくときだった。

          ただの日記

          ただ書くこと

          なんだかネガティブなことしか書いていないなぁと。 そんなに落ち込むことばかりの生活を送っているわけではないのだけど、なぜだか、このところあまり前向きになれないでいる。自分の人生設計がぐにゃぐにゃに歪みすぎて地に足がつけられていないのが原因なのかもしれない。 決めていたことがおじゃんになったり、大学を休んでみたり、そのままやめたくなってみたり。そんな激動の2020から、なかなか脱することができない。 こういうときは大抵ふらっと一人旅に出るのだが。 ……緊急事態宣言よ。 気

          ただ書くこと

          マイ、セーフティーゾーン

          「安心してしゃべりたい」 夜、ふとんに潜り込みながらふと思った。日常生活で緊張と不安が金魚のフンみたいについて回る。振り落とそうとしても、多分わたしのやり方が下手くそなのだろうけど、余計にしつこく纏わりついてきて身動きが取れない。 このひと本当はわたしのこと嫌いなんじゃない? ウラではすごい馬鹿にされてるのかも。 あれ、なんか気に障ることしたかな… こんなふうに人の顔色を伺って、反省して緊張して、また反省…。これの繰り返しだ。出会ってから気軽に話せるようになるまでに数年は

          マイ、セーフティーゾーン

          2020

          いよいよ激動の2020年も今日でおしまい。来年はどんな一年になるんだろうか。 何があっても、どんな高い壁にぶち当たっても、丁寧にベストを尽くす一年にしよう。 わたしにとって今年は、inside -ME-を立ち上げてなんとなく人生がいい方向に動き出した一年だった。 子供のころから漠然と「自分はクリエイターになるのだろうな」と思いながら生きてきた気がする。周りにいる大人たちはみんな何かしらの表現者だったし、その人たちがどんな努力や挫折をしてきたのかもよく知らなかったから、自分も

          師走

          わたしは順序立てて効率よく動くのが得意な代わりに、同時にいろんなことをしようとするとポンコツもいいところだ。右手と左手で違うことができない典型のようなやつ。両手でピアノが弾けないのはもちろん、カエルの歌すら弾き語りできないんじゃないだろうか。ギターの弦を右手で弾きながら左手でコードを抑えることもままならない。 しかも、それは手先の作業に限ったことじゃない。いっぺんに複数のことを考えるのもなかなか困難で、imしかすることがなければ集中してnoteを書いたりインスタを投稿したり

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          【vlog】#imのある生活

          はじめてvlogを撮ってみました

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