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【美術】村上隆展で知る、「フラット」な日本文化

京セラ美術館の村上隆展に行ってきました!

存命の日本人の現代アーティストのうち、グローバルな美術市場で通用するのは草間彌生と奈良美智、そしてこの村上隆くらいです。恥ずかしながら村上隆の個展に来場するのは本展が初となります。

村上隆 もののけ 京都
2024年2月3日-2024年9月1日


江戸時代の伝統を受け継ぐ村上隆

現代アートで世界的に名の知られる村上隆ですが、意外なことに大学で専攻していたのは伝統的な日本画。確かに、江戸時代の絵師たちから多大な影響を受け、換骨奪胎して自身の作品に活かしてきたのが本展の冒頭でもうかがえます。

というのも、入場した客をまず出迎えるのは幅10メートルを越える巨大な『洛中洛外図屏風』だからです。率直に言って、衝撃を受けました。

洛中洛外図とは岩佐又兵衛を始めとして、多数の絵師が挑んできた伝統的な主題です。村上が日本画の伝統を継承していることが、入場と同時にこのインパクトとともに伝わる。企画の「つかみ」はバッチリでした。

しかしながら、屏風絵の中にときおり登場するのはポップで遊び心のある、ゆるキャラのような物体。後述しますが、実はこれこそが村上隆の真骨頂ともいえる表現なのです。

それにしても、京都を会場とするこの個展で、京都を舞台とした金箔の屏風絵に出会えるなんて贅沢すぎますね。実はこの屏風絵の向かいにはもう一幅の洛中洛外図屏風があり、2つの屏風絵が向かい合っている配置になっています。是非とも会場で金箔のゴージャス空間を体験してみてください。

村上隆の「スーパーフラット」

村上隆の作品のキーワードとなる概念は「スーパーフラット(Superflat)」だといいます。

浮世絵や屏風絵など、日本の伝統的な絵画表現は遠近法を採用していない平面的二次元的なものですが、言うまでもなく、アニメや漫画のような現代の大衆文化においても共通している要素です。

これは歴史的に連続性があるとさえいえるかもしれません。日本の視覚的な芸術について、伝統的なものから現代的なものまでの「流れ」を捉えた際のキーワードが「フラット」なのでしょう。つまり、スーパーフラットとは、平面的で二次元的な絵画表現だけに関連するキーワードではありません。日本においては、洗練された格式のある芸術と現代のポップカルチャーが、上下の階層を設けずに「フラット」に並んでいるのです。

ここまでくると、スーパーフラットは単なる日本の絵画表現の特徴ではなく日本文化論のキーワードです。そして、階級のないフラットな一億総中流社会まで射程に含めて、村上隆は「スーパーフラット」を日本社会論消費文化論まで拡張しています。

スーパーフラットとは、ちいかわ

日本社会や消費文化まで話を広げるのは「やりすぎ」だと思うでしょうか。私も最初はそう思いました。

しかし、考えれば考えるほど、日本社会とはスーパーフラットそのものかもしれないのです。身近にあふれる表象を見渡せば、デフォルメされたキャラクターの表現や、「かわいい」と持て囃されるポップでゆるい文化が隅々まで蔓延しています。これらは多くの場合、社会階層も関係なく、年齢層も関係なく、都市も地方も関係なく楽しまれています。

まだうまく飲み込めていない部分はありますが、私なりに言えば、スーパーフラットの最たる象徴はちいかわだと思います。社会階層の区別なく、大人も子供も区別なく、その表現自体が平面的で二次元的なちいかわを、ポピュラーカルチャーとして私たちは愛でています。少なくとも、学生から社会人まで幅広い層が視聴する朝の情報番組「めざめしテレビ」においてアニメが放送されるくらいには、ちいかわは国民に浸透しています。これを受け入れる文化的・社会的土壌は、まさにスーパーフラットとして言及される日本社会の特質といって差し支えないように思えるのです。

伝統とポップさを接続するスーパーフラット

これで見通しがよくなりました。風神雷神図屏風を見てみましょう。

通例なら雄々しくたくましい肉体を見せつけているはずの風神と雷神が、ここでは漫画のように簡略化されて描かれています。そして、ゆるーくデフォルメされていても、我々はそれを「日本的」な文化として受け入れることができるのではないでしょうか。少なくとも、海外の人なら伝統的な風神雷神図を見ても、マンガ的にデフォルメされた風神雷神図を見ても、「日本的」なものとして受容できると思います。

外向けの日本文化の暴露

一方、どちらかといえば、日本人の方が「こんなのは日本的ではない」と若干の違和感を抱くかもしれません。私も伝統的なものとポップなものはそこまで「フラット」なのだろうかと多少の拒絶感は覚えます。

ところで、外国人観光客が日本に来ると、神社仏閣や抹茶だけではなく、コンビニや何気ないビルも一緒に撮影したりするようです。日本人は京都に行けば景色の中からお寺のみを切り出して「日本的」なものと見なし、鎌倉に行けば大仏のみを撮影して「日本的」なものと見なしますが、外国人はコンビニの隣に寺があり、マンションの向かいに鳥居と本殿あるような、この伝統的なものと現代的なものの混在自体を珍しがるといいます。

つまり、スーパーフラットとは外向けの日本文化を抽出した概念である可能性が見出せるということです。村上隆の描く「日本」に対する違和感の正体がここで明らかになりました。伝統的なものと現代的なものを同居させすぎるのは、「異邦人の視点」から見た日本文化として居心地の悪さを感じてしまうのです。内側からと外側からの日本文化のイメージの差を暴露したことこそが、スーパーフラットのコンセプトの最大の意義と言えましょう。

おわりに

京都の夏は茹で上がるような暑さです。会期終了が近いのでオススメしたいところですが、くれぐれも熱中症には気をつけてください。


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