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「全体」と「部分」の往復運動こそが思考を高める取り組みになる No.602

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2022年8月26日 「DAYONE日記」No.602
本ブログは、何か新しいことを始めるきっかけになることを書いていきます。365日、1日も欠かさず発信します。プロフィールは以下の通りです。
https://editor.note.com/notes/nbb31358271e4/edit/
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おはようございます。

最近の自分の中の頻出ワードとして
「全体と部分」、「抽象と具体」という
言葉が脳内をめぐっているせいか
そういう場面に出会うことが増えました。

昨日も会社内であるA部署との
打ち合わせがありました。

その打ち合わせは、端的にいえば
A部署でやって欲しい仕事のお願いでした。

当然、A部署は仕事が増えるし
面倒なことが増えるので、とにかく嫌がります。

これは、自分の部署の事だけを
考えてみれば、当然の発想になるのです。
部分だけ見ると、そうなります。

でも、会社全体で見ればどうなのか?
という事です。

仮に、会社全体で見た時に
その部署には一定の負荷がかかったとしても
数億円のコスト削減につながる取り組みだと
考えればどうでしょうか?
という話です。

今回の話は
全くそんな効果はありませんが…(笑)

この観点、経営者の目線から見ると
経営判断としてやるべき話に
なってくるのではないでしょうか?

つまり、部分だけ見れば
大変なのかもしれませんが、全体で見れば
最適化されているということです。

組織として、経営として。

組織以外にも、自分の目の前の仕事においても
同じ事が言えます。

「面倒な仕事」だと思って
それだけで捉えてしまうとやる気が
出なくなってしまいます。

でも、もっと俯瞰して見る。

自分の人生において見れば…

この仕事はどんな意味あるのか?
将来こんなことに使えるのではないか?
こんな学びがあるのでは?

という風にその仕事を解釈すれば
その仕事そのものの見方が変わるのです。

つまらない仕事(面倒な仕事)が
自分にとってやり甲斐のある仕事に変化します。

これも、「部分と全体」。
という考え方になるのではないかと思います。

こうち考え方を持つ事で
自分の視野が狭くなりがちなものを
広げてくれる効果があるのです。

だから、大事なことは具体や部分に
寄りすぎず、全体や抽象も見るということです。

つまり、「視座を高く持つ」という事です。

そうすることで、見えなかったものや考え方も
見えてくるのではないかと思います。

その「部分と全体」、「抽象と具体」の
往復運動こそ新しい視点の獲得・深い思考に
つながっていくと信じています。

そんな考え方を踏まえて
自分はどうなのかということを考えてみました。

私の場合でいうと、
仕事・趣味のロードバイクやジョギング・勉強
ということを考えた時、それぞれは具体として
成立しています。

でも、それらを抽象度を上げてみると
自分の中に一つのキーワードが
生まれてくるのです。

それは、全て手を抜かずにやるということ。
つまり、一生懸命にやる。という事です。

そこから自分のテーマである
「一生懸命生きる」という言葉と組み合わせると
よりその言葉がパワーワードになるのです。

自分にとって、一生懸命というのは
とても大事にしている言葉になるのです。

それを含んだうえで、
それ以降、具体なことをやる時に
必ず「一生懸命」というワードが頭の中を
巡るのです。

という事は、自分にとって
一生懸命やれないものは、やらないという
一つの行動基準が出来上がる感覚です。

こうやって、具体と抽象を往復することで
新しい視点が付与されていくのです。

これは、意識すれば出来るものでもなく
ひたすら考え続けるしかないと思っています。

だから、ずっと考え
トレーニングをするしか他ないと思っています。
修行なのかも知れません。

様々な事象や事柄に対して
その具体から視点と抽象度の高い視点の
両面を考える癖をつけるということです。

その思考体系こそが高い言語能力を
生み出す源泉になると思っています。

さらに、その思考体系を自分の中に
形成出来れば、良い方向に進んでいけると
信じています。

出来ていない自分が苦しいのですが
そのくるしさを埋めるためには、修業のみ。
だと思っています。

その道のりは長いですが、
ひたすら我慢しながら信じて歩んでいく。
と日々思うこの頃です。

では皆さん。
今日も良い一日をお過ごしください。

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