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「眉毛を整えるが禁止」の学校で眉毛を整えている教師がいたら、その学校は大抵荒れる。

 2023年5月17日(水)。16時50分。今日は休みの日でした。

 精神科に定期通院に行きました。

 こんにちは。井上和音です。

 暑い。夏到来。岐阜県揖斐川町いびがわちょうでは35.1℃を観測し、令和5年度初めての猛暑日を観測しました。五月中旬に猛暑日を観測したのは、1993年以来で実に30年ぶりの早い期日での猛暑日の観測となりました。

 暑いはずだ。普通に空調は入れていいですよね。熊本も暑いです。精神科は涼しかったです。

 今夜はロアッソ熊本の試合もありますね。熱いですね。ソーシャルワーカーさんは仕事帰りにえがお健康スタジアムに寄るらしいです。羨ましい。えがお健康スタジアムで調べてみたら、「愛称は『KKWING』」と書いてあったのでKKWINGという名前も積極的に使っていきたいですね。やっぱり自分の幼少期の頃の名前のほうがしっくり来るというのはあります。KKWINGって、熊本県民の羽っていう意味ですかね。えがお健康スタジアムのことを会話の中でKKWINGって言う人は、30年くらい前から熊本県で生まれ育った人ということで。KKWINGは青春の塊ですよ。熊本県民の青春の塊。

 ここ最近は抽象的なことばかり書いていて、「抽象的なことばかり書いていたらこれから先も抽象的なことだけを書いていかなければいけないのでは」と思い至ってしまい普通に具体的な事も書いていきたいです。許される限りにおいて。具体的な事を書こうとすると幻聴さんたちが「違うって」とか言ってくるのが聞こえてくるのですが、まあ、危険のない範囲で具体的な事も書いていきましょう。

 まずは、かかりつけのお医者様から「ブログが何かの選考に通ったらしいですね」と言われてびっくりしました。え? なんでご存じで、と思いましたが別に知られていても良いのではないかと思いました。タイトル名やペンネームは言っていないので、多分このブログを見てくださることは無いかと思われます。

 というか、一ヶ月ですね。前回の精神科に通院してから一ヶ月が経過したのです。一ヶ月前の精神科通院の記録はこちらです。『現在の立ち位置を肯定してくださるその姿勢、今を楽しむその言動が、私を前に向かわせるきっかけを作る。』(https://kakuyomu.jp/works/16816452221466841294/episodes/16817330656060862119)。

 精神科は田舎にあるのですが、と、田舎と打ったら「田舎の学問より京の昼寝」ということわざが予測変換で出てきたのですが。なんですかこのことわざは。調べてみたら、すごく的を得ていることわざだと思います。

 精神科は田舎にあるのですが、精神科にも夏がやって来ました。日が高く、どこか黄色い夏の世界。夏だなあと思いながら、自動販売機でMATCHを買う。大塚薬品の自動販売機がある時点で病院らしいですね。飲むと美味しい。やっぱり夏だ。熊本にも夏がやって来ましたと痛感しながら待合室で夏を堪能していました。

 別に海に行くとかプールに行くとか特別なことをしなくても夏は感じるものですよ。

 ソーシャルワーカーさんとお話しましたね。本当にありがたいです。自分の悩みとか仕事とかブログとか、なんでも奇譚きたんなく話せる唯一の存在です。いつも予約を入れていたらちゃんと時間を取ってくださいます。ソーシャルワーカーさんと話せることは本当に感謝しています。

 ソーシャルワーカーさんは色々とお話をしてくださいます。その中で今日も記憶に残るお話をしてくださいました。精神科のソーシャルワーカーさんなのでぐれた中高生にも対応をしていらっしゃるのですが、スポーツ万能な青年たちがスポーツを自分から辞めてしまい社会に迷惑を掛けてしまうのは、困るのではなくて非常にもったいないことだと嘆いておりました。困るので矯正しようという単純な発想に行きつかないところがプロのソーシャルワーカーだと思いました。

 ぐれた青年たちは、スポーツ万能な力があるのだから、得意なことを伸ばして社会に出て行く方がよっぽどその青年たちにとっても良いこと尽くめのはずなのに非常にもったいないと仰っていました。

 この話が非常に印象に残っています。

 得意なことを伸ばす。

 よく言われる言葉ではありますが、実は現実で行い続けるには非常に難しい、得意なことを伸ばすという行動。

 得意なことを伸ばすというよりかは、得意なことを続ける能力、環境、行動。

 そういえば、自分が中学生の時もスポーツ万能な人が煙草たばこを吸ったりしていたことは覚えています。頭が良い人が一時的にぐれた方向性に行ってしまった例もたくさん見てきました。田舎でよく見る学生生活だったかなと思います。

 都会で生まれ育ち、最終的に医者になるようなお育ちの良い人は「地域で包括的に見守っていけば、きっと青少年の非行は良くなるはずだ」と考えることが多いですが、それは間違いですね。包括的な結びつきを強くしようとすればするほどその結びつきが強くなっていき反抗したくなるものです。特に素直で有能な人ほどそういう傾向が強いです。学校に朝から夕方まで縛られても将来が何も保障されていないと知っているので、縛ってくる大人に反発します。職業が決まっている大人がのうのうと生きているんじゃねえよとそう思います。教師は大変とよく言われますが、子供から見れば毎日生きて働いているだけで多額のお金が貰える教師という存在は、ないしは大人という存在は非常に羨ましい存在に写ります。

 例えば、眉毛まゆげを整えてはいけないと校則で決まっている中学校で、ばっちり眉毛を整えて、眉毛を描いてくる女性教師とか。なんで同じ空間にいる、同じ人間の教師は良いのに俺らはダメなんだと普通に考えます。頭が良いのでその矛盾にちゃんと気が付きます。

 ぐれているというよりかは、早く大人になりたいとそれだけです。

 大人に従順ではない青年がぐれていると評価を与えられている。ただそれだけです。

 法律も何も知らないし、教えることも無いので迷惑行為をすることも大人に近付くための、自分達は自由だと自分達で実感するために行うための普通の行為でしかありません。ましてや、頭の良い青年は「迷惑行為をしても許されるのは18歳以下の今この時だけなので、今のうちにやっておきたいことをとっととやっておこう」と考える同級生も多かったです。だいたいのぐれていた人は大人になったら普通に働いています。大人になったところで特に楽しくもなんともない日々が続いていくだけだと知っているので、そういう大人をちゃんと受け入れて生きていきます。

 大人になったら、ぐれていた人も特段人に迷惑を掛け続けるような大人にはなりません。なぜなら、青年時代にぐれていた、と評価されるあらゆることも大人になった後でやってみたらごく普通のことでしかなく、社会の中で特別に目立っていることだと評価されることは無いからです。

 得意なことを伸ばすという話に戻ってみると、青年時代に「得意なこと」と思っていても、実はその青年自体は「別に際立って得意なことではなくて、他の地区の選手と比べても実はたいした実力も無くて、将来この得意なことを伸ばしていても、特にお金になることもない」と知っていて、それだけでは食べていけないことにもう既に気付いてしまっているわけです。じゃあ、得意なことを伸ばすのってどうすればいいのか、本当にその人にとって得意なこととは一体何なのかと尋ねられたら、「自由になったはずの成人になった後でも、手放すことの出来なかった習慣たち」が本当に得意なことなのかなと思います。自由なはずなのに、自分でその行為を選び取ってしまう行動。それが本当に得意なことなのかなと思います。

 大人になった後で気付くことが大半なのですが、ぐれた青年の得意なことを伸ばすためには、手助けするのではなくて何も邪魔をしないことが一番いいことなのかなと思います。頭が良いので、「やっても無駄じゃないか」と知っているのですが「馬鹿になってやってみろ。いつかは出来なくなる行動なのかもしれないのだから」と選択肢を与えることが大事なのかなと思います。いつかは終わる学生時代なのですから、終わるまで我慢しながら、大人になったらこれをやってやろう、あれをやってやろうと夢想しながら生きていくのが良い青春時代を送るための一つの考えなのかなと思います。

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