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殺人事件を通して描かれる、青春とその終わり。『牯嶺街少年殺人事件』映画評

GWの中日、早稲田松竹エドワード・ヤン監督の『牯嶺街少年殺人事件』を観に行った。12:30の回の30分前に到着したのだが、チケットが最後の1枚だった。

GWの貴重な1日を、しかも結構な雨が降る天候の中、4時間を超える超大作映画に費やそうとするシネフィルが、東京にはこんなに存在するのか、ということに驚きを隠せない。

早稲田松竹のような名画座に足を運んだ人はわかると思うが、名画座のマジョリティは老人である。この回もやはり老人が多かったが、大学生くらいの若い人たちもちらほらと目にし、捨てたもんじゃないな東京、と思う。

早稲田松竹にはちょっとした思い出がある。大学生だった頃、当時好きだった人とデートをした場所なのだ。観た映画はたしか、ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』か何かだった。

僕はとにかく彼女にぞっこんで、映画を観たあと、近くにあるイタリアンレスラン、コットンクラブでビールとかワインとかを飲みながら、映画について僕が知っている限りの話を喋った。

彼女は文化系で知的な人が好きなタイプ。僕のカルチャーへの知識量や知性は彼女のお眼鏡に叶わず、無惨にも振られることとなった。

さて、そんな思い出のつまった早稲田松竹で観た『牯嶺街少年殺人事件』だが、やはりこの映画は燃え上がるような青い恋の映画なのだ、と改めて思う。

A Brighter Summer Day。メタファーとして描かれる、青春とその終わり

主人公の14歳の少年・小四(シャオスー)は、不良グループ「小公園」のリーダー・ハニーの恋人、小明(シャオミン)に熱烈な恋をする。もうひとつの不良グループ「217」との抗争がありながらも、2人は恋を育んでいく。

いきなりネタバレになるが、小四が小明に伝えた告白の言葉である「僕が君を守る」が、後半になり「僕だけが君を守ることができる」に変わり、小明の心が離れていく様子は、やはりいたたまれない。そしてタイトルへとつながる、あの鮮烈な「少年殺人事件」へとつながっていく。

小明はあらゆる男性に好意を向けられる振る舞いをするタイプで、ファム・ファタール的なヒロインだ。小四は小明のこの振る舞いが次第に許せなくなる。小四は最後の賭けともいえる言葉を伝える。

僕が君を変えてみせる

だがこの言葉は逆効果となり、小明は小四をほかのつまらない男と同じ、と急速に離れていく。

小四は小明を変えることができなかった。それならば、自分の人生、さらにはこの世界なんてもはや終わったも同然だった。だから小四は小明にナイフを突き刺した。この意味で、この映画は究極のセカイ系作品ともいえる。

また、A Brighter Summer Dayという英語の原題が示すように、本作は明らかに青春(とその終わり)のメタファーとなっている。本作のラストで小四の輝かしい青春は突然終わりを迎えた。

映画の冒頭で流れた、国立大学の合格発表を告げるラジオが、映画のラストで再び流れる。もはや彼は大学に行くことはできない。未来は閉じられてしまった。

小四が小明に「僕が君を変えてみせる」と伝えたとき、小明は「誰にもそんなことはできない。この国と同じ」というようなセリフを言う。直裁的すぎるセリフだが、小四と小明の関係性が、台湾という国のメタファーになっていることに誰もが気付かされる。


映画を観終えて、早稲田松竹を出たあと、ひとりでコットンクラブへ入って、ピザのランチセットを注文した。大学生のとき好きだった人のことを思い出す。あの頃、僕が彼女に抱いていた感情も、楽しかったり傷ついたりした気持ちもとっくに失われて、記憶としてしか残っていない。

良い思い出よりも悲しい思い出という記憶の方が強いが、彼女に恋をしていたあの頃は、僕にとっての"A Brighter Summer Day"だったのだろう。

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