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『ESGブランディングとミレニアル世代とZ世代』(環境研究)

 「ESGブランディングとミレニアル世代とZ世代」について、自分なりの考えをまとめる前提として、マーケティングでいうセグメントという考え方と、ユングがペルソナで表現したAusschitt(アーシュニット、ドイツ語)の違いについてをまとめておく。

Wiki能面より

 ユングの心理学的では「ペルソナ≠元型」(Ausschnitt アーシュニット:集合的心から切り取られた切片であり、Segment:全体の一部分ではない)、と捉えているが、マーケティングでのペルソナの捉え方もそれに近いものがある。

ペルソナ(心理学)
 ペルソナは元型ではないとする立場もある。その理由として、ユングは人類の集合的な心(例えば、社会的慣習や伝統的な精神)から各人が切り取ったもの(個性化された人格=仮面)をペルソナと名づけたのであり、集合的無意識そのものを指すわけではないという解釈がある。

 ここで、改めてマーケティングやITで言われるペルソナについての解説を読んでみる。

ペルソナとは(知っておきたいIT経営用語)
 「架空の顧客像。詳細に設定した顧客のプロフィールを担当者間で共有し、人物像への理解を深めることでマーケティング方針を統一する手法。・・・これに対して販促活動などを手掛けるマーケティング担当者の間では、顧客を特定の人物像に絞り込むことはせず、ある属性の集団として捉えるのが通例でした。」

 マーケターのいうペルソナは、切り取られた切片(Ausschnitt )というスタンスから、ゴール(何をしたいのか)・行動(どうやって)・態度(どのように認識)などにもとづいて、ある程度分類・整理・検証した架空の人物像(切片)に、「顔写真」「年齢や仕事の内容などの基本的な情報」「よく口にする言葉」「一日の過ごし方」「仕事や人生のゴール、解決したいと思っている課題やチャレンジ」「さまざまな情報(メディア)との接し方」「あなたの製品やサービスを購入する理由・目的・購買への関与の仕方」などを含み、架空の顧客像をより具体化し、共有しやすくしたものなのです。  IT部門の人はペルソナを知らない?

 つまり、セグメントとAusschnittは以下のような根本的な違いがある。

セグメント:全体の一部
Ausschnitt :切り取られた切片(抽出、抜き出し、エキス)

 もともとユングが、ペルソナをドイツ語でAusschnittと表現していたものを、英語に訳すときにSegmentと訳してしまったため、「ペルソナ=元型」という考えになってしまった、という意見がある。

 ペルソナはもともと仮面(和辻哲郎:面とペルソナ)なので、「ペルソナ≠元型」が正しい。

 世代をセグメントで考えると、「団塊の世代」「新人類」「バブル世代」、そして「ミレニアル世代」「Z世代」などと分類されている。そして分類されたセグメントの特徴が列挙され、マーケティング屋の広告ターゲットとされる。
 別の捉え方として、世代をユング本来のAusschnittで捉えると、その世代のペルソナ像の輪郭が見えてくる。

 ここでは、世代をAusschnittで捉え、ESGブランディングにつなげてみたい。

 ミレニアル世代とZ世代はインターネットやスマホが出現してから現れた世代で、ネットコミュニケーションに抵抗のない世代といわれている。

 私の世代はPCがマイコンと呼ばれ、コンピュータが個人のものになりはじめた世代で、「反省記」を出版した西和彦氏や、今や世界的な投資家の孫正義氏などがいる。

 この世代は「団塊の世代」と「新人類」のハザマの世代で名前はついていないが、ビル・ゲイツ氏を含めテクノロジーに抵抗もなく、自ら自発的に創造する世代でもある。

 ミレニアル世代とZ世代はインターネットを介したデジタルテクノロジーインフラに支えられたSNSを普通に使う世代で、その特徴は「自分独自のスタイルをアピールしたい」「仲間とのつながりを大事にする」「社会貢献性の高い仕事に興味がある」といわれている。

 では、ネットコミュニケーションを使いこなす人とそうでない人(世代)との本質的な違いはどこにあるだろう。

 以下の『仕事に効く 教養としての「世界史」』(出口治明、祥伝社)にそのヒントがあったので抜粋する。

 中村愿さんが「三国志逍遙」(山川出版社)に次のようなことを書いています。 

 三国志で有名な蜀の諸葛孔明(諸葛亮)は、亡くなった先帝の劉備玄徳に殉じようとして、曹操がつくった魏に戦争を仕掛けます。亡き皇帝に大恩があるから、中国を統一するのが自分の使命だと考えて、死ぬまでに何度も四川省の成都から北のほうにせめていきます。

 これは忠義のそのもので、孔明は歴史に名が残ったのですが、中村さんが指摘しているのは、次のようなことです。三国関係でいえば、蜀は呉の半分です。そして呉は魏の半分。つまり蜀を1としたら、呉が2で、魏が4。そういう大小関係にありました。1の力しかない国が毎年のように4の国のある国に戦争をしかけるということは、1に住んでいる人々、蜀の人々にとっては税金が増えて、戦争で兵士が次々に死んでいくことを意味します。国力に圧倒的な差があるわけですから。

 もし当時、世論調査をやっていたら、どうだったでしょう。孔明はとんでもない奴だ、毎年戦争をして兵士が死んでいく。しかも勝てる戦なら領土も増えて豊かになるからいいけれど、結局、勝てないじゃないか。ということで、かなり蜀の政府に対して厳しい調査結果が出たかもしれません。

 しかしなぜこういうタイプの人間が生まれてくるかといえば、それは後世で高く評価されるから、こういう行動に出る。歴史が大事にされるという条件があって初めて、こういう人々が生まれてくる。 仕事に効く 教養としての「世界史」

 ブログ、facebook、Twitter、Instagram、Youtube、TikTokなどのSNSは、自分の行動を書いたり、写真にしたり、動画にして記録することができるという大きな特徴がある。

 前述の諸葛孔明の魏との戦争を繰り返す話は、中国は歴史家が何らかの手段で記録として歴史をまとめるであろうことを意識しているからこそ、行動が独自のスタイルになるというものだ。

 同じ視点でSNSを考察すると、自らが自分の行動を記録するが、諸葛孔明と同じように、「自分なりの独自のスタイル」というものを意識する人が出現するはずだ。

 歴史家が記録を残すには客観的に独自性がないとまずいため、「歴史上のどの権力者より長く権力を握ること(台湾を含め祖国を統一した)=名を残すことになる」、という習近平のような発想になる。しかし、歴史に名を残すことを目的にしない人でも、「人と違った方が良い」という単純な発想が根底にあるため、SNSでの情報発信につながっているのではないか、と推察することができる。

 あるいは、SNSを使いこなし情報発信するからこそ、「人と違った方が良い」という発想に自然になっていったのかも知れない。
 逆に団塊の世代では、「人と同じ方が良い」という意識が根底にあるからこそ、同じように出世したい、という競争心になった、と考えることができる。

 このことを、Ausschnittで考察してみよう。

 ミレニアル世代のAusschnittをアレキサンダー・オカシオ・コルテス氏(AOC)、Z世代のAusschnittを環境活動家のグレタ・トゥーンベリ氏とすると、彼女たちそれぞれは「自分独自のスタイルをアピールしたい」「仲間とのつながりを大事にする」「社会貢献性の高い仕事に興味がある」というミレニアル世代やZ世代の特徴に当てはまる。

Wiki AOC


 では、彼女たちはどんな意識をもっているのだろう。単純化して考えてみる。

1)人と同じが良い
2)人と違っても良い
3)人と違った方が良い

 少なくとも、1)人と同じが良い、2) 人と違っても良いという意識ではなさそうだ。

 ご両人とデプスインタビュー(深層面接)、あるいはTAT法(主題統覚)などが行えれば、それを明らかにすることができるが、アレキサンダー・オカシオ・コルテス氏(AOC)の発言やグレタ・トゥーンベリ氏の発言から推測すると、私は以下のステップで思考しているのではないかと考えている。

Wiki グレタ・トゥーンベリ

ステップ1 社会貢献性の高い仕事に興味がある
ステップ2 仲間とのつながりを大事にする
ステップ3 自分独自のスタイルをアピールしたい

 それは、政治家、あるいは環境活動家というペルソナ(仮面)がそうしているだけで、実はネットコミュニケーション(SNS)によって、3)人と違った方が良いという集合的無意識(元型)が根底にあり、それが表出したのではないか、また逆にSNSによって、物理的に距離の離れたところに、同じような人を発見できる。

 つまり、デジタルにより距離が関係なくなったからこそ 同じ考えの人と連帯しやすくなり、物理的な距離が近い人と違っても良いと思えるのではないか、と仮説することができる。

 私のようなタイプは、それを年代を超えた縦のつながりとして意識してきたのだが、ミレニアル、Z世代はSNSという手段で横のつながりから意識することがやりやすいのではないだろうか。

 ESGブランディングに話を移す。

 前述の1)人と同じが良い、2)人と違っても良い、3) 人と違った方が良いを「守りのESG」「攻めのESG」に分けて考えると以下のように捉えることができる。

1)人と同じが良い:「守りのESGとエンタープライズ・リスクマネジメント」にまとめたように、ERM活動や非財務情報を開示・エンゲージメントすることを、他の企業と同じように実践する企業。(同じが良い)

2)人と違っても良い:「ESGサイトの作り方」でまとめたように、ESGの見せ方が他の企業と少し違う企業。(違っても良い)

3)人と違った方が良い:「攻めのESGとマーケティング」でまとめたサントリーやフランスのケリング・グループのように、他社と違う方法を実践する企業。(違った方が良い)

 これらの3つのアプローチにより、ESGブランディングの価値は違う。

(ESGブランディング価値が低い)「人と同じが良い」 < 「人と違っても良い」 < 「人と違った方が良い」(ESGブランディング価値が高い)

 したがって、ミレニアル世代やZ世代は、自分の意識と同じように、3)人と違った方が良いと考える企業のブランド価値が高いと考えるのは自然なことだ。

 しかし、現在の日本企業の「空気」は、「ESGの精神とマックス・ウェーバー」にまとめたように、トップが号令をかけるフェーズにある。

 最近は、ESGをその企業の「空気」にしようと、トップがトップダウンで号令をかけるケースが増えてきた。
 日本郵船135周年、長沢社長「ESGというモノサシを」全ての行動基準に、これまでの経済性に加えESGのモノサシを持つように心がけてほしい。

 この「ESGの空気」が日本中に蔓延した後に、サントリーの山田健氏のように自発的にボトムアップができる人材が出現すれば、その企業のESGブランディングは高まっていくのではないか。

 その人材がミレニアル世代なのか、Z世代なのか、あるいは50代や60代、もしかするとバブル世代なのか、いずれにしても、アレキサンダー・オカシオ・コルテス氏(AOC)やグレタ氏や山田健氏のように自発的に行動できる人材の存在が極めて重要になることだけは間違いない。

 山田健氏の生まれた町には、「湯の河原」という名前のついた温泉の流れる川があったそうです。明治時代に、井戸を掘削する技術が入り、川の湧き湯のすぐ上流で、一軒の宿が温泉井戸を掘り始め、水脈のすぐ上の井戸から湯を抜いてしまったのです。川の湧き湯は涸れてしまい、以後「湯の河原」はただの「水河原」となってしまったとのこと。当時、小学6年生だった山田健さんは「だったら、町名を変えなきゃいかんだろ」「バッカじゃないの」と思ったそうです。

 私が、八ヶ岳南麓(白州町)の上流でサントリーの工場が大量の水を取水すると、下流の人が困るのではないか、と質問したことと同じ気持ちを小学6年生の頃から抱いていたのがサントリー宣伝部所属のコピーライター山田健さんだったのです。  攻めのESGとマーケティングより

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。