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東京下町生まれ、元技術者。現放送大学生。 中央仏教学院(通信・学習課程)、武蔵野大学大…

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東京下町生まれ、元技術者。現放送大学生。 中央仏教学院(通信・学習課程)、武蔵野大学大学院(通信)修了、修士(仏教学)。東京親鸞会(築地本願寺内)事務歴任。僧侶ではありません。 投稿は、仏教関係が比較的多いですが、社会から見た教団、寺院寺族への視点です。

最近の記事

Men Explain Things to Me

レベッカ・ソルニット著(邦題『説教したがる男たち』) 原著は10年前に出版されたものだが、今でもそのまま当てはまることばかりである。  特に気になった2章を取り上げるが、感想というか半ばは自分語りだということをあらかじめ断っておく。   第1章 説教したがる男たち  全9章からなるが、書名ともなっている第1章はmansplainingを広める端緒ともなっている。これを読んで感じたのが、このようなことをする人間の中には、必ずしも女性だけにこういう態度をとるのではない者もいる

    • 「読書百遍意自ら通ず?」(2)

       私は仏教徒である。浄土真宗本願寺派の門徒として帰敬式(おかみそり)を受け、第24代門主即如上人(前門さま)から法名を戴いた。  帰敬式では、三宝(仏法僧)に帰依する三帰依文を唱え、代表者が帰敬文を読む。そこには「親鸞聖人が明らかにされたみ教えを聞く」との誓いの言葉がある。この意味は、何か修行をするとか勤行(経典を読誦)するとかよりも「一にも二にも聞法」を重視するという教団の姿勢が表れている。  その聞法とは何かというと、所依の経典(浄土三部経)あるいは宗祖の著作(多くは

      • 「読書百遍意自ら通ず?」(1)

         昨年の春、独学でラテン語の勉強を始めた。教科書はいろいろ調べたすえ、最もよく使われているらしい、中山恒夫『標準ラテン文法 Classica Grammatica Latina』にした。屈折語はまず形態論だからサンスクリットに似ていて、それほど抵抗もなく進んだ。練習問題もそれほど難しいものでもなくこれはいけそうだと感じた。  秋には放送大学の面接授業で唯一のラテン語の授業があってこれを受けた。独学でやったところの復習的な感じで臨んだのだが、独学では見過ごした細かい記述の説明や

        • 『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』

          田野大輔、小野寺拓也編『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を読んでいる。 編者2名による少し前の著作『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? 』(岩波ブックレット )は煽りタイトル名のせいで話題となり、読んでもいない知識人がアサッテを向いて非難したりと騒がしい。こちらは、歴史研究者とアーレント思想研究者による分担執筆および対談が収録されている。改めて、従来流布している「凡庸な」アイヒマンという見方でよいのかを問うている。  「教えてくれる」のではなく「考えさせてくれる」本である。

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          興福寺奏状

           法然坊源空聖人の『選擇本願念佛集』は、その内容が知られると強い批判が起こった。その一つが、この『興福寺奏状』(以下『奏状』)である。 今までその存在自体は知っていたし、「九箇條之失」とか概略の内容はいろいろなところで何回も聞いてきた。しかし、現代の真宗門徒の立場で考えると「国家と癒着した旧仏教側が難癖付けてきて、これが朝廷による弾圧(承元の法難)のきっかけとなった」程度の認識でしかなかった。しかし、今回初めてその原文を読んでみた。  『奏状』を読んでみると、第六条、第七条

          興福寺奏状

          キケロ『老年について』

           本のタイトルを挙げたけれど読書感想文ではない。 日本には翻訳文化があって、外国語の書籍の日本語訳がたくさん出ている。おかげで外国語を学ばなくても、有名な古典から最近の話題本まで母語で読める大変ありがたい環境にある。だが、翻訳には役者の勘違いや理解不足に起因する誤訳もあれば、誤訳とは言えなくてもよく考えると意味不明なものも多くある。これは仕方のないことで、原文そのものがあいまいであったり言葉の使い方がイレギュラーだったりするのが原因であることも多い。 筆者も10代のころは、学

          キケロ『老年について』

          「多読」をしてみた

           「英語多読」という言葉があるのを知ったのは今年の夏である。 たまたま東京都からのメールで「都立高校の公開講座」というものがあることを知って、どんなことをやっているのかと調べていたら、「英語多読」という講座名があった。  ネット検索してみると「多読」とは、「辞書を引かない」「わからない語はとばす」「つまらなかったらやめる」という原則で、語彙数(Head words)でレベル分けされた薄い本(子供向けはLeveled Readers、大人向けの場合はGraded Reader

          「多読」をしてみた

          言葉について(1)音写語「ホロコースト」と「ジェノサイド」

           この数年、社会科学分野の本を読むことが増えてきている。そこで強く感じるのは、言葉を軽く扱うものが意外と多いことである。 他の分野、例えば自然科学や工学では、専門用語は関連する学協会によって定義されているのが普通であるし、英語等の外国語と日本語の対応もなされている。大きなものはSIやISOだが、様々な専門分野でもそれぞれ決めているのは、学術的な議論のみならず現実の取引に支障が起こらないためである。私見の範囲では、心理学、教育学、宗教関係なども比較的統一がされている印象があ

          言葉について(1)音写語「ホロコースト」と「ジェノサイド」

          放送大学について

           放送大学の全科履修生(継続入学による修業年限通算の認定で3年次相当)として昨年4月に入学した。それ以前は科目履修生や選科履修生として興味ある科目をつまみ食い的に履修していただけで入学資格や卒業要件などほとんど意識していなかったので授業以外のことはよくわかっていなかった。  もうすぐ全科科履修生としての初年度が終わり、4月から2年目に入ることになる。この1年間で様々な規定などがわかってきたので少し説明をしようと思う。  放送大学は名前だけは結構知られている(新聞のラジオ

          放送大学について

          自己紹介に代えて

           生まれ育ったのは、東京の下町のはずれ、戦災から急速に復興し始めたところに金日成の侵略による朝鮮戦争がはじまり、人々に数年前の戦争の記憶がよみがえって新築工事が軒並みストップした時期である。(これは親から繰り返し何度も聞かされた) 「日本は戦争需要で潤った」などと無責任な記述がいまだにみられるが、そんな暢気なものではなかった。韓国の大統領であった李承晩が日本への亡命を希望したほど、開戦時の韓国軍、国連軍の劣勢は覆い難かったようで、その戦況に日本国内での不安は相当なものだったよ

          自己紹介に代えて