自己紹介に代えて

 生まれ育ったのは、東京の下町のはずれ、戦災から急速に復興し始めたところに金日成の侵略による朝鮮戦争がはじまり、人々に数年前の戦争の記憶がよみがえって新築工事が軒並みストップした時期である。(これは親から繰り返し何度も聞かされた) 「日本は戦争需要で潤った」などと無責任な記述がいまだにみられるが、そんな暢気なものではなかった。韓国の大統領であった李承晩が日本への亡命を希望したほど、開戦時の韓国軍、国連軍の劣勢は覆い難かったようで、その戦況に日本国内での不安は相当なものだったようだ。
 プーチンのウクライナ侵略によって避難民が殺到しているポーランドやルーマニア、軍事力に脅かされているバルト三国やフィンランドなどの人々が抱いている不安はまさに他人ごとではない。

 自身を安全地帯において高説を垂れ流す輩とはそりが合わないのは、だから生来のものであると思っている。私が考え、書くものはすべて「自分ならどう考えるか、どう行動するか」をベースにしているから、批判はしても、「〇ね」とか「やめろ」とかの命令はしない。それは自信を絶対的な善の高みにおいて見下す他人を裁く「驕り」であるからだ。

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