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一冊の本から学んだ、心が軽くなる生き方について/最果タヒ 『コンプレックス・プリズム』


おうち時間で読書に勤しみました。

その中でも、私の人生が変わるきっかけになるかもしれない という一冊に出逢ったので、拙い書評と自己備忘録を兼ねてnoteにしようと思います。

しかし、人によって考え方や価値観は全く異なります。私がこの本を読んで感じた事や、普段から考えている事を文章化したものについて「私とは違うな…」と思う方もいらっしゃると思います。正解なんてないので、その場合は「こんな考えの人もいるんか〜」とぽやぽや読んでください。

あ、あとよかったら、ディズニーシーのアクアスフィアプラザナイトの音楽をBGMに読んでください…

今流しながら書いています…心が穏やかになる…




よしみんな、楽に生きよう。


最果タヒ
『コンプレックス・プリズム』
(大和書房,2020/3/15)


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1.わたし自身の特別性

まず目次を見た瞬間に、身体に電流が走った気がしました。そこに並んでいた、「天才だと思っていた」の文字。

わたしは、この世に存在する全ての人が天才の素質を持つと考えて生きてきました。誰にでも才能があると。だって、ご飯を早く食べ終えることができる人もいれば、自分の好きな音楽を選曲しそれを聴いて楽しむことができる人もいる。必ず、必ず誰しもが才能の持ち主だと思って生きてきました。勿論わたしも天から才能を頂いた生命体だと思っていて、それを2文字で表すと"天才"だと思っています。

本にはこんな言葉も書かれていました。「プライドが高そう」「傲慢」「自信過剰」

それに対する、

「自信でもないし、傲慢でもなかった。自信過剰で恥ずかしいなんて、コンプレックスに思っていた当時の私に、違うよ。と言いたい。」

の一文。

最果さんは「天才」を、この出来上がった世界に生きていくために、傑作を残そうとするのをやめない言い訳として必要な言葉だと書いていました。

わかる…

決して、人と比べて、自分の方が優れているとかそういう論点じゃなくて、わたしは 自分が生きていく上でモチベーションとなる必要不可欠な材料=「天才」だと思います。

そもそも、才能に大小など無いと言いたいです。持っている特性の種類が、ジャンルが全く違うのが人間じゃないのかな。よく個性っていうけど、個性の塊と言っても表しきれない。全く同じ部分なんて、人間同士には無く、頭から爪先まで個性で埋め尽くされていると思っています。

(あくまで、わたしの考えでしかなく、思想は人それぞれなので断定の表現は避けていきたいです。)

わたしは、わたしが人間関係で疲れてしまう理由を考えました。それは分かり合えないことに対して、が大きいのかなと。わたしはこう思っているのに、どうしてそう返してくるの?何故それをしてくれないの?

この本を読んで、分かり合えると思っていた事自体が浅はかだったと悟りました。
それは、決して意思疎通を諦めた訳ではないです。
分かり合える事って奇跡的なんだ…と学びました。

同じAという要素(視覚でも聴覚でも)を与えられたときに、
Bという経験に想いを馳せて、Xという気持ちが生まれる人もいれば、
Cという他者からの言葉によって、Yという感情になる人もいます。
XもいればX'もいると思うし、存在している人の数だけ思想や考えは生まれると思います。

ここで発生するのが"解釈違い"ですよね。
だって、さっきも書いたように考えを構成する要素が人それぞれだから、解釈も人それぞれ違って当たり前なのではないでしょうか。
どうしてそんな事を言うの?あなたはなんでこれを庇うの、おかしい!
そんな対立がよく起きているのを目にする度、だって人それぞれだもん 悪意があればそりゃ嫌な気持ちにもなるけど 人の考えまでは変えられないよ…悲しいな…と心の中でぼやいています。

だから、分かり合おうと頑張らなくてもいいと思います。相手の感情に一喜一憂してたら疲れちゃう。
完全に分かり合う事なんて滅多にできないことだもん。

しかし不思議なことに、何も言わなくてもお互いがどう考えているか分かってしまう人がわたしには何人かいます。
そういった人と自然に波長が合うから、無理をしてまで全ての人と分かり合う必要はないな、と思った瞬間から、心が軽くなりました。

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2.人生を逆走できるとしたら?

先日、わたしの好きだったドラマの再放送がされていました。2014年放送、バカリズムさん脚本の『素敵な選TAXI』ご存知の方はいらっしゃいますか。好きな分だけ時を遡ることが出来るタクシーのお話で、登場人物たちは時間を何度もやり直すことで様々な体験をしていきます。

ふと、考えました。
わたしが人生を逆走できるとしたら、いつに向かう?
じっくり考えた結果、戻りたくない が答えでした。
ざっと思い返しただけでも…なかなか本に書けそうなくらい波乱万丈な人生を送ってきた自信があります。

全ての経験があってこそ、今のわたしがいると思っているので、過去が嫌いな訳ではありません。
今この瞬間が最良だと思っているのです。
なので、現時点から振り返ってみて、どん底だったあの時も 当時は 今が最高!としていたと思います。

最果さんは本書でこう綴っています。

「あの頃の話が当たり前にできるということが、私には随分と救いだった。」

それだな、と思いました。
あの頃 を生きていたのも自分だし、それを振り返って今を生きているのも自分でした。
幼稚園の頃は良かったなぁ…学生の頃に戻りたいよ…と思っている今この瞬間も、数年後には戻りたいと懇願している一日かもしれません。生きている事で常に最高が更新され続けている。また明日がくる。そう考えると、ただ何もせず過ごす一日もいいかもしれない…と、心が軽くなった気がしませんか。


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3.仮面がフィットしてきたこの頃


わたしはよく、あなたになりたい!あなたっていいよね、悩み事無さそうだし。などと言われます。小学生の頃に流行ったプロフィール帳の「入れ替わるとしたら?」の欄に名前が書かれる度、頭にハテナを浮かべていました。なんでだろう、わたしめちゃくちゃな人間だよ…上手くやっていけてる事なんて一つもないよ…。

今、この本を読んで分かりました。

こうありたい、と思って行動している部分を特に見てくれていたのだな、と。


人間関係を円滑にする上で、誰もが仮面をつけていると思っています。わたしはあまり種類を持っていません。基本的に身内用、対外用の二つ。なので、対外に関しては誰に対しても素直にある程度の距離まで近付けます。
仮面の種類が多い人もいますよね。使い分けが出来る事って凄いと思っています。様々な人に対して、それぞれに合った気遣いが出来る。その分自身は疲れてしまうのに…。仮面の種類と同じくらい、自身へのご褒美もあって良いと思います。本当に。

そして、もう一つ大切なのが仮面の装飾、仮面自体だと思います。所謂自己プロデュース。なりたい人物像に最も近づける機会であるし、自分磨きでもあります。憧れのあの人を思い浮かべて、ちょっと仮面を磨いてみる。相手に見せる部分を磨くことで、より一層伝えたいこと、印象が伝わる気がします。

話は戻りますが、人間全て分かり合える事は奇跡的なので、本質の部分は別にさらけ出す必要は無いと思います。自分だけが大切に持っている部分があって良いと思います。それが、病んでる とか、内向的 とかそういった事では全くないと思います。

なので、自分だけがそっと内に秘めておきたい、大切にしておきたい本質の部分があって良いのではないでしょうか。本質の部分も見せたい!と思える人にも沢山出会います。その逆。少し苦手…どうも上手く付き合えない…という人に対しては、仮面の内は見せなくて良いと思います。

仮面と言うと、なんだか表面上だけで良い印象がしないかもしれませんが、段々自然と馴染んできます。初めは咄嗟に作った自分だったとしても、いつしかそれを付けている時が楽になってきます。それがなりたい自分に近付いている時だと思います。

「人が「親しく」なることが、決して「心をさらけ出す」こととイコールではないということは、確かであろうと今は思う。」

正直な自分で人と接し続ける必要は無い気がします。心の中にそっと大切な本質を持っていて良いと思うし、仮の姿だとしても仮面の自分で過ごしていて良いと思います。そのうち仮面がフィットし始めて、自然となりたい自分になれる日がくると考えると、人を必要以上に羨むことも無くなるし、いつの間にか心の重りが取れて身軽になっていました。


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4.人の数だけ優劣もある…何故?


隣の芝生は青かった。日々生活していて、人と自分を比べてしまう時ありますよね。Instagramを通じて、他人の素敵な生活を自分から覗きにいったりしてぼんやり過ごしてしまう時間。わたしは人と比べる事はとても良いことだと思っています。自分が生きていく上で参考にする事ができるし、他人から学ぶ事の多さは計り知れません。ずっと自分しか知らないでいる方が怖い。
でも、わたしは優劣というものに違和感があります。隣の芝生は青かった。青い方が良いの?枯れている方が良いと思う人もいる。隣と比較して青かったという事実を得た時、優劣をつけるという行為をする意味が無いと思っていました。

社会において、優劣が多すぎませんか。テストの点数、大会の成績、学んだ語学の数…。いつも疑問を抱いていました。人それぞれ生活している環境も背景も、心も違うのに、なんで一位から最下位まで縦に並べるんだろう。だって100点をとるより58点という絶妙な点数をとる方が難しいかもしれないのに。もしかしたら大会の記録でゾロ目を出すことに励んでいる人もいるかもしれないのに。人によって 優 と思うものは違うと思います。
AさんよりBさんの方が背が高いという事実があるとします。でも、そこに優劣はないと思いませんか…?Aさんの方が小さくて可愛いからモテる とか、Bさんの方が背が高いからカッコ良い とか、そんなの無いですよね。みんな良いと思う観点は違いますよね。比較するのは良い事だと思うけれど、優劣が生まれる事に違和感を抱いています。

「どうして、人はそれぞれ好きなものが違うのに、でもある程度は同じ美しさやかっこよさの評価基準を持ってしまっているのだろう。」

たしかに。

何故みんな「ダサい」と思うものは同じなんだろう。そこの、言わずと知れた一定の基準があってしまうことで優劣が生まれるのでは?
全員一致の基準なんて無いと思いました。人それぞれ違っていい。だから他と比べて悲観する必要は無いと思います。これは自戒も込めて。絶対に人と比べて自分が劣ってると暗くならないで。

優劣ってなんだろう。
この本を読んで考えるきっかけを貰いました。


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5.打倒!わたし!


先程優劣について考えましたが、優劣があることで生まれるのが競争だと思いました。向こうより上に行きたい!抜かされて悔しい!そもそも上の基準が人それぞれ違うっていう話になったばかりでしたが…。
いくら優劣を生まずに生活しようと思っても出来ないのが今の世の中です。受験、就活…決められた定員の中に滑り込まなければ後々人生が変わる出来事が多いです。もうそれは仕方がない事だし、社会で生きていく上で必死になる必要がある事だと思うので、そこについては心を落ち着けてやるべき事をやっています。

でも、絶対的な必要がなくて、精神を擦り減らすことになってしまう競争は出来ればしたくないです。少し振り返ると、蹴落とし蹴落とされの競争に巻き込まれたこともあるし、よく分からないまま妬まれ知らない間に対決相手にされていた事もありました。悲しかった。

わたしは競争相手を作らないようにしています。優劣の話に通じるものがあるかもしれないですが、人と比べることで自分の位置を把握したくないなという思いからです。
敵は己自身。まさにこれです。
目標を高めに設定する自分 と闘うのは その目標を達成しようと奮闘する自分 でしかなく、そこに他者を登場させる必要はないかな、と思っています。妬んだり、恨んだりという感情にはなるべく触れないで生きていきたいです。

でも、ライバルを作ることで自分を高める人もいると思います。時と場合によってそうである人もいると思います。
自分を超えるために奮闘し続けたい という考えは、わたしが楽に生きていくために本書から得たヒントです。

あの人はこんなにすごい事を成し遂げているのに、自分は何をやっているんだろう と負担を感じている人がいたら、その対象を自分に変え、自分で自分を倒してみようと動き出してみませんか…。人に向けていた羨望や嫉妬を、客観視した自分に向けてみると、不思議なことに気分が少しずつ軽くなっていきました。


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6.言語化快楽


本書の最後の項目に「言語化中毒」という見出しがいました。わたしが本書を手に取って家に持ち帰ろうと思ったきっかけの五文字です。言語化中毒。わたしにとって、馴染み深い言葉でした。

長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら、本当にありがとうございます。

わたしは視覚でインプットし、言語でアウトプットする人間であることは知っていました。世界史もノートに自分にしか分からないような絵を描いてインパクトで脳に焼き付けていたし、ライブに行っても座席からの光景をスクリーンに映し出せるくらい鮮明に記憶するように意識していました。そして、それを言葉にする事で、やっと自分の中に落とし込めるみたいです。
絵が上手な方のレポを見ると、伝えたい事が分かりやすく表されていて本当に感動するし、ピアノを弾いて音楽を蘇らせる人もいたりして、見ていて心が豊かになりました。それと同じで、わたしは頭をフル回転させて、数少ない語彙の引き出しから言いたい表現の言葉をピックアップして並べる事で、本当に脳で理解する事ができます。ただ、ニュアンスで言葉を選んでいるせいか、後から読み返すとスッと入ってこない分かりづらい文章になっている事が多く、自分自身の課題になっています。

あと、わたしは咄嗟の会話が苦手です。わたしの師、関ジャニ∞の安田くんみたいに「お餅が好きだからカチンって呼んで!」と脈絡も無く発してしまう事も多々あるし、言い間違いも多い。多分感情から言語になるまでのプロセスが長い。なので自分でも発した言葉の意味がよくわかってない時が多いです。
でも、ゆっくり文章にする事で、有難いことに、言いたかった気持ちが相手に伝わる形になってくれます。

「人間の中にあるものを、言語化していくことによって言葉もまた血色が良くなる、それはほんとう。」

最果さんは、自分の為に感性をフル回転させながら文章を作っていると書いていました。わたしも、ここまで書き終えて気付きました。誰かに伝えたいというよりは、この本が表した内容を 自分の言葉で文章にすることでわたしの中に落ち着けたかったのかなと。

言語化という行為が、わたしの心を軽くする一つのツールです。この本を読んで、似たような気持ちで文章を書いている人に出会えた事が、わたしにとって救いでした。 そして、そのアウトプットの仕方は人それぞれ。自分に合うアウトプットが見つかると人と接したくなります。伝えたくなります。わたしも長い生涯、大勢から沢山アウトプットを受け続け、自分に無いものに触れて生きていきたいな、と明るく感じました。

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世界中にこれだけたくさんの人がいても、全く同じ人がいないのって凄いですよね…。そりゃ生きていくのも大変だけど、その分楽しさもあります。

おうち時間が増えた大学生、人と接する事が制限されている現実。わたしはこの機会に、少し内側と向き合ってみました。相手は変えられないけど、自分の考え方は変えられる。いろいろ悩みもあるけれど、そういえばなんだかんだ乗り越えて22年間生きてきたんじゃん。
もっと楽に生きよう。好きなことをしよう。

一冊通して読んでみて、わたしが感じとったのは
「個」「孤」「独」「特」「違」「自」
というような漢字です。
寄り添ってくれる本 というよりは、私も一人だから貴方も一人で良いんだよ という本です。
もし、もし わたしと同じようにこの一冊に救われる方がいたらいいな…と思い、noteを書いてみました。ちょっとでも心が軽くなったらいいな…。

最果タヒ 『コンプレックス・プリズム』


わたしと似たような考えの方に是非お薦めしたいです。

みんな、楽に生きよう。

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