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【毒親連載小説#63】オーストラリア編 11〜中庸への道〜

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そんな時も
旦那の態度はとても冷淡だった。

彼は私の目も見ずにこう一言。

「だったら病院に
 行ったらいいじゃないか」

私はその言葉を聞いた瞬間、
グサリとナイフで
旦那を殺したいほどの衝動と
怒りに震えていた。

結婚したばかりの頃や
妊娠中までの彼は
私にとても優しかった。

子供はいてもいなくてもいいよ。

そんな優しい言葉を
そっと言ってくれた
彼だったからこそ、
私は二人の子供だったら育てたい。
もっと幸せになろう。

そんな気持ちで
二人の子供を望んだ。
しかし、実際に出産してみると、
現実は旦那は手のひらを
返したかのように
私をないがしろにし、
子供のことばかり…。

私は彼のあまりにも
大きなギャップに
心から失望した。

そんな彼の態度に
私はずっとこう思っている

「私はただ子供を
 産むために存在していたの?」

「子供を生んだら
 私はもう用無しってことなの?」

「私ってなんなの、一体?」

「私はただ普通な
 幸せな家庭生活が欲しかっただけ!
 それなのに一体、
 私が何をしたっていうの?」

こう考えると気分はまた落ち込み、
そして旦那を本気で恨んだ。

また、日常的に
育児に非協力的な
旦那に対して不満を募らせ、
私たちは毎日のように
夫婦喧嘩になるのだった。

すると、ある時、
ハッと気づいた。

それは、
私が最も忌み嫌っていた
暴力的な母…。

あの母と私は、
全く同じことをしている…。

そう考えると、私はまた
強い自己嫌悪に陥る…。

それでも待ったなしの
子育ては続く…。

そんな喜びのかけらも
感じない最悪な子育てだった。

私は次第に旦那に対して
完全に心のシャッターを閉じ、
自分の殻に閉じこもるように
なった。

誰にも頼れない私は、
どうしようもない状態に追い詰められ、
苦し紛れにインターネットで見つけた
とあるパース在住の日本人ヒーラーに
メールを送っていた。

こうやって私は
同じパースにいる日本人と繋がった。

この時、私にとって
心の拠り所は旦那ではなく、
オンラインでつながった人たちだった。

日本にいる古くからの大学の友人。

中国で私を妹のように
可愛がってくれたお姉さん。

そして、カウンセラー・コーチ
という心の専門家…。

私はオンラインという
時空を超えた空間で、
自分の内面とじっくりと
対話をしながら、
押しつぶされそうな気持ちに
ひたすら寄り添い続けた。

私はもがき苦しみながらも、
こうやって心から寄り添ってくれる
仲間の温かいサポートによって、
産後うつという
危機的状況は
どうにか乗り越えることができた。

(つづく)

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