広告から“公告”へ、真にクリエイティブな「公共広告」の世界【杉山恒太郎対談1/3】
※読みやすさを考慮し、発言の内容を編集しております。
********************
TOAがつないだ二人の出会い
小林弘人(以下、小林):本日は、杉山恒太郎さんにお越しいただきました。
杉山恒太郎(以下、杉山):どうもみなさん、初めまして。今日はお呼びいただき、たいへん光栄に存じております。
小林:いえいえ、本当にお越しいただきまして、ありがとうございます。杉山さんは昨年に書籍を刊行されまして、光文社新書から『広告の仕事』(※1)というタイトルの書籍ですね。
杉山:そうなんです。この本で僕は、もともと社会と希望について伝えたくて、最初にイメージしていたタイトルは、『プロボノ(※2)のすすめ』だったんです。そこから担当編集者の提案で、過去に僕が書いてきた本から興味のある内容を再編集して盛り込みたいと話が広がりまして。それで『広告の仕事』というタイトルになったんです。
小林:なるほど。
杉山:それもあってか、出版したあとの反応を見ると、次のビジネス、ビジネスセンスのヒントになるとおっしゃってくださる方がけっこう多くて。
本当に内々で、昨年末に知り合いが出版記念パーティーを開いてくれたんですが、そこに来ている人もやっぱり、広告業界の人というよりも、データサイエンスの第一人者である安宅和人さんとか、博報堂DIYメディアパートナーズの社長である矢嶋弘毅さんとか、スタートアップの青年たちが何人か来てくれていたりだとかで、むしろ広告業界以外の方の反応が印象的でした。
小林:サブタイトルとして付いている「広告と社会、希望について」という言葉も、本の内容を表していますね。
杉山:具体的には、ボランティアとも違う、「プロボノのすすめ」ですね。われわれクリエイティブの人間というのは、一種の職能人ですよね。その職能を活かすボランティアのすすめを書いたんだけど、その先にあるビジネスに対する未来観も込めています。そういうことをこの本から汲み取ってくれる人がいるので、うれしいなと。
小林:今日はこの本を中心に、杉山さんのクリエイティブにも触れてみたいと思いますが、まずは事務局のほうから、二人の出会いから語ってくれというオファーがありまして。
杉山:小林さんに出会えたのは、私にとってめちゃくちゃラッキーで。新しい世界を小林さんから示唆していただいたことは間違いないです。もともとはベルリンのTOA(※3)で知り合いましたよね。
小林:はい、そうでしたね。
杉山:それ以前からお名前は知っていたんだけど、TOAでフィジカルに初めて出会った。そもそもTOAになぜ興味を持ったかというと、広告の仕事の最先端にテクノロジーがどんどん入ってくるなかで、「AIだ何だというところで、どうするんだクリエイティブは?」 ということを、その前にSXSW(サウスバイサウス・ウェスト)に参加したときにも感じていたんです。ちょうどシンギュラリティーが話題になっているころで、広告の仕事はもうAIに全部持っていかれるんじゃないかというくらいの議論がむんむんしているとき。
それからヨーロッパでは、2016年にGDPR(※4)が成立しましたよね。General Data Protection Regulation。この間、小林さんとお話して、これはフランスから来たセンスなんだとうかがって、なるほどなと思いました。それは小林さんから聞いてあとで知った話だけど、当時GDPRの中にある、「人には忘れ去られる権利がある」という言葉にめちゃくちゃ感じちゃったんです。
小林:哲学的ですよね、「忘れられる権利」という発想は。
杉山:やっぱりアメリカ人ともまた違って、ヨーロッパ人はプライバシーをより大事にするし、これは大人のセンスだなと。「人には忘れ去られる権利がある……確かに!」「そこを突いてくるんだ!」と思ってね。
それでヨーロッパのほうから今何が起きているのか、アメリカのGAFAを中心に起きていることがヨーロッパからはどう見えるのか。そういうことにすごく興味があったんです。それでTOAに参加させていただき、小林先生にごあいさつしたと。
小林:いえいえ。めっそうもないです(笑)。参加リストを見たら、大御所の名前が載っているので、「本当にご本人ですか?」って驚きましたよ。旅行中にもいろいろとお話をさせていただいて、私も非常に刺激を受けましたし、他のメンバーも刺激を受けたと思います。
……というような経緯が、二人の出会いですね。
杉山:僕が参加した年は、ちょうどバウハウス(※5)創立100年の記念すべき年でもあって、バウハウスとしても特別なイベントをやっていました。実はライトパブリシティは、もとをたどると名取洋之助という人に行きつくんだ。名取洋之助は戦前にドイツに行って、間違いなくバウハウスの影響を受けて帰ってきて、それで生まれたのがライトパブリシティなんです。そのことも含めて、運命というか、なんとラッキーなことだろうと思って。
ベルリン視察ツアーは、僕にとって次のステップのための刺激になって、自分の中のマインドセットを変えるのに有効に働いて、何もかも充実した日々でした。あらためてありがとうございました。この本にも、ささやかな感謝の気持ちとして、最後のあとがきにお名前を入れさせていただきました。
――――――――――
※1 『広告の仕事』
『広告の仕事ーー広告と社会、希望について』杉山恒太郎/光文社新書/2022年11月
※2 プロボノ
ラテン語「Pro Bono Publico」を語源とする言葉で、社会的・公共的な目的のために、職業上のスキルや経験を活かして取り組む社会貢献活動。
※3 TOA
「Tech Open Air」の略称。ベルリンで開催されるヨーロッパ最大規模のテクノロジー・カンファレンス。「欧州のSXSW」とも呼ばれる。インフォバーンが日本公式パートナーを務め、TOA参加を含む視察プログラムを実施。
※4 GDPR
「General Data Protection Regulation」の略称、一般データ保護規則。EUで2016年に制定、2018年5月に施行された個人データの保護と取り扱いについて規定した法令。「忘れられる権利」なども盛り込まれた。
※5 バウハウス
第一次世界大戦後の1919年にドイツ中部のワイマールで設立された美術学校。美術、工芸、建築などに関する教育を行い、世界のデザイン界に大きな影響を与えた。
銀座のためのプロボノが、社員を大人にした
小林: こちらこそご参加いただいて、本当に光栄でした。そうしてベルリンから帰られて、プロボノ活動を……と、その前にまずコロナ禍がありましたよね。それもすごく大きかったと思うんですけど、そのプロボノ活動に取り組まれた経緯について、ご自身からご説明いただけますか。
杉山:Covid-19については、まだ3年前は得体の知れないものとしてあって。今は8000人だ、1万人だってふつうに言うけど、あのときは100人、200人と言われるだけで、日本人は青ざめていましたよね。その青ざめたど真ん中で、銀座というのは日本でいちばんのゴーストタウンだったと思うんですよ。銀座って住んでいる人が少ないし、生活感がない街なので、信じられないくらい人がいなかった。銀座のど真ん中にある数寄屋橋にふっと夕方立っていたら、僕しかいなかった……。
小林:これは冗談でもなんでもないですよね。僕もそのころ仕事で行ったら、朝にカラスしかいなかったのでビックリしました。
杉山:ここでカラスやネズミが襲撃して来たら、僕は誰にも知られずに消えるなと思って。本当に、それくらい怖かったんです。
ライトパブリシティという会社は今年で72年目なんだけど、ずっと銀座に拠点があるんだよ。いちばん有名な仕事は、東京オリンピックのアドワークでしょうか。
それで、僕はライトパブリシティに入社して12年目だけど、寝る場所ではなくてもほぼ自分の時間は銀座で生活してきたので、いつのまにか銀座の老舗の旦那衆とは仲良くなっていて。いまでも銀座の町を歩いていると、「元気?」「コーヒーでも飲もうよ」ってウナギ屋の女将さんから声をかけられます。
そういう住人の傍らに入れてもらったなと思っていた矢先に、コロナ禍が来たんです。そこでの彼らの戸惑いはすごかった。だって、一人もいないんだから。
小林:銀座は意外と、下町っぽい感じなんですね。
杉山:めっちゃ下町なんですよ。主人が店先でウナギを焼いていたり、テーラーメイドのスーツをつくるような呉服屋さんだったら、主人が客の目の前に出て布を切っていたりという。
逆説的に言うと、僕は日本でいちばんの田舎だと思っている。意外と田舎の良さがあるんですよ。航空写真で撮ると、周囲は高いビルに囲まれているんだけど、銀座だけは高い建物を建てさせないので、そこだけ「盆地」みたいになっている。航空写真だと銀座って、たいして広くないんだよ。実はそこだけだと、田舎の盆地に暮らしている感じがするんです(笑)。
それでわれわれ自身、70年以上も銀座から一歩も出たことがない、銀座が育ててくれたデザイン会社でもあるので、なんとかコロナ禍で苦境に立たされている彼らを応援できないかなという想いがあったんです。
そんなときに、店先に「テイクアウトあります」ってチラシが貼られているのを見かけて。老舗の洋食屋なのに、ハンバーガー定食とかを自分で写真を撮って貼っていてさ。だけど、みんな素人だから、その写真があんまりおいしそうじゃないんだよね。文字も手書きでちょっと汚い。
そこで、「そうだ、デザインというものでなら、僕らにも応援できるな」と。われわれは、お金で何かを応援できる身分ではないし、そもそもそんなことはできない。だけど、デザインでならとふっと思いついたんだよね。それで、何人かの中心的な老舗の若旦那衆に来てもらって、「今年いっぱいは、ことデザインに関してはすべて無償で協力するから、言ってくれ」と話して。
「プロボノ」という言葉は知っていたんですけど、それで「そうか、これがプロボノの実践なんだ!」と思ってやってみたら、予想以上に若手のデザイナーとかコピーライターとかが、その活動に喜びを感じてくれて、一気に二回りも三回りも大人になって、良い意味で人間が大きくなりました。それがすごく感動的だったんです。
まだプロボノという言葉も浸透していないし、それを広めたい気持ちもあって、そのことを中心に本では書きました。
小林:プロボノというのは、プロフェッショナルな人が、自分のスキルや経験を使って、ボランティアベースでプロジェクトに参画するというものですね。
杉山:そうです。もともと経理・財務とか、弁護士とかが始めたみたいね。
公共広告とは、広告の広告である
小林:そういったプロボノ活動とともに、杉山さんはもう一つ、カンヌ国際広告祭(※6)で審査員をやられていて、そこで日本の公共広告(※7)がどうしても手薄になっているんじゃないか、とクリエイティビティも含めて思うところがあったそうですね。
杉山:そうなんですよね。そこそこ若くして国際審査委員に選ばれて行ってみたら、その当時は日本とアメリカが圧倒的な量の広告を出品していたんです。エントリー数も半端じゃないんだよね。
審査というのは、3つくらいの部屋に分かれた真っ暗な試写室の中で、だいたい3000本くらいを見るんですね。ダーッと食品だ、飲料だ、化粧品だって流れるなかで、国の名前も出てくるんですけど、「U.S.A」と「JAPAN」が多くて、いかにアメリカと日本は消費者社会なのかがわかる。
ところが、公共広告となると、要はチャリティということで、プスッとさっきまでワンワン飛び込んできた「JAPAN」の名前が消えるんです。それがめちゃ恥ずかしいなと思ってさ。さすがに「U.S.A」は公共広告にもなかなかの傑作を出しているんだけど、われわれ日本だけがパッと消えて。
あんなに大騒ぎで消費しているのに、公共広告のところにはまったく出てこないというのは、ちょっと格好悪すぎるなと思って、それで公共広告に取り組むようになりました。次の年も審査員だったので、自分でつくってリベンジしようと思ったんです。
そこからいろんなことを考えました。ひとつは「サービス」という言葉。カタカナで「サービス」というと、「おい、サービスしろよ!」みたいに、無料とかまけろとかってニュアンスがあるじゃない。「モーニング・サービス」っていったら、コーヒーについてくる、あのゆで卵のイメージでしょう。
公共広告は、英語だとパブリック・サービス・アドっていうんだけど、それが「公共広告」と日本語に訳したときに、「サービス」という真ん中の言葉が消える。つまり、「サービス」という概念が、基本的に僕たちはわかっていないということなんだ。
「サービス」っていったい何だろうと考えると、本当は対価をともなう行為だと思うんだよね。チップのない国って、基本的にサービスがわかっていないんじゃないかという説もあるんだけど、公共広告とパブリック・サービス・アドの違い、公共がするサービスとは何か。そういうことを考えた。
あと、なんで世界では、著名なクリエイターとか、有名なアド・エージェンシーが、必死になって公共広告の傑作をつくろうとするんだろうかという疑問がありました。社会的なブランド価値を認知させるために、立派な公共広告をつくるというのはあるんだけど、それだけじゃなくて、公共広告は「広告自身の広告」なんだということに気づいた。
たとえば、エイズが流行していたとき、エイズに対する恐怖心を煽る風潮があった。それでエイズ患者に対して、社会的にあの人はだらしない生活をしているんだとか、マイナスのイメージがあった。そうすると、おっかなくてカミングアウトできないじゃない。でも、エイズって空気感染するものじゃないじゃん。だから、その社会的な価値転換のために、「別に特殊な遊び人たちだけが罹っているわけじゃないんですよ」っていう公共広告のキャンペーンも生まれたんです。
つまり、社会的な価値とか通年の転換というのを広告でやったんですよ。そのときに、広告というのは力を持つものなんだなということを社会に示すことができた。
公共広告っていろんなものがあって、交通事故であるとか、飲酒運転であるとか、ドラッグであるとか、どれもそれなりの効果を出している。「そうだ、『広告が社会的な成果を出す』ということは、『広告という存在は社会的に有効なモノだ』と伝えることになるんだ、『公共広告は広告の広告をすること』なんだ」と気づいた。
だから、僕が公共広告に取り組んだのも、何も突然、社会正義に燃えてやったわけじゃないんだよね。
小林:社会に対する義憤として、突然めざめたわけじゃないんですね。
杉山:あとね、広告というのは、笑顔しか見せちゃいけないという不文律があるじゃない。絶望した顔とか、泣いた顔とかを映すことはあまりなくて、基本的に人がハッピーな状態しか見せられない。ところが、公共広告というのは、病気であるとか、死であるとか、交通事故であるとか、人種差別であるとか、人間のネガティブなものをテーマにして広告にすることができる。それはね、クリエイターとして、めっちゃ面白いことなんだよ。ほとんどアートに近いというか。
小林:なるほど。暗い部分、負の部分を見つめて、それをどうやって表現手段に昇華するか。
杉山:広告というスタイル――限られた秒数、限られたスペース――で、それを伝えるというのはものすごく面白いんだよ。ふだんの笑顔しか出せないということには不自由がある。それが、ダークサイドをテーマにして広告をつくることができるので、これはクリエイターにとってすごく面白い。
小林:僕がすごく感心した広告がありまして、たしかコロンビアのエージェンシーが製作した政府のキャンペーン広告で、分解されている拳銃を子どもが組み立てる時間を測るんです。同時に、壊れているおもちゃを直す時間も測る。すると、銃を組み立てる時間のほうが圧倒的に早い、という広告です。これは、家庭で孤立することで、ギャングになる子どもたちが多いので、もっと話し合いの時間を設けるべきだと訴える広告でして、確か賞も獲っています。
杉山:たぶん僕も知っている広告ですね。そうした手法が鮮やかじゃないですか。限られた時間の中で、いちばん伝えたいことのエッセンスを、何をアナロジーにして伝えるか。「子どもにとって親しみがあるのは、本当はおもちゃなはずなのに、えっどうして?」って、まさにそれはアナロジーじゃない。われわれクリエイターにとって、そのアイデアを見つけた瞬間の喜びったらないんですよ。
小林:僕が感動したのは、それを実際に実在する子どもにやらせていたんですよね。要するに演出じゃないんですよ。なおかつ、実際にそれを放送したあと、親の間で認知が上がったという成果を出しているのがすごい。結局、家族で話し合ったり、家族の時間がつくれたりできれば、ギャングに流れていかないという視点でつくられたキャンペーンなんですね。
杉山:いまのお話で思い出したけど、コロンビアの広告で、山岳のゲリラに「町に出てこようよ」って呼びかけるものがありました。
小林:あっ、ありましたね。
杉山:その広告では、森にイルミネーションをつくって、クリスマスソングを流しているの。それでゲリラに「出ておいでよ」って。怖い世界に対してロマンチックなアイデアで郷愁を誘ってね、うまいことやるなって思ってさ。そうした傑作は世の中に、山のようにあるんですよ。
――――――――――
※6 カンヌ国際広告祭
現・カンヌライオンズ 。世界最大級の広告賞で、毎年フランスのカンヌで開催され、世界中から広告作品が出品される。杉山恒太郎は1990年代に、国際審査員を3度務めた。
※7 公共広告
企業や商品の宣伝ではなく、社会への啓発を目的にした広告。日本では特に、ACジャパンなどが公共広告のキャンペーンを展開している。
********************
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?