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社会には自分と他人しかいない

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人間関係の記事をピックアップしていきます。不定期。
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#コラム

絶対王者

前回、前々回からの続き 常識的に考えれば購入者は食べるためにアイスクリームを買う。また、アイスには甘さを求めている。ストロベリー味が欲しいときにバニラを選ばない。商品説明欄に表示されている内容量には納得している。 そういう常識的な購入者が星の評価をつけていると仮定している。暗黙のルールと言ってもいい。たとえば星4つの評価なら常識的な購入者の多くが何らかの不満を持ったということだ。 何が不満だったのか気になってレビューを見てみた。 ★★★★☆ 価格相応 マジか。それ

星の数

前回からの続き 人気投票が不公平な合計点であるなら、それを平均点にしたものが五つ星評価である。平均点なら審査員の数が少なくても注目選手と対等に渡り合える。極端に少ないと少数意見に左右されやすいという難点はあるものの、不公平を解決したのは大きい。 システムとしては完成形に近いと思われる。あとは使い方次第だ。 アイスが溶けていたので星1つです! ネットショップの商品レビューでたまに見かける。気持ちはわかる。楽しみにしていたアイスクリームが実際に届いてみたら段ボールが湿って

好評発売中?

他人の評価が気になる。自分がどう思われているかではなく、自分と同じものを見た他人がどう思っているのかを知りたい。当事者と第三者の視点を比較しても得られるものは少ないが、第三者同士の比較なら多くの発見があるはずだ。 人気投票はもっとも身近な評価システムだと思う。売り上げランキングや住みたい街ランキングなど、順位がつけられているとそれだけで目を惹く。キッチン用品の一番人気を知ったところでどうせ買わないのに結果だけは気になってしまう。 しかし、人気と評価は似て異なる。リピート買

隣人でありたい

僕の考える理想の人間関係は隣人である。 聖書の「隣人を愛せよ」とは関係ない。僕は信仰を持たない。自分の心の声を聞いて考えることしかできない。そもそも愛の話はしていない。依存の話をしている。 僕が想定する隣人は貸し借りをしない。採れすぎた野菜をお裾分けしたり、お醤油が切れれて少し借りたり、玄関先まで荷物運びを手伝ったりしても、翌日にはお互いが忘れている。余剰があるから助けただけだ。無ければ頼まれても断るし、助けられる側も気兼ねなく辞退していい。 隣人は干渉もしない。家族構

自分さえ良ければそれでいい。 人間は元来そういうふうに出来ているのだと思う。それを倫理観とか善悪の価値観で矯正しようとするから歪みが生じてしまう。かつての思いやりに欠けた自身の行動を誤った方向で悔やんだりする。 友人にイラストを描いてもらう機会があった。その人は趣味で絵を勉強していて、絵心のない僕には到底出せないクオリティーで仕上げてくれた。が、本人は満足していなかったようで、別の人にお願いしてくれたらしい。 後日、その絵描きさんが描いた別案を見て僕はこう言った。 「

少数派の憂鬱

道の真ん中を歩いている人が、端っこを歩く人の気持ちに寄り添うのは難しい。 まだ人が少ないうちは見通しがきく。が、混雑してくると彼らの周囲には同じように真ん中を歩いている人しかいなくなる。人垣の先にいる端っこ勢の姿は見えにくくなる。 見えているものだけが世界のすべてではない。頭ではわかっていても見えないものに意識を向け続けるには相当のコストがかかる。見える範囲だけなら目指せたはずの幸せに手が届かなくなる。 舌打ちが聞こえても僕はその人を責められない。

信じる者は救われる

信じることが美化され過ぎている。 「私はあなたを信じています」 なんてセリフをキラキラした瞳で真っ直ぐに見つめながら言われたら、雰囲気に流されてキュンとしてしまうのは無理もないことだとは思うが、これって要するに 「考えることをやめました」 と言っているに等しい。十分な材料を集めて自分で判断するのが難しくなったから諦めて全部お任せしますと白旗を上げているのだ。 現実的に直面する問題に対してすべて自分の頭で考えていたら時間がいくらあっても足りない。相手の能力が高ければ自

むっつりスケベ

誤解といえば善人ムーブ以外にもひとつ思い出した。 僕はたぶん性的なことに興味がないと思われている。80億人もいるんだから性に関心を持たない人間のほうがよほど少ないと思うが、その圧倒的少数派に数えられていた節がある。というか、そう見られるように振る舞っていた。 小学生までは無邪気に下ネタやエロ話をしていた。中学に入ってもそれは続いたが、ある日クラスメイトの一人からこう言われた。 ○○君はそんなこと言っちゃいけません! え、なんで?他の子はいいの?あなたは僕のお母さんな

月が見たい

ある冬の日の夜、コンビニを出て家に向かう途中で月が出ていることに気づいた。雲ひとつない濃紺の夜空に煌々と輝く銀色の月。ひんやりと澄んだ空気を吸い込むと月の光が全身に巡るような感覚を覚えた。 見上げればきっといつもより綺麗な月が見られる。歩きながら揺れる視界の端っこで捉えるのではなく、立ち止まって正面からじっと眺めたい。たったそれだけのことが僕にはできなかった。 ほかに通行人がいた。僕が足を止めることでその場に緊張が走るのが嫌だった。夜道を向こうから歩いてくる人影が突然立ち

善人ムーブ

困っている人がいたら手を貸す。 はたから見れば善人に見えるだろう。 もうほとんど人付き合いをしていないが、おそらくこれまでに出会ってきた人の多くは僕のことを善人だと誤解している。最近まで自分でもそう思っていたくらいだから無理もない。あとたぶん善人顔なのだと思う。 困っている人を助ける人が必ずしも善人とは限らない。 助けた後で見返りを求めて、それが断られると 助けて損をした などと言い出す人を善人とは呼びたくない。 善人だと思われたくて人を助ける人も善人ではない。自分が

兄弟

債務者向けのネット広告をあちこちで見かける。現実にカードの返済で困っている人はそれなりにいるのだろう。それがごく身近なところにいたという事実は少なからずショックだった。 ともに似たような環境で育ってきたのだから僕と同じくらいには平穏な幸せを弟たちも享受しているのだと思っていた。いや、平穏だけが幸せではないし、彼らには彼らなりの幸せがあるのかもしれない。そうであって欲しい。 もう遊んであげないよ。 幼少期に僕が弟たちによく使っていた言葉だ。そう言って日常的に彼らを従わせよ

安全マージン

わりと最近までクレジットカードを持たずに生きてきた。借金してまで急いで買いたいものがないからだ。お金を借りるということは返済義務を負うということ。それはまさしくカード会社との依存関係にほかならない。ここ数回の記事で書いているように依存は極力減らしたい。 プロバイダとの契約に必要だから仕方なくカードを作ったが、分割払いを利用する気はまったくない。一生使わないと思う。利息を払って自分の未来を拘束されるなんて馬鹿げている。リボ払いに至っては返済を長引かせたいカード会社の魂胆が見え

恩知らず

前回からの続き 注目を避けることでシステムに組み込まれるリスクは減る。が、人は生まれた瞬間から何らかのシステムに属している。多くの哺乳類がそうであるように赤ん坊は一人で生きられない。システムによる支援が不可欠であり、それは一般的に家族と呼ばれる。 自分のことが自分でできるようになったのは自分の力ではない。いろんな人たちに助けられて成長してきた。それに対して優劣をつけることはできないが、やはり家族は特別な存在だった。一緒に過ごした時間が圧倒的に長く、とくに幼少期の影響は計り

歯車になりたい

小学校で整列をするといつも先頭になって居心地が悪かった。背が低いことを気にしていたのではなく、前へならえが後ろの全員と違うのが嫌だった。三月三日の誕生日。珍しい苗字と初見じゃ読めない名前。注目されやすい特徴のすべてを心のどこかで呪っていた。 今はそうした特徴もそれを嫌っていた自分も肯定的に捉えている。ただ、目立ちたくないという気持ちは一貫して変わっていない。空気になりたい。群衆に溶け込みたい。お前の代わりなんていくらでもいると思われていたい。 注目は期待と同義である。人は