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歯車になりたい

小学校で整列をするといつも先頭になって居心地が悪かった。背が低いことを気にしていたのではなく、前へならえが後ろの全員と違うのが嫌だった。三月三日の誕生日。珍しい苗字と初見じゃ読めない名前。注目されやすい特徴のすべてを心のどこかで呪っていた。

今はそうした特徴もそれを嫌っていた自分も肯定的に捉えている。ただ、目立ちたくないという気持ちは一貫して変わっていない。空気になりたい。群衆に溶け込みたい。お前の代わりなんていくらでもいると思われていたい。

注目は期待と同義である。人は注目した対象が特別な何かでなければ失望する。他人の期待にいちいち応える義理はない。しかし、拒む理由もとくにない。どんな石ころでも磨かれれば光るもので、特別な石ころには特別な居場所が与えられる。

替えの効かない部品は依存される運命を背負う。システムの維持に必要不可欠な部品が勝手に壊れることは許されない。まあ、実際は壊れても何とかななったりするのだが、一時的にでもシステムが機能不全に陥るのが怖い。責任感というより強迫観念に近い。

誰かから必要とされることには確かに喜びを感じるが、同時に煩わしいとも思ってしまう。そうならないために注目を避ける必要がある。