#6 ブッタガヤ渡航記2
カーストという束縛。無邪気な笑顔。
その後交流したのは日本の小学生低中学年くらいの子供たち。私たちとは異なる同年代の日本人団体がすでに1週間滞在し、子どもたちと心を通わせていた。私たちが訪れた期間は、ホーリー祭という身近な人間に色の付いた粉末等を塗布し合うというインド伝統行事の時期だったこともあり、子どもたちと一緒にカラフルな色にまみれた。
お話を聞いていて何よりも印象的だったことは、それまで多くの人から「カーストは無い」「色々なカテゴリの人が共存した社会になってきている」と伺ってきていたが、それは都市部での話で、田舎ではこの時代になってもインターネットが無かったり、女子生徒が学校に通うことを親が許さなかったり、自分の名前以外の文字が読めないために悪意を有する者に騙されて契約をさせられてしまい土地を手放さざるを得ない状況に追い込まれたり、カーストがより低い人と同じ環境に入ることを許さない人が一定数いるといった話の数々だ。
しかしそんな子どもたちに重くのしかかる環境の重圧とは裏腹に、彼らの目は生き生きとしていた。「ハッピーホーリー!!」と言いながら小さな手で私の頬や額に彩りを与えてくれる彼らはとても楽しそうだった。この目のキラキラを守りたいと仰った百瀬さんの気持ちが少し自分にも理解できたような気がした。
聖地を巡って
その後は街の観光。仏教の街なだけあって身なりや外見、人相がそれまで滞在していたコルカタの町とは大きく異なっていた。タイ系寺院やチベット系寺院、ミャンンマー系寺院、そして日本系の寺院等様々な系統のお寺がある。その中の一つ「印度山日本寺」というお寺を訪ねた。解読不能なヒンディー語が蔓延るインドで見慣れた漢字を目にすることに多少の悦びを覚えた。建築様式や形状も日本でよく見かけるお寺そのもの。さらに面白いことにお寺の眼前にそびえ立つホテルの名前は「HOTEL TOKYO VIHAR」。言われてみれば他のインドの建物よりは外見が日本らしさを感じなくもないような建物だった。
そしてブッダガヤが有する世界遺産、「マハボディ大菩薩」に訪れた。以前テロがあったとのことで空港のような警備態勢が敷かれていた。カメラの持ち込みが有料、スマホの持ち込みが全面禁止だった。仏教の最大の聖地ということもあってコルカタでは付近で1番短髪だったはずの私の髪が長髪に感じるほどしっかりと剃られた坊主の方が多かった。また様々な形で祈りを捧げる様も見学できた。極めて敬虔な仏教徒の方だろうか、日本ではまず見たことのないお祈りのスタイルだった。
その後は、同じ学生団体S.A.L.の別のチームとしてインドにスタディーツアーを行ったメンバーと合流して、夕食を摂りながらそれまでのエキサイティングな体験を分かち合った。ホテル帰着後はオーナーさん御一家と団欒タイム。5歳くらいの女の子が熱中していたスマホゲームでの指捌きには舌を巻いた。皆さん日本語を勉強中とのことで、勉強した日本語を一生懸命披露してくれる姿が忘れられない。そんな一時足りとも我々の記憶から消失することのない濃厚すぎた20時間のガヤでの思い出を背負って、午前1時発バラナシ行きの寝台列車に乗車した。私たちに衝撃を与え続けてくれたガヤという街は、来たる翌日のホーリー祭当日に向けて着々と準備を進めていた。
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学生団体S.A.L.とは
国際問題啓発団体を自称しているが、実態として活動の幅はより多岐にわたる。フリーマガジン制作や、ドキュメンタリー制作、インタビュー活動から教育支援活動まで、多様で幅広い活動を行う10プロジェクトからなり、長期休みには、国内外のスタディーツアーを実施している。色々な視点、色々な方法で世界を肌で経験し、自分の世界を広げることができることのできる場所である(寄稿者主観)。
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