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天才だと思われたいみたいだけど、そんなにだぜ。

天才と思われたい人たちは、僕らの目の前に急に現れて、自分が天才であることを教えてくれます。

天才と思われたい人の出現率が高いのは、学校のテスト。

「全く勉強してないよー。テスト範囲ってどこ?笑」

そんなことを言いながら、テストではだいたい良い点を取っています(笑)。勉強しないで良い点を取っているんですから、それは天才的です。

僕はそういう人に憧れていました。そんな天才が世の中にはゴロゴロいて、凡人の僕は何をしても敵わないのだと諦めていました。

しかし、大人になるにつれて、そんなのはあり得ないことだと気づきます。テストの日になったら、空から知識が舞い降りてくるのはおかしな話で、天才を自作自演しているとしか思えません。

なので、いい年して天才ぶってるのは、めちゃくちゃ恥ずかしいことだと思いました(笑)。それから僕は、天才ぶるのをやめようと思いました。

「勉強した?」ときかれたら、「結構勉強したよ」と答えることにして、学校生活を過ごしてきました。点数を取れないとしても、そっちのほうが恥ずかしくないです。

しかし、僕が多少点数が取れなかったりすると、“めちゃくちゃ勉強してるのに、点数がとれないダサいヤツ”という肩書きを与えて、僕の努力をバカにしてきたり、痛々しく思ったりする人が出てきます。

そしてそいつらは、自分が優越感に浸って気持ちよくなるわけなんですが、それで自分を天才だと決めつけるには早すぎると思います。

だって、実際に僕がどれぐらい勉強したかは分からないはずです。僕と24時間一緒に過ごしているのなら分かるんですが、この人はあくまでも僕の言葉を信じて判断しただけ。もしかしたら、僕より勉強している可能性だってあるんです。

しかも、僕とだけの比較で判断するのも、結構危険な話です。天才だと思うには、もっと偏差値の高い学校で判断するべきです。たかがこの程度で、自分を天才だと思って世の中に出ると、他の人のレベルの高さについていけないでしょう。

そして、そもそも努力の時間が短ければ素晴らしいという話でもないです。もちろん、努力の時間が短い方がお得ですが、だからといって素晴らしいということにもなりません。点数は取れていないけど、努力の時間が長い人は、たまたま自分の勉強した範囲がテストに出題されなかっただけなのかもしれません。

つまり、自分を天才だと思うことに、何のメリットもありません。しかし、人間は誰だって楽したいものなので、自分が努力しなくても成果を上げられる“天才”だと思いたいです。

なので、そんなことを考えてしまったら、自分自身にこう言います。

天才だと思われたいみたいだけど、そんなにだぜ。

天才という甘い幻想をお別れした方が、ずっと幸せです(笑)。

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