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「将来の夢」なんて書きたくない。

僕は小学生の時から、将来の夢を語るのが好きではありませんでした。

当時はサッカー部に入っていたので、とりあえず「サッカー選手」と書いたりして、その場を凌いでいましたが、サッカー選手を本気で目指していた時期なんて、僕にはありませんでした。

これは、当時の僕に「夢」がないから書きたくないというわけではなく、「夢」が明確にあるからこそ、書きたくなかったのです。

僕はずっと、テレビやラジオが好きだったので、放送作家になりたかったのですが、世の中の大人たちはその背中を押してくれることはありません。

「そんな職業は安定しないし、そもそも才能が要るし。悪いこと言わないから、公務員にでもなりなさい。小中学生のときに夢見るぐらいならいいけど、ある程度大人になったら、もうちょっと現実的に考えないと」

僕が夢を語ったところで、こんな言葉が返ってきます。もちろんこれが、「警察官になりたい」とか「看護師になりたい」とかであれば、周りも背中を押してくれるのかもしれませんが、僕のような経済的に安定しない職業は、叩かれがちなのです。

そもそも、「夢」という表現が僕は良くないと思っています。

「夢」という字に「にんべん」を添えると、「儚」という漢字になります。
「儚い」といえば、「頼りにならない」「消えてなくなりやすい」などの
マイナスイメージの意味になります。つまり、「将来の夢」を子どもに書かせたり、無理に言わせている大人は、“叶わないことが前提”でさせているということになります。

僕としては、「作家になることが、消えてなくなってたまるか!」という気持ちでいたので、絶対に書きませんでしたし、「夢」として人に語ることも少なかったです。僕としては、「夢」でもなんでもなく、そうなるものだと思っていたからです(笑)。

現在僕は、放送作家の下っ端として働いています。僕にとっては「夢」ではないので、こうなった自分をすごいと思いませんし、満足もしていません。なので、テレビやラジオだけでなく、いろんな分野のことをしていきたいと思っています。

これからは人間が実現可能なことに関しては、「夢」という言葉を使わない世の中になればいいなと思います。質問も「将来の夢は?」ではなく、「この先、どんなことしたい?」とかで良いと思います。

まぁ、多分、先生たちもそこまで深い意味を考えて、「将来の夢」を書かせていないとは思いますが(笑)。

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