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自分を下げても、世の中のスピードは下がらない。

あなたは、自分のことをどこまで下げられますか。

自分が仕事で失敗したとき。

他の人より頑張っても結果が出ないとき。

小さなミスを何度も繰り返すとき。

そんな自分が嫌になったとき、自分のことをどんな言葉で表現しますか。

いろんな人のnoteを読んでいると、自己嫌悪に陥りそうになっているとき、自分のことを「ポンコツ」と言っているのを目にします。

それを見るたびに、僕はこんなことを思います。

えっ。自分のことが嫌になっても、ポンコツ程度なんだ・・・。

もちろん、その人の中では、結構ハードめな自己嫌悪ワードだとは思うのですが、僕は、自分が嫌になったとき、自分のことをポンコツという言葉では表現できません。

「出来損ない」「誰にも必要とされていない存在」「存在しちゃいけない人間」「生きる価値がない」など、もっともっと深い闇へ、自分のことを陥れてしまいます。

そうじゃないと、自分が納得できないのです。

なぜ僕は、そこまでして、自分のことを陥れてしまうのでしょうか。

それぐらい深く反省しないと、周りの人に許してもらえないと思っているからです。

自分が失敗したり、ミスをしたり、怒られたりする場合は、その分、周りの人の期待を裏切ることになります。

周りの人が喜べる機会を一つ奪った感覚がして、どうしても罪の意識が追いかけてくるのです。

自分の失敗がなければ、周りは幸せになれたはずなのに・・・。

そうやって、自分の行動に過剰な責任を持って、反省してしまうのです。

しかし、それは本当に正しいのでしょうか。

僕だって、他人のミスの影響を受けて、自分の時間を奪われたことがありますが、それを永遠に恨むことはしませんでした。

だって、そうやって他人を恨むこと自体、一番、自分の時間を奪われることになるから。

そして何より、ミスした他人も過剰に責任を感じて、心から謝ってくることはありませんでした。

それをいつまでも恨みたくなる気持ちもありましたが、それをやるには、時間が足りません。

僕らの目の前には、常にやるべきことが山積みなので、過ぎたことを振り返ってばかりいると、生産スピードが下がっていきます。

そのため、人は人のミスを、許さざるを得ないのです。

もちろん、見過ごせないと判断された場合は、「異動」「減給」「クビ」などの判決が下されます。

そうすることでまた、通常の生産スピードに戻っていけるのです。

だから、どれだけ自分の嫌いになっても、自分のことを「ポンコツ」と思う必要すらありません。

失敗したときは、品質を上げるチャンスだと思って、たっぷりとレベルアップに時間を使う方が、賢い選択じゃないでしょうか。

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