書きたい文章を書くなら、知識を捨てよう。
僕はnoteを書くうえで、なるべく世間に影響されないように気をつけています。
「世間がこんな雰囲気だから、こんな文章を書こう」
「世間がこんな雰囲気なのに、それに合っていない文章はダメだ」
「今、世の中が求めているのは、こういう文章だ」
そんなことは、なるべく考えないようにしています。
本当なら、世間に合わせた方が嫌われないし、ネタ探しにも困らないで済むのですが、それだと自分が面白くないのです。
みんなの興味のあることの範囲で戦うのは、すごく戦いやすいフィールドで、自分も関心があって知識をたくさん持てば、すごくいろんな人に読まれやすくなるでしょう。
ただ、noteをたくさん書いてきて分かったのは、それをやるとなれば、自分の生き方すべてを変えなくちゃいけなくなります。
それだけ、読者が納得するほどの知識量を見せなきゃいけないので、たくさん勉強をしなくちゃいけません。
決して勉強が嫌なわけではないのですが、そこにばかり時間をとられると、「心の微かな動き」を見逃してしまいます。
目の前のことに対して、意見ばかりを述べるようになり、「感じる」という部分が、かなり弱まっていきます。
そうなると、心の奥深くで共感できる記事は書けず、理屈だけを書き殴る文章しか書けなくなっていきます。
それはそれで悪くはないのですが、僕としては、もっと、心が動くような言葉を出したいのです。
そのために、情報に引っ張られないようにしなくてはいけません。
自分が書きたいこと、自分が思っていること、他の人が言語化できていないことを考えていくんです。
そうして自分の中を深く潜った先には、みんなと深く共感できるものが、必ずあります。
しかし、最近の自分は、なかなか世間に引っ張られた文章を書くようになりました。
決して、悪い文章とは思わなくても、自分が書きたい文章ではない。
おそらくこれは、日常生活で感情を使う機会が減ったからでしょう。
大人になると、ある程度のことに慣れてきて、少年心を失っていきます。
目の前のことに対して、自分が傷つかないように、疲れないように、感情をぶつけずに、情報として整理してしまうのです。
言葉は知っているけど、解釈はしていない。
そんなことが続くと、自分がなくなっていきます。
もっともっと、自分の書きたい文章を書きたいと思います。
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