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パイオニアが感じる未来の身体|稲見昌彦×Stelarc対談シリーズ 第2話

アーティストのStelarc(ステラーク)氏は、40年以上前の1980年ごろから、自らの肉体を技術で拡張する試みに挑んできたパイオニアです。第3の手6本足の歩行腕に埋め込んだ耳など、同氏の作品は自在化身体のモチーフさながら。パフォーマンスの公演で来日した同氏に、自在化身体プロジェクトの研究成果のデモを体験してもらった上で、研究総括の稲見教授との対談を依頼しました。身体拡張の芸術面と技術面をそれぞれ代表する二人の会話から、自在化身体の黎明期に埋もれた秘話や、プロジェクトの先に広がる予期せぬ可能性が鮮やかに浮かび上がります。(構成:今井拓司=ライター)

ビジョンに技術が追いついた

稲見教授の質問は、アーティストならではのインスピレーションに、活動のヒントを求める方向に移ります。話題は、アーティストと技術者の間に存在する時代を超えた共鳴から、先駆者としてのStelarc氏のビジョンに広がっていきます。

稲見 Stelarcさんは、どうしてアーティストになったんですか。

Stelarc もともとはメルボルン大学の建築学科に入学したんです。ところが、かなり数学指向、工学指向、構造指向の学科だったんで、あんまり興味をそそられませんでした。だから何ヶ月かしてビジュアルアートのコースに移りました。そしたら自分は絵が下手だって気がついて、パフォーマンスを始めたんですよ。 

稲見 なぜこれを聞いたかというと、私自身エンジニアあるいは研究者として、学会やワークショップ、トークイベントなどを開くと、参加者は工学や科学のバックグラウンドを持つ人がほとんどなんですね。もっと一般の人にアイデアをシェアしたいんですが。

 そこですごく大事なのが、アートには一般の方々と直接つながる力があることなんです。実際、私たちもインスタレーションで研究を紹介したりしています。

 Stelarc アーティストは、学際的な研究の成果に興味津々だと思います。テクノロジーの魅力って、新しくて予想もしなかった情報とかイメージがあふれているところにあると思うんですよね。アーティストは、体とは何かとか、人であることの意味とか、今の世界のパラダイムとの関係とかを考えることにも熱心ですし。

 あと、科学では役に立つ情報の蓄積が大事でしょうが、アートは情報じゃなくて感情なんですよね。この技術が感情にどんな影響を及ぼすのかとか、生身の体では得られなかった、どのような体験を主観に対して生み出せるのかとか(にアーティストは興味がある)。

 稲見 今、私たちがやってるアイデアのほとんどは、70年代にStelarcさんが既にやっていたんですよね。

Stelarc そんなことありませんよ。私の作品は未来の可能性を示す芸術表現と言いましたけど、現在はその可能性を現実のものとしてうまく実装できるから面白い。

稲見 2020年の「Augmented Humans」で基調講演をされたのを、コロナ禍だったのでオンラインで見ました。ご存じのとおり、今では多くの研究者が余剰肢の可能性に注目しています。この分野のパイオニアとして、今の動向をどう見ていますか?

Stelarc 余剰肢とか人間拡張が大学で真剣に研究されるようになったのは、間違いなくいいことです。30~40年前には、人体の拡張や強化と言うと、SFみたいで真面目に取り合ってもらえませんでした。

 今では、人体が物足りないことは明らかです。我々は生身の体に甘んじるべきか、あるいは技術の粋を集めて身体を拡張して、芸術的なパフォーマンスや実用に役立てるべきなのか。

 生身の体はとっても素敵だし複雑です。でも、しょっちゅう不具合を起こしたりもする。手や腕は二つしかないし、動きはそこまで速くない。

 顕微鏡を使った手術みたいな細かい作業にも向いてない。ロボットの方がよほどうまくできます。顕微鏡手術では外科医の手の震えが問題ですが、ロボットなら全くぶれずに精密な処置ができる。

 人体の能力では足りないんです。身体は人の形や能力に縛られずに、生物の限界を超えていくべきです。

来るべき未来の身体

稲見 未来はどうなると思いますか。 

Stelarc 未来を語るときには、未来は偶発的だし、議論の余地があることを忘れてはいけません。基本的に、我々は未来を予測できません。予測できちゃったら、もう未来じゃないんですよ。

 未来の定義は「思いもよらないもの」です。そこには、新しいアイデア、新しい技術、新しいイノベーション、新しい社会や文化の形があるからです。ちょっと先のことなら見当がつくかもしれないですが、それが実現する保証はありません。常に不測の事態に備えておかないと。

 例えば、2040年とか2050年に機械が突然、人類を支配するみたいにシンギュラリティを語る人がいます。そんなに単純な話じゃないでしょう。生物と人工物の境目が、だんだんぼやけていくことはありえますが、ちょっとずつしか進みません。人と機械のインタフェースや、両者の融合にしても同じでしょう。

 ただ、あるボディハッキングの会議で基調講演をしたとき、参加者の中に、人の脚には見えない義足を持つ女の子がいました。カーボンファイバー製の義手を持った人もいて、やはり人間の腕には見えませんでした。初期の義肢は(自然に見える)見た目が大事でしたが、最近は金属やカーボンファイバーで身体を拡張することに抵抗がなくなってます。これらを使ってももう驚かれないし、新素材とか材料科学のすごい成果を使っても違和感はありません。

 素材はどんどん生体に馴染みやすくなり、柔軟性もどんどん高まっている。イリノイ大学のジョン・ロジャース教授は、フレキシブルかつ貼って使える電子回路を開発してます。生分解性まであるんです。心臓に貼り付けて、その状態をひと月モニタリングしたら、無害なまま体内で分解される。材料科学とか工学の進歩、斬新な機構や新型のセンサなどが、人と機械のハイブリッドシステムをどんどん現実に近づけています。

 稲見 そのとおりですよね。あ、第6の指を開発した宮脇(陽一)教授がオンラインで参加したようです。

Stelarc 第6の指のデモ、面白かったです。先生方の研究や、私のやってるパフォーマンスやデバイスは、まだ見ぬ問題へのソリューションだと思ってます。まず作ってから可能性を探る方が、問題があって解決策を探すより面白い。ソリューションが先で、それで解決できる問題を見つけるんです。

Stelarc氏と宮脇教授

宮脇 質問してもいいですか。もう出た話かもしれないですが。

 稲見教授や我々の研究チームは、Stelarcさんの作品とよく似たことを、違う手段でやっています。そこで気づいた、というか迷っているのは、身体の定義についてなんです。身体って、どう定義すればよくて、限界はどこにあるのか。身体の本当に根本的な要素とは何なのか。Stelarcさんの考えを教えてください。 

Stelarc 先ほども話してたんですが、少し付け足すなら、身体は世界の中で活動しインタラクトする、生理学的かつ現象学的な存在と考えるべきです。ただ、生物学的、進化論的な機能の観点では、我々は今の体に満足できなくなっている。

 人間であることの意味は、常に再構成され、再検討され、定義し直されてきました。5000年前の体と、補装具やインプラントを利用できる現代の身体では、意味合いが全然違います。

 かつては人間業ではなかったことが、今では人の活動の一部です。人間の活動は物理的に近くの空間だけじゃなく、遠く離れた場所にも拡大しています。自分の物理的な存在を別の場所の人にも感じさせて、リモートで交流できたりとか。

 私が腕に別の耳を埋め込んだのは、エレクトロニクスで強化した耳を、インターネットで使えるようにするためです。自分は健康な耳二つで音を聞けるので、腕にある耳は別の場所にいる人に、リモートで聴覚を提供している感じです。いまだに医学的、技術的に未解決の問題はあるんですけど。

 別の話として、現在、外部の監視システムが社会的に問題になってます。でも私は、内部こそ監視すべきだと思うんです。2000年後の人は外見は同じでも、内側でマイクロセンサやナノセンサが体調をモニタリングしているかもしれません。そっちの方が面白いですよね。外部の監視はやめて、内部監視を強化しましょう。

Seeing is Feeling」を試すStelarc氏。左手に埋め込んだ耳が見える。

Stelarc 知性の未来は、身体や機械ではないのかもしれません。身体も機械も、1Gの重力のもとで活動する必要があって、力や摩擦や不具合がつきものだからです。

 ひょっとすると知性の未来は、光の速度でスムーズかつ分散して動作できる、電子メディアの中のウイルスコードかもしれません。知性の未来は身体や機械にはなく、バーチャルなウイルスっぽい何かなのかも。あくまで議論の余地が残る話で、そうなる保証はないですが。 

宮脇 だとすると次に浮かぶ疑問は、人類はそんな世界に適応できるかどうかです。我々の身体が、デジタルでも物理的にも分散した存在になるとしたら、生物学的な器官のままで、うまく適応できるのでしょうか。 

Stelarc もちろんできます。既にそうなっています。

 例えばメルボルンにいる私と、東京にいるあなたは、(ビデオ通話アプリの)「フェイスタイム」でつながれます。あなたは実体のない身体として、オンラインで突然現れるのです。東京にいる物理的な身体が、メルボルンで幻影の身体になり、私の画面があなたの皮膚になります。

 私たちは毎日そうしています。今では誰もがやってます。変化が少しずつ進むので、肉体的、精神的に合わせていくことができるんです。 

バーチャルとリアルの狭間に

稲見 最近話題のメタバースについてはどう思われますか。

 Stelarc メタバースのいいところは、アバターになって、他のアバターとオンラインでシームレスに交流できることですね。でも、これは人の活動の一面に過ぎません。私はVRよりARの方にそそられます。物理的な空間にバーチャルな物体を取り込んで扱える方が面白い。

 メタバースの先駆者だったSecond Lifeを私も試しましたし、パフォーマンスをしたこともあります。もちろん(メタバースでは)自分の身体を簡単に変えられるんですけど、あくまでバーチャルな景色の一部でしかないんですね。面白いけど物足りない。

 我々は生物、テクノロジー、そしてコンピュータの領域を行き来しなきゃならないんです。我々は、これらのインタラクションのモードを、学際的な手段で統合しようとずっと努力してきました。未来がバーチャルだけって、単純すぎますよね。私はそう思わない。 

稲見 なぜこの質問をしたかというと、ちょうどバーチャルリアリティの中で余剰肢のプロトタイプを作り始めたところなんです。使い心地のテストや、インタラクションの設計をするためです。

  やってみた実感として、すごく便利だし、一般の人にアイデアを広めるプラットフォームとしてもすごくいいなと。物理的にロボットを作るのはまだまだ大変ですけど、第3、第4の腕や外骨格機構(Exoskeleton)を装着したらどうなるのか、メタバースならずっと簡単に検証できます。 

Stelarc 確かに!バーチャルな3D空間では、モデリングだけでなく操作の可能性も探った方がずっといいですよね。

 でもやっぱり私が魅力を感じるのは、それら全てとやり取りするのは、結局は自分の肉体だという点です。つまり、フィジカルとバーチャルのインタフェースが、私にとって一番魅力的なんですね。バーチャルだけでも、フィジカルだけでもなく、両者の間のインタフェース。

 2000年にやったパフォーマンスに、上半身は外部のアバターにコントロールされ、下半身だけ自分の力で動かせるものがありました。パフォーマンスの最中、アバターの動きは遺伝的アルゴリズムによって変化し、アバターの動きが変わると、それに応じて私の身体が動かされるんです。

 私の上半身は、外骨格機構を介してアバターに生気を吹き込まれ、下半身はそれに対するフィードバックを送ることができました。アバターが動き過ぎなら、自分の脚で調整できたんです。フィードバックがありながらも、体が二つに分離したみたいな体験でした。上半身はアバター、下半身は自力で動かすという。 

稲見 バーチャルリアリティでは、できない体験ですね。フィジカルなインタラクションならではです。 

Stelarc パフォーマンス・アーティストとして言えば、人々の身体は、テクノロジーやVRシステムを取り込むことで、さまざまなアクションの接点になるわけです。ただ私が興味があるのは、肉体がこういう体験を、どうやったら素晴らしいアイデアやメンタリティに変換できるかなんですよ。 

稲見 物理的な体の現実感について考えているんですが、バーチャルな耳をバーチャルな体につくるのと、物理的な人工耳を肉体につくるのとでは、印象がまるで違いますよね。なぜバーチャルなものより実在のものの方が、現実感がはるかに強いんでしょうか。 

Stelarc それは物理的なものへのノスタルジアなのかもしれない。もしかしたら我々は純粋にバーチャルな世界に向かっていて、知性はフィジカルでも、メカニカルでも、コンピュテーショナルでもなくなるかもしれません。

 だとしても、アイデアを物理的に実現して試すことは大事な行為だと思います。いつも言うんですけど、誰にとってもアイデアを出すことは簡単です。でも、本当に余剰肢をつくって試すまでは、どんな可能性があるのかわからないですよね。

 もちろん、行動のシミュレーションとか検証には、バーチャルなシステムがあると助かります。でもやっぱり人には、物理的な存在としてのノスタルジアがある気がします。見当違いかもしれませんが。

想定外の可能性に飛び込む

稲見 我々のプロジェクトに、何かアドバイスやメッセージをいただけますか。

 Stelarc アドバイスできる立場でもないんですが、私が特に大事だと思っているのは、一つのプロジェクトが起点となって、さらなる実験やプロジェクトのサイクルを生んでいくことです。先々の活動や研究の青写真は、必ずしも必要なものではありません。どんな可能性が現れても素直に受け入れ、予想もしなかった方向にも進むことができる柔軟性が、望ましい姿勢だと思います。

 言葉を替えれば、体系的で焦点を絞るものだとされる科学の研究でも、予想外だったり、たまたまだったりする可能性を、どんどん取り入れてはどうでしょうか。実験や新技術が何をもたらすかは、あらかじめはっきりとはわからないわけですから。 

瓜生 一つ質問させてください。Stelarcさんのモチベーションは美の追求にあると思いますが、アーティストとしては作品を見てもらうために人を引きつけることも必要かと思います。学術研究に従事するものとして、私たちも美的な価値と人々の関心を引く価値を同時に生まないとなりませんし、時には役に立つ製品を作ったり、社会に貢献することも必要です。こうした(複数の対立し得る目的がある)状況を、どう乗り越えていくべきでしょうか。 

Stelarc 混沌とした状況は、新しいものを創造するためにはいいことです。方向性があまりに明確だと、面白いことは起きないかもしれません。

 私は基本的には「形態は機能に従う」アプローチをとっています。でも、余剰肢の人間工学的な面ばかり考えていると、生体に馴染む材料を使って快適にすることに思い至らないかもしれない。だからそこに、例えばアーティスティックな視点の出番があります。もちろん、余剰肢を実験のためだけに作ることはできますが、本当に人に役立つものを作るなら、人間工学や美学、あるいは材料の面も、もっと考えないといけないかと思います。

 ちなみに私の美学からすると、普通は何も隠さないようにします。電子回路も、配線も、すべて目に見えるようにするんです。機械の動作に謎を残したいとは思いません。第3の腕がどのように動くのか、みんなに理解してもらいたいんです。

 瓜生 ありがとうございます。

 Stelarc みなさんの研究はどれもすごく面白くて、感銘を受けました。今日のデモだけでなく、これまでの研究も知ることができました。

 稲見 光栄です。今日は多くの示唆をいただきました。ありがとうございました。 

Stelarc ありがとうございました。ガンバリマス!

自在化身体セミナー スピーカー情報

ゲスト:Stelarc|《ステラーク》
パフォーマンスアーティスト

オーストラリア出身のパフォーマンスアーティスト。1970年代より19年程日本に居住し活動。バイオテクノロジー、メディカル・イメージング、人工物やロボット工学等を包括し、身体の具現化と媒介、アイデンティティ、ポストヒューマン等の問題を問うような作品を50年以上に渡り制作。代表作は日本のロボット工学者と共同制作した「第三の手 Third Hand」。また、現在進行形で、インターネットへの接続を可能とする「エクストラな耳 Extra Ear」を自身の腕に埋め込み外科的に構築(2010年プリ・アルスエレクトロニカ、ハイブリッドアート部門のゴールデンニカを受賞)。近年も精力的に新作に取り組んでいる。


ホスト: 稲見 昌彦|《いなみまさひこ》

東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 教授

(Photo: Daisuke Uriu)

東京大学先端科学技術研究センター 身体情報学分野教授。博士(工学)。JST ERATO稲見自在化身体プロジェクト 研究総括。自在化技術、人間拡張工学、エンタテインメント工学に興味を持つ。米TIME誌Coolest Invention of the Year、文部科学大臣表彰若手科学者賞などを受賞。超人スポーツ協会代表理事、日本バーチャルリアリティ学会理事、日本学術会議連携会員等を兼務。著書に『スーパーヒューマン誕生!人間はSFを超える』(NHK出版新書)、『自在化身体論』(NTS出版)他。

「自在化身体セミナー」は、2021年2月に刊行された『自在化身体論』のコンセプトやビジョンに基づき、さらに社会的・学際的な議論を重ねることを目的に開催しています。
『自在化身体論~超感覚・超身体・変身・分身・合体が織りなす人類の未来~』 2021年2月19日発刊/(株)エヌ・ティー・エス/256頁

【概要】

人機一体/自在化身体が造る人類の未来!
ロボットのコンセプト、スペイン風邪終息から100年
…コロナ禍の出口にヒトはテクノロジーと融合してさらなる進化を果たす!!

【目次】

第1章 変身・分身・合体まで
    自在化身体が作る人類の未来 《稲見昌彦》
第2章 身体の束縛から人を開放したい
    コミュニケーションの変革も 《北崎充晃》
第3章 拡張身体の内部表現を通して脳に潜む謎を暴きたい 《宮脇陽一》
第4章 自在化身体は第4世代ロボット 
    神経科学で境界を超える 《ゴウリシャンカー・ガネッシュ》
第5章 今役立つロボットで自在化を促す
    飛び込んでみないと自分はわからない 《岩田浩康》
第6章 バーチャル環境を活用した身体自在化とその限界を探る        《杉本麻樹》
第7章 柔軟な人間と機械との融合 《笠原俊一》
第8章 情報的身体変工としての自在化技術
    美的価値と社会的倫理観の醸成に向けて 《瓜生大輔》