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2020年コロナの旅 1日目:旅立ち

(以下は日記の内容に加筆修正したものであるため文体などに不自然なところが現れるかもしれませんが、味だと思ってご容赦いただければ幸いです。)

2019/12/17

結局前日から関空の休憩所で横になったものの、3時間ほどしか寝ることはできなかった。しかしそこまでの疲労感もない。休憩所で空港から借りていた毛布を受付に返し、服をすべて着込んで持ち物をかばんに詰め、背負う。帽子も忘れずに。

8:10-35が搭乗時間なのに対して5時ごろに起床したため、あまり時間を気にせずSNSにかまけていたら搭乗時間を逃しそうになった。 8:15の時点でまだセキュリティチェック前のエリアのマックで朝ごはんを食べていたという体たらく。あと2分遅れていたら乗り損ねていた。今後は先に搭乗口まで行ってからダラダラしよう。

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また、空港泊明けの朝ごはんはコンビニかどこかで早めに手に入れておかないと、行列で待たされて時間を食うことも学んだ。

さて、タイのnokscoot航空による関空→ドンムアン(バンコク)直行便であるが、機体入口のところで夢のように美しいフライトアテンダントたちが合掌して挨拶してくれたのが印象的だった。皆にこやかで愛想がよく、清々しい気分。まだ見ぬタイへの期待も高まる。

機内に乗り込むと、半分ほど空席。直前に予約したらもっと安かったかもしれない。自分は44kという席で窓際だったが、通路側の2席が空席なので横になることすら可能であった。

機内食も美味しそうなタイ料理が揃っており、価格も200thb(600円ほど)と手頃である。しかしバンコクで大学以来の友人のそのまた友人のプロイという現地の人とのランチの予定なので控えておく(結局延期されたが)。

空港についたら手持ちの円を両替し、SIMカードを手に入れねばならない。そういえばスウェーデンはカード社会なのでクローネを使い切れなかった旅行者が泣きを見ると聞くが、タイはどうなんだろう。

旅行が始まる前からサポートしてくれているタイ人のアイ、プロイ、そして無類のタイ通であるマシに感謝したい。スウェーデンに関しても、ミカエル、ロヴィサをはじめスウェーデンの友人らが協力してくれて助かっている。

13:10、バンコク着。圧倒的な熱気である。京都からブーツにロングコートという出で立ちで出掛けたためかなり浮いている。両替所があるので、まず少しだけ円をバーツに両替する。久しぶりに持つ外国の硬貨や紙幣に心が躍る。SIMカード屋が空港内に軒を連ねていたので適当なところで購入。おそらく日本でアマゾンなどで事前に調達したほうが安い。

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おなかがすいたので空港内のセブンイレブンに行くと、多くの商品に日本語が書いてあるのが印象的であった。日本と同様におにぎりなども売っていたが、具材が少し違うのが面白い。ただ、豚肉と鰹節の醤油炒めなど全体的にタイらしさはあまりない。おにぎりと、日本よりもかなり大ぶりな肉まんを購入して食べると、値段なりの味がした。

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空港を出るとなお暑い。不思議とセーターにマウンテンブーツという格好でも暑苦しさはなかったのだが、旅先で目立つのは得策でないと考え夏の恰好に着替える。気温が30度を超える、タイの冬である。面白いことに、ユニクロのヒートテックの広告があった。前日にフェリックスとフォンアンと、タイでまさかヒートテックは売っておるまいと言ってあえて日本で買って来た直後だったので思わずニヤリと笑ってしまった。

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タイの友人アイのアドバイスに従い、まずはバスに乗り、次にBTSという空中都市電鉄に乗り、最後に最寄駅からカオサンロード近くの宿までタクシーに乗ることにした。

BTSは大変すばらしい。山手線のように清潔で、高所を通るので景色はモノレールのようである。また、その線路を支える巨大なコンクリートの建築が近未来的で高揚感を煽られる。ブレードランナーみたい。

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最寄り駅につきタクシーの客引きを探す。ベトナムほど激しくはないが、すぐに声をかけられた。目的地を見せると、200バーツで行くという。事前にラインでアイに聞いたところによるとその距離であれば100バーツが適正らしかったが、交渉が難航したので200バーツで乗せてもらうことにした。吹っ掛けられてはいるのだが、ベトナムのタクシー運転手と比べるとずいぶん温和で、
「渋滞してるからこれくらいくださいよぉ」
というような腰の低い吹っ掛け方であった。哀願にちかい。まあ200バーツで600円相当なのでよかろう。

車中で、どこから来た、どこへ行く、といったありきたりな話を交わす。運転手のおじさん曰く、
「バンコクはタイの中じゃああまり好かんです。空気の汚染がひどくて…ぜひ山か島に行きなさい。きれいなとこがありますよ」
とのことであったが、大気汚染については全くおじさんの話は本当であった(タイ以来しばらく鼻の調子が悪かったのも今は懐かしい)。

なんやかや話していると目的地付近についたようだった。おじさんは一生懸命できるだけ近づくように頑張ってくれたが、宿はかなり奥まったところにありそうだったので適当なところで礼を言って降りた。最初にお金を多めに取られたとはいえ、まず客のために少しでも頑張ろうという心意気に心打たれた。無知を恥じ入るばかりだが、同じ東南アジアなのでベトナムと似たり寄ったりではないかと想像していたのだ。雲泥の差である。

一人グーグルマップを片手に、ホステル目指してバンコクの中心地の路地裏をさまよう。寺院めいたものがあったり、かわいらしい野良猫のギャングににゃあにゃあ絡まれたり、とんでもなく汚れたどぶ川で釣りをしている人がいたり、街角でレディーボーイおじさんが鶏を揚げていたり…異国情緒に心が躍る。

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しばらくして宿の入り口を見つけた。ごく狭い路地に入り口があって見つけるのは難しかったし、この後も何度も道に迷うことになるのだが、ひとたび門をくぐるとそこは南国のリゾートという風情であった。

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L字型の瀟洒な建物の前には白と黒の大理石が市松模様に敷き詰めてあり、さらにその外側にかなりの広さのウッドデッキがあった。このウッドデッキでちょっとした思い出ができることになるのだが、それはまた後日話すこととしよう。マンゴーの大きな木がデッキと大理石の区間の間に植えられており、葉っぱに混じってマンゴーの未熟果が落ちていたりするのも熱帯の趣深い。

門を経て中庭を突っ切った向かい側に受付と思しきガラス張りのきれいなエントランスがある。私はそこに向かって一直線に歩いて行った。最初の印象は肝心だ。このホステルには3泊の予定だが、その間の人間関係はここで決まると言っても過言ではあるまい。堂々と胸を張って突入していかなければならない。玄関のところですれ違った宿泊客らしき人にも堂々と自身に満ちた態度で挨拶をする。土足禁止とあるのでサンダルを脱ぎ、いよいよガラス戸を押し開ける。

すると受付の前の椅子にだらりと腰かけたアロハシャツを着たアジア系の男が開口一番、韓国語で何か話しかけてきた。私がきょとんとしていると、ロビーに屯するアジア系の面々は口々に「韓国人じゃないぞ」という。不可解に思いつつ堂々たる態度を崩してはならぬと我に返り、一旦野次は無視して淡々と受付を済ませることにした。
「今日から3泊予約しているコウスケです。」
「はいはい。パスポート見せてね。」
「はいどうぞ」
「ああ、日本人か。やっぱりね!」
ここで我慢できず聞いてしまった。
「新しい客がどこから来たかあてっこでもしてるの?なんで君ら俺が韓国人だと思ったの?」
するとアロハの男が答えた。
「コートを持ってるから、寒いところから来たんだろうと思ったんだよ。で、アジア人でしょ。それと背が高いから韓国人かと思ったんだよ、俺はね。」
なかなかの推理だね、と言いつつお金を払って部屋に案内してもらう。2段ベッドが4台の8人部屋で、かなり清潔に見えた。また室内は冷房でキンキンに冷えていた。ベッドはだいたい埋まっていて、皆昼間だというのに寝ている。軽く荷ほどきをして、ノートパソコンなど貴重品を預かってもらいに受付に戻る。少し近隣の情報などを教えてもらい、辺りを散策することにした。

最初の感覚よりもかなり宿の近くに、例のレディーボーイの揚げ鶏屋さんがあることがわかった。ものは試し、というか腹が減って仕方ないので早速一つ買ってみることにする。プレーン、スパイシー、チーズの三種のフレーバーから選べるようになっている。

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プレーンを注文すると、揚げたてのを一つ、串にさしてビニール袋に入れて最後にスウィートチリソースをかけて渡してくれた。

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10バーツ、なんと30円すこしである。非常に味もよく、また年配のレディーボーイ(レディーマン?)が本当に気のよさそうな人でうれしくなる。

アイに教えてもらったカオマンガイ屋さんが閉まっていたので近くを散歩し、寺院を一つ見た。日本でもベトナムでも見たことのない建築様式に目が行く。高さ、大きさ、そして白く輝く外壁に、独特のしゃちほこをいただく急な傾斜の赤い屋根。その威容に直ちに心惹かれた。

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バンコクの街中は広い車道とその両脇にしっかしした歩道が整備されているのだが、歩道はそこに面した土地に住む人々によって半ば私有化されているようだった。街路樹に皿をぶら下げて鶏の餌を入れてあるのを多く目にした。日本でも禅僧など少し米を残して鳥にやる習慣があるが、仏教の影響なのだろうか。

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しばらくして宿に戻り、一休みして今度はバンコク一の繁華街だというカオサンロードに繰り出す。夜のカオサンロードはすさまじい活気で、サソリやムカデを売る者、少数民族の衣装を着て小物を売る者、ワニ肉の屋台、南国の果物を売る店店など東南アジアの観光地の縮図といった感じがした。欧米の観光客が非常に多いように見受けられた。

バーやクラブの前で客引きをするレディーボーイたちの中には、確かに妖艶さを湛えた者もいて、不思議な感覚にとらわれる。

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マクドナルドの前にある“I ♡ Khaosan”と書かれた立て看板と合掌するドナルドの人形の前で写真を撮る観光客が多かった。マクドナルドのメニューは日本とあまり変わらず、価格もそこまで変わらない。

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カオサンのレストランは一品で200バーツ(600円)ほどが相場だったであろうか。日本でタイ飯を食べれば1000円近くすることも多いので、特に高いとも思わなかったが、後で考えれば観光客向けの価格であったことは間違いない。この後、私はバンコク滞在中に1食100バーツ以上払うことは基本的になかった。

一番良心的な価格設定の店先のテラス席(または道路にテーブルとイスが置かれた空間)に座り、好物のカオマンガイを頼む。カオマンガイを供する店は案外少なく、専門店に行くのが一般的らしい。控えめな客引き達に「カオマンガイはありますか」と聞くと、どこでも「ああ、カオマンガイはないねえ…」という程度の反応で、それ以上他のものを売ろうとしたり、しつこく店に入れようとしたりはしなかった。ここでもベトナムとの違いを感じる。

相席になったアメリカ人の旅行者(普段はバリバリの投資銀行マン!)と雑談をしている間にカオマンガイが来る。ここのカオマンガイは日本で食べるのと味は特に変わらなかったが、カオサンロードの活気と、当日の朝までいた日本の寒さとは全く異なる熱帯の夜の風は最高のスパイスであった。食べているとトルコ人の兄弟が相席で通されてきた。最終的にトルコに行くつもりなんだというと、今のトルコは経済危機により物価が暴落しており、なんとタイよりも物が安いという。耳寄りな情報を頭に、彼らの食べ残したパッタイを腹に収めて素晴らしい気分でまたカオサンを歩き始める。

カオサンロードはそこまで長いわけではない。しばらくすると歩き始めたのと反対の端についた。果実のスムージーを買って帰ることにする。スムージーは味も価格も量も素晴らしい。好きな果物の組み合わせが選べるので、私は紅白のドラゴンフルーツとバナナ、マンゴー、パパイヤ、パイナップルを混ぜてもらった。100バーツ(300円)ほどだっただろうか。500ml以上のボリュームで小腹を満たすのによさそうだと思った。

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それなりに疲労が溜まってきたので宿に帰って休むことにした。驚くべきことに、昼間私の国籍をあてっこしていた面々が皆いまだにそこにいた。

「君たちはここで働いてるのか。」
「ウームとポピーの二人は働いてるけど、俺とスクとヤンとバンは長居してるだけの客だよ。」
答えたアロハシャツの男はミンと名乗った。ウームとポピーはタイ人の女性で、ポピーはドイツ人の子を身ごもっていた。ミン、スク、ヤンは3人とも韓国人の男、バンはタイ人の男であった。
これらの面々はよくこうしてロビーで顔を突き合わせて話しているらしく、私もそれにしばらく混じることにした。彼らはそれにしても私が韓国人に見えると言い、スクが実は自分のおばあちゃんは日本人だと言うと、ヤンが道理でお前は日本人みたいな顔をしているんだ!という。あまり彼らの人種識別の基準は分からなかったが、興味深い会話ではあった。

部屋に戻り自分のベッドに寝転がっていると、斜め上のベッドから声が降ってきた。
「日本人ですか。」
その男は頭を剃り上げた中年の日本人男性で、日本語を話せてうれしい、とか若者が旅をしているのを見ると頼もしいというようなことを言った。日本人の旅人たちが言う「日本語が恋しい」という情緒と全く無縁の私は、それに巻き込まれて日本語で話しかけられると少しながら辟易すると言わざるを得ない。もちろん日本人だけで話しているのに日本語以外の言語で話す必要はないのだが、日本人を除くと使い手のほとんどいない日本語という言語を使うことで他の旅行客らとの交流の機会が奪われることがままあるからである。日本を出たのだから日本以外の人と交流したいではないか。一般の日本人と比べて私は外国語で話すことに慣れているため、外国語で話し続けることの疲労感が少ないのかもしれない。言いたいことを表現できないもどかしさも英語では感じたことがなく、共感しがたい。
しかしながらその男性は非常に好意的な方だったので、気持ちよくお話させていただいた。

バンコクの熱帯夜、寒い部屋で分厚い布団にくるまって就寝。行く先長い旅の1日目が無事に終わった。


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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

明日はバンコクの美食と華麗な王宮に魅了されます。


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