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2020年コロナの旅18日目:はじめてのスウェーデン語の会話と、日本人カトー氏

2020/01/03


ビルカホステルで目覚める朝。昨日と同じ悪臭の中で目覚めたはずだが、鼻が慣れたようでよくわからない。温かく、また、家の人に気を遣う必要がないのが気楽で快適にさえ思われた。


朝から近場のlidl(リドル)というドイツ系の格安スーパーに行きOstschnitzel(オストシュニッツェル「チーズのカツレツ」)の冷凍食品を買い帰宅。レンジでチンしてブランチとする。

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カツがふにゃふにゃなのがイマイチだがまあ小腹を満たすには悪くない。
シュニッツェルを食べながら、宿の人たちと歓談する。ネルソンというニュージーランドの放浪人が大変面白かった。上背はないが骨太な体躯に縮れた長髪と髭を蓄えて野性味のある風貌の男であった。後に彼はいけ好かない行いを重ねることになるが、彼の旅の人生は興味深かいし、彼がはなした次の話には大いに共感せざるを得なかった。


「俺はニュージーランドのオークランド郊外の小さい町で生まれ育ったんだが、そこには俺がその町を離れてからの20年間ずっとその町から出て暮らしたこともない友人たちが何人もいる。一つの町に生まれ、育って、学校に行って、仕事を見つけて、そのうち結婚して子供ができて、そのままその町で死んでいくんだ。彼らの生き方が悪いなんて露ほども思っちゃいないし、自分の生き方が完璧じゃないなんてことも分かってるが、俺はそんな生き方は想像するだけで鳥肌が立つんだよ。絶対に耐えられない。もし子供ができたとしたって、自分が世界を知らなかったら何をその子らに伝えるというのだ?」


彼は18歳の時に旅をはじめ、それから20年もの間放浪し続けているという。だいたい2年ずつ一ところに留まるスタイルらしく、ストックホルムでしばらく過ごすつもりだということだった。見た目の強面とは裏腹に話好きの男で、私もまた際限なく話してしまうタイプの人間であるため、ずいぶん話しこんでしまった。


私のニュージーランドの友人マシはオークランド出身者をJAFA(Just Another Fucking Aucklander「代り映えのしないクソオークランド人」)と呼ぶんだ、というような話や、中国の武漢で妙な伝染病が出てきたようだが、それに対して日本が全く策を講じず国内で感染者が出たというのは愚かしい話で、騒ぎが落ち着くまでしばらくヨーロッパでやりすごすつもりだ、といった話をした。騒ぎが落ち着くことなどこの先なかったし、ヨーロッパもこの先全く安全ではなくなるのだが、この時はそんなことは知る由もなかった。コロナウイルスなどという言葉もこの頃はまだ広まっていなかった。


お互いしゃべり続け、気づけばもう午後の3時。ネルソン先輩に、そろそろ観光にでも出向くことにすると伝える。


「ああ、引き留めてすまんかったな。まあストックホルムに観光に値する場所があるか微妙なとこだが…」


彼について私が少し違和感を覚えていたのは、この通底するネガティブさだったのかもしれないと、今になって思うが、ストックホルムは1週間もいれば特にやることがなくなってしまうというのもまた事実だった。


それでもコートを羽織り、今日は京都にいた時にドイツ人のフェリックスが勧めてくれたカフェに行ってみることにした。


外に出るともう殆ど日が暮れている。そのカフェはストックホルムの北方にあり、ホステルからは電車やバスを乗り継いで1時間以上かかる。着くころには真っ暗になっているだろう。フェリックスが「今まで行った中で最も美しい景色のカフェ」と言っていたところの景色は見られないかもしれないが、ともかくも行ってみよう。夜景は夜景で美しいかもしれない。


電車に乗り、駅で混乱しつつもなんとかバスに乗り継いで目的地の最寄りのバス停に辿り着く。やはり深夜のように辺りは暗く閑散としており、濃紺の空とオレンジの街灯に照らされた緑の芝生ばかり続くストックホルム近郊の景色の中に端正な白い教会が照明に照らされて白骨のように浮かび上がっている。

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奇妙に始まりの高い梯子が不穏である。


グーグルマップの導きに従ってその教会の脇を抜け、オレンジの光に包まれた住宅街を歩く。海が近いのか、風が強い。私の体調は年末年始と比べて回復しつつあったが、ぶり返さないように注意してマフラーをきつく締め、コートの襟を立てる。


風にいろんな方向に吹き飛ばされそうになりながら地図のピンの場所に辿り着くと、そこには工事現場があった。近寄って立て看板を読むと、どうもその工事現場が改装中のカフェらしかった。

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苦労して辿り着いたのに骨折り損だったか…日本人どころかアジア人すら一人もいそうにないその住宅街は少し居心地の悪さもあり、私は早々にホステルに引き返すことにした。

道すがら向こうから大きな紙袋を抱えた婦人が歩いてきた。私はなるべく怪しく思われないように気を付けながら帽子をとって歩く。すると婦人が腕に抱え込んでいた袋が破れたか何かで大量のオレンジが辺りに散らばった。余計な世話を焼いて気味悪がられても嫌なのでそのまま立ち去ろうかとも思ったが、やはり忍びないので出来るだけオレンジを拾い集めて婦人に手渡した。すると婦人はにこやかに
“Tack so mycket.”
と言う。私も微笑みながら、
“Inga problem.”
と返答する。

深夜の雰囲気漂う寂れた港町を寒風にあおられながら、目的も達成できずにさまよっていた私の魂はこれだけのやり取りですっかり温まってしまった。異国の地では人に助けられることこそ多かれ、人を助けることはそう多くない。私は心のどこかで人の役に立つことを望んでいたのかもしれない。

また、お松の家にいた時に暇に任せて勉強しだしたスウェーデン語を使える機会が到来し、うまく会話できたのも誇らしかった。「どうもありがとう。」「お安い御用ですよ。」というだけの会話だったが、私の初めてのスウェーデン語の会話だ。


俄然体も温かく感じられ、地面を力強く踏みしめながらも足取りは軽い。もはや吹きすさぶ風も私をよろめかせることはない。相変わらず白く輝く教会の脇を抜けてバス停に着くと直にバスがやってくる。駅でバスを見つけるのには苦労したが、電車を見つけるのは容易い。駅でバスを降りると電車に乗り込み帰宿する。


宿に戻っても特にすることはない。一度出てしまうとやはり雑魚寝部屋の臭気にはなかなかきついものがあった。1階のキッチンの傍の食堂のようなスペースで、スマホを使って何かできることはないか調べてみることにした。


どうやら、ノーベル博物館というノーベル賞にまつわる博物館が金曜日は無料らしい。私がスウェーデンを発つ1月7日までの間では今日が最後の金曜日だ。夜の8時までやっているらしい。


冷やかしに行ってみてもいいかもしれないと思っていたところへ、見知らぬ人がぬっと私の顔を覗き込んできた。
「日本人ですか?」
カトーと名乗ったその同年代らしき男は日本人だという。タイで日本人に話しかけられた時も理解に苦しんだが、このカトーという人も日本人に会えて日本語が話せてほっとしますね、と言う。「ね」といわれても自分にはそう言う感傷はないのだが。


まあ、そういう感傷はないとはいえ、日本語で話すほうが英語やドイツ語で話すより多くの場合楽なのは間違いない。愛を語る時などは日本語の方が難しいのだけれども。


そんなわけで我々は日本語で大いに話すことになり、なんやかんや一緒にノーベル博物館に赴くこととなった。しかし蛇足ながら加えておくと、本来私は、外国で日本人と行動を共にするのはリスクが高いと考えている。外国人が固まっていると目立ち易い。目立つと外国人を鴨にする様々な犯罪や、からかいのターゲットになりやすいのではないかと思う。

私はいかにも旅行中の日本人、という出で立ちではない。スウェーデンではスウェーデン人にスウェーデン語で道を聞かれ、私もこの辺の人間ではないので分からないと言うと、じゃあスウェーデンのどこ出身なんだ?と尋ねられた。それほど私の発散するオーラはヨーロッパに同化していたのである。日本人らしい人を連れて日本語を話していなければ、私を一見して日本人と看破できる人は少なかった。


それはそうと、既に時刻は七時である。閉館まで1時間しかない。我々は速足でガムラスタンにあるノーベル博物館に行く。


入館すると、思っていたよりも厳重な警備で、中に入って展示を見るには受付の人に券を渡して電車の改札のようなゲートを開いてもらわなければならないようになっている。本当に今日は無料なのだろうかと不安になりつつも、入っていいかと受付の人に聞くと、もちろんですと気持ちよく通してくれた。

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こじんまりとした博物館で、あまり展示物に見ごたえはなかったが、暗室で上映していたビデオが面白かった。ノーベル賞受賞者たちの授賞理由にまつわる研究や活動の短編ドキュメンタリーで、私が入ったときには経済賞受賞者のアマルティア・センのをやっていた。カトー氏は英語が分からないと言って出て行ってしまった。


ドキュメンタリーを見終えて暗室の外に出て、カトー氏とミュージアムショップで合流する。ノーベル賞のメダルの形をしたチョコのところに日本語で説明が書いてあり、日本人観光客はこういうところでよくお金を落とすのだろうな、などと考えた。


博物館を出て、せっかくガムラスタンに来たのだからエリザが見せてくれたあのお洒落な通りで写真の数枚でも撮っていこうと思った。カトー氏にどう思うか聞くと、写真は好きだという。二人で行ってみることとする。


通りに着くと、女性が二人で写真を撮り合っている。早くどいてほしい気持ちもあり、二人の写真を撮ってあげようかと尋ねた。すると片方の黒人の女は語気荒く
「写真をどうするつもり?」
と問うてくる。何の話か分からないのでそう伝えると、向こうも混乱したような顔をしている。私は直に事態を察した。つまり、彼らは私が私のカメラで彼らの写真を撮りたいと言っていると勘違いしたのだ。訛りからしてもその傲岸不遜な態度からしてもフランス人だろう。英語が分からないわけだ。
「おまえら見るからにモデルでもなんでもないだろう。あんたのカメラで写真を撮ってやろうかと聞いたんだけど、気が変わったから早くどいてくれる?」
皮肉を込めて言うと、
「ああ、そう、それはごめんなさい、でも写真は撮ってもらわなくていいわ。私たちもう行くから。」
と去っていった。だから撮らんと言っとるだろうが、と思ったが捨て置いた。

カトー氏は終始会話に入ってくる気配もなかったが、聞いてみるとやはり何の話か分かっていなかったようだった。何を言われていたか、どう思われていたか説明すると、
「へえ、そんな話だったんですね。英語なんて分からないほうがいいかもしれませんね。」
と言っていた。呑気なものである。


その後我々は通りを独占して写真を撮り、宿に戻った。

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今晩しっかり寝れば体調は完全に回復するだろう。そういう予感がする。気を緩めずにしっかり睡眠をとろう。

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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

明日は2020年1月4日。ハルウィルスカ博物館、王室武器庫、ストックホルム近代美術館と、多くの博物館を見て周ります。宿に帰ると、美術館で見かけた美少女がおり、なんと彼女も美術館で私のことを見ていたと言います。はたしてこの出会いはどのような発展を遂げるのでしょうか…

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