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偏愛? 熱狂? 完璧なOriginal?

僕が、自分の人生に熱狂できるものって何

誰とも違うことをやりたいと心が叫ぶが、誰とも違うことが思いつかない。

他の人がやってないことをやりたい。

完璧なOriginalになりたい。

のに、すでに活躍してる人の記事を読んで時間だけが経っていく。

アイデアが溢れかえってる現代を睨んで、生まれるの遅すぎたのかなと嘆いたりする。

もう他人の成功してるところ見るのやめようって思っても、そのあと、何も思いつかない。

もし、神様がいるのなら、もしかすると、自分のこの世に生まれた使命の欄には何も書かなかったのかも知れない。そのせいで今、苦労してるのかもしれない。

僕に、与えられた人生の使命はないのかもしれない。

使命は生まれた時に決まってるのなら、仕方ない。

でも、多分違う。

凡人でも、使命は、作れるかもしれない。

圧倒的な愛から生まれる使命。

愛の中でも偏愛。

偏った愛と書いて偏愛。偏愛とは熱狂である。

理屈抜きで、ある対象に対して酔っている状態。

進撃の巨人のアルミンだと「壁を超え、海を見にいくこと」

そのためなら、死ねる。

僕が生きている中で偏愛すること。

それって何だろって考える。

ファッション? ラーメン? ビール? どれも良き。

でも、偏愛とまではいかなそう。

狂ってない。

でも、僕は実は、知ってる。自分の偏愛を

それは、「秘密を見たい」という偏愛がある。

秘密とは見えていないもの。「見えていないものを見たい」欲。

見える以外にも、「知れていないものを知りたい」や「聞こえそうで聞こえないものを聞きたい」とかも当てはまる。

みんなもあると思うけど、抽象的になって、わかんないと思うから、具体例で補足すると、

銭湯でおじいちゃんの「大事な部分」ってどうなってんだろうって見たくなる感じとか。(通常は、服着てるから見えてないけど、銭湯は見えてるから。見ちゃいけない気がするけど見ちゃう)

エレベーターで目の前にいる人のLINEで打ってる内容が見える位置にあって、覗いてみたくなるとか。

街を歩いていて、ちょっと変わった作りのお家に出くわすことがあって、この家どんな中身なんだろ。中を見てみたいとか。

コーヒー屋でコーヒー飲んでいるおばあちゃんがどこか気品があっておしゃれで、この人どんな生活してるんだろうって。どんなとこに住んでるんだろうって。

それを考えるとワクワク。そんな偏愛。

「見れた」や「知れた」というゴールに到達する難易度が上がるほど、ワクワクは高くて、そのシークレット性が高いほど熱狂する。

多くの人が「秘密を見たい欲求」 があると思う。

Instagramに、豪邸のお家のドアをノックして、「職業は何ですか?」って聞く人がいる。他にも色んなことをやってる。でも、みんなが本当は見たいこと。豪邸の中とか。知れていないこと、豪邸に住んでいる人が何の職業についているのか。これらをコンテンツとして提供していることが面白い。

https://www.instagram.com/p/CIqzfbKBRTV/?utm_source=ig_web_copy_link

あとは、家っていう、限られた選ばれし者しか中身を知らない、入れない対外には隠された場所に対しての「秘密を見たい欲」は業火。

そこが、自分しか発見していない場所だと興奮する。

脳の解析とか、海の中とかもそう。まだ開拓されていない場所は、見たくなる。

「秘密」を見たい欲と「秘密」を知ってる人が限られた状況だとよりOriginalな体験に繋がる。だからOriginal性が高いほどより熱くなる。

知らない人の日常空間って、現状、手に入れられる情報が限られていて、最近、モーニングルーティン動画がYoutubeで良コンテンツとしてバズってるのも、普段は見れないものを簡単に見れる形でお届けされてるから人気なんだろうなって思う。

僕が、心揺さぶられるものが、ものすごく変態的だということが分かった。

この「秘密を見たい、知りたい欲」の中でも、難易度が高い、人々の家の中の秘密を簡単に知れる、簡単に侵入できる方法を見つけることにこだわってるんだなって思った。

この欲は何が問題で出てきてるのか、それは承認欲求が満たされていない状態からきていると思う。

人と変わったオリジナルでいたいという思いも、根本を辿ると誰かの評価が欲しくて、評価を受けやすい差分を明確化するために変わっていたいと思ってる。

「人間は息をひきとるまで生涯をかけて、私を認めてくれ、私を認めてくれと、声なき声で叫びつづける可憐な生き物なのだと思われる。」

という言葉を見つけた時、そう思った。

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