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ウズベキスタンの年越し#05【完】

自然と目が覚めました。
スマホを覗くと23時過ぎ。
もうルスタン22時に起こしてくれるって言ったやんと、少しだけだけムッとして背伸びをします。

ここはルスタンの部屋、沢山の本がありました。
お世話になっている人の部屋を観察するのは良くないと思いつつ、これまで男性の部屋に数える程しか入ったことのない私はついキョロキョロしてしまいます。
日本の漫画がたくさんありました。そしてさまざまな種類の恐竜のフィギュアも。小さい頃からこういう物が好きな男の子だったのかなと勝手に想像すると、なんとも愛らしく思えてきます。

部屋の外は静かです。
あれみんな寝ちゃったのかなと少し不安になりながら廊下に出ると、ちょうど家族みんなそれぞれの部屋から出てきたところでした。
そして今まさに私を起こしに来ようとしてくれたルスタンが「おはよう」と声をかけてくれます。
「ごめんね。約束通り22時に起こそうと思ったんだけど、みんな眠くて年越し1時間前の23時まで寝ることになったんだ。優子を覗いてもよく寝ていたし23時に起こそうと思って。」
つい先程までついムッとしてしまった私ですが、相変わらずの優しさに感謝します。


リビングに戻ると、そこには先ほどまではいなかった50代に見えるおじちゃんが座っていました。
ルスタンいわく、彼は家族ぐるみの友達。
妻や子供を持たずに近所にたった1人で住んでいるという彼を、お父さんやお母さんは常に気にかけているのだそう。年越しのように、誰かと過ごしたいイベントの時には必ず彼を家へ誘っていると言います。

ここに再集合した家族みんなとおじちゃんが始めたのは、あるゲームでした。
正直その詳細なルールは最後まで理解できませんでしたが、大枠としては、家族それぞれが事前に他の誰かにプレゼントを用意しておく、そして誰が自分へのプレゼントを用意してくれたのか考えながら、クイズに答える形でポイントを重ねていき、一定数ポイントを貯められると、そのプレゼントを受け取ることができるといったものでした。

もちろん私は事前に何も準備していなかったので、ゲームには参加しませんでしたが、盛り上がるみんなと同じ空間にいることで一緒にとても楽しむことができました。
それに何が素晴らしいって、家族みんなが本気で大笑いして、心からそのゲームを楽しんでいることです。それぞれに渡されるプレゼントは、決して高価な物ではなく、日本で言うと近所のダイソーに売っていそうな、そういった物ばかり。
それでも、本当に相手のことを思った優しいプレゼントばかりで、それを受け取った人は心から喜びます。その1人1人の笑顔と喜ぶ姿を見て、この家族の愛を感じたのでした。

最後の1人がプレゼントを受け取った後、お母さんが隣の部屋から何が小さな箱を持ってきました。臙脂色にゴールドの模様がついた綺麗な箱、そこにリボンで飾り付けがしてあります。
お母さんが大切そうに持ってきたそれを差し出した相手は、なんと私でした。「これは私たち家族から貴女に」そう言って少し照れた様子でプレゼントしてくれたのです。

中に入っていたのは、私がコレクションしているとルスタンに伝えていたウズベキスタンのマグネット数個と、緑色の素敵なシルクのスカーフ。寄せ集めでごめんねと微笑むお母さんやみんなの優しさ、そして私への配慮に思わず目が潤みます。
このプレゼントは今でも私の大切な宝物です。



さて、そろそろ2019年から2020年に移り変わろうという時、リビングにはテーブルに乗りきらないほど沢山のご馳走が運ばれてきました。
それは日本で言う、豪勢なお節料理。ウズベキスタンではこの料理を、年が明けてすぐにみんなで食べる風習があるそうです。
私もご馳走を運ぶお手伝いしようと席を立ちますが、あくまで君はゲストだよといって、誰も手伝わせてはくれません。

「こういう手伝いは昔から、僕よりも弟のファーホッドの方が気を利かせてできるんだ。そんな時僕にはいつも立場がないから、今くらいは僕もこうやって君と話して、ちゃんともてなしているんだと家族にアピールさせてほしい。だから今はここで一緒にお喋りしておこう。」
これはお母さんたちの手伝いをしたかった私が気を悪くしないように、ルスタンが言ってくれた言葉に優しさを感じつつ、なんだか可笑しくなってきます。

というのも、私にも2つ違いの妹がいますが、関係性がルスタンやファーホッドと全く同じ。
小さい頃からいつもマイペースな私と比べてしっかりと気を利かせて立ち回ることができる妹は、毎年お正月などのイベントで大活躍し、私はその度に姉としての立場がないなと思っていたのでした。
国が違えど、性別が違えど、兄弟姉妹はどこでも同じなのかと思うと微笑ましく思えます。


年越しまであと少し。
テレビをつけると、ロシアの番組が流れていました。それはまるで紅白歌合戦のような音楽番組。
ロシアやウズベキスタンでもこの番組を家族で見てから年を越すのが一般的なようです。
私達も家族みんなでその番組を見ながら2020年へのカウントダウンを楽しみました。

3・2・1   Happy new year!!

テレビの中から聞こえる歓声や近所の花火と共に、お父さんが近所の人がくれたという手作りのワインを開けます。
そして沢山のご馳走を頂きながら(みんな既に満腹なので、儀式的に少しずつ頂く程度です)、2020年最初の楽しい宴は幕を開けました。


そうだ、ここで1つウズベキスタン流の「いただきます」を紹介しましょう。
まず両手を出し、指先を揃えて手のひらを上へ向けます。この状態でお父さんが何かありがたいお話をしてくださいます。
その話が終わると、その両手を使って、自分の顔を洗い流すような動作をするのです。そしてようやくご馳走を頂くことができます。

後にサマルカンドで出会った人に教えてもらって知ったのですが、中にはこの顔を洗うような動作の代わりに、祈りを天に捧げるように上を向く動作をする人もいるそう。
これらは食事の時だけでなく、例えば宗教的な施設(ウズベキスタン人の9割以上はイスラム教スンニ派です)やお墓などに行く際にもしている人達を目にしたので、きっと私達日本人が手を合わせるのと似た感覚なのかもしれませんね。


テレビではウズベキスタンの大統領がこの年の所信表明をしていました。実はこの10日ほど前に来日し、安倍総理や天皇陛下と会談されていたという、ウズベキスタンの第2代目大統領、シャヴカト・ミルズィヤエフ氏。そう、ウズベキスタンはまだまだ新しい国なのです。

個人的に興味深かったのは、大統領がウズベク語で所信表明をした後、全く同じ内容を今度はロシア語で話していたこと。
以前の記事にも記載していますが、ウズベキスタンは1991年に独立するまでは長い間ソ連構成共和国の1つだったため、年配の方々の中にはロシア語しか話せない人もいます。その為大統領はウズベク語とロシア語の2つの言語を使って国民に語りかけていたのでした。ルスタンの通訳によると「2020年は発展の年にする」とのこと。この国がこれからどう発展していくのか楽しみです。

そしてこういう時、お酒が入って1番盛り上げてくれるのは、大抵あの近所のおじちゃんです。さっきまであんなにシャイで「英語分からないから」とはにかんでばかりいたおじちゃんが、お酒を飲んだとたんに満面の笑顔で私に話しかけてくれます。

「ここに来てくれてありがとう。君ほど魅力的な人はなかなかいないよ。常に笑顔を絶やさずみんなを明るくしてくれる。そして誰に対しても優しく、礼儀正しく、謙虚だ。この家族はみんないい人だよ。優子もみんなも本当にありがとう」
恥ずかしいくらいのベタ褒めです。
この言葉を何度言われ、何度おじちゃんとハグしたから覚えていませんが、私はきっとおじちゃんのこの綺麗な瞳と、ろれつの回らないウズベク語を最後まで律儀に通訳してくれたルスタンの優しさを忘れることはありません。



翌朝、5:00。
昨晩あんなに遅くまで楽しませてくれたのに、お父さんなんて遅くまでお仕事されて、その上3時間程しか寝てないのに、お父さん、お母さん、そしてルスタンは私を7:00発のサマルカンド行きの電車に乗せる為、早起きしてくれました。

朝ごはんは私の大好きなチョコレートケーキ。
とても美味しかったので全部頂いてしまいました。
家を出る私に、お母さんはお腹空かせたらいけないからと、ウズベキスタン名物の沢山のドライフルーツを持たせてくれます。
そしてルスタンのおじいちゃんが近くの山で作っているという蜂蜜も、搾乳缶のような入れ物から小瓶に移して私にプレゼントしてくれました。
この蜂蜜、今でも大切に少しずつ頂いているのですが、今まで食べた蜂蜜の中で群を抜いて美味しいです。おじいちゃん自慢のこの蜂蜜は日本にも輸入されているようなので、気になる方は是非ウズベキスタンの蜂蜜を調べてみてください。



ルスタンと出会ってわずか足掛け3日間。
それはとても濃く、幸せな時間でした。
そしてなにより、日本から程遠いこのウズベキスタンの地に感謝してもしきれない、本当に生涯大切にしたいと思える家族ができたことを心から嬉しく思います。
帰国後は私の家族にも彼らへメッセージを書いてもらいました。これから毎年お正月には彼らにメッセージカードを送ろう。そう思える大切なご家族です。

コロナで世界中大変な時ですが、ルスタンはお父さんのことを「僕たちのヒーローだよ」と誇り高く話してくれていました。

皆さんの幸せをいつまでも願っています。
本当にありがとうございました。

2019-12/2020-1

大切な家族
ウズベキスタン流おせち料理



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