子育てを通してわかった、両親のキモチと気づき
いまから30年前のこと。
東京で一人暮らしを始めたわたしのもとに、
月に一度、母から食料が届きました。
荷物の中には母の手紙の代わりに、1万円札が数枚。
実家には電車で1時間半。
しょっちゅう帰っていたにもかかわらず、
毎月食料を送ってくれました。
いまでは感謝しているけど、
当時はそこまでありがたいと思っていなかったんです。
なぜなら……。
わたしが”一人暮らしをしたい”と言ったとき
両親は反対しました。
東京ヘ行くと、地元に戻らないのではないか
と思っていたらしいんです。
当時のわたしは地元が好きではなく、
小さな田舎町が窮屈でした。
だから、ゼッタイに東京へ行きたかったんです。
両親は、
食料やお金を送って、親の存在を忘れて欲しくない。
地元に帰って来て欲しい。
と、アピールしてるんじゃないかと思っていました。
(そんな風に思っていたなんて、わたしはイヤなヤツです)
親の気持ちなんて考えもしなかったんです。
数年後、わたしが親になることなど
想像していませんでした。
娘が一人暮らしをして1年
娘が一人暮らしを始めて1年経ちました。
昨年の3月23日に大学院を卒業。
24歳で一人暮らしを始め、仕事にも慣れてきた様子。
弟思いの天然キャラだけど、小さい頃から負けず嫌い。
大学院に進学してからは、悔し泣きをして
研究に勤しむ姿を目の当たりにしてきました。
そんな娘をいつも応援してきました。
だから、しばらくはとても寂しかったです。
就職と同時に一人暮らしだったので、夫は最後まで
「自宅から通えばいいのに……」
と言って引き止めていました。
自宅も職場も都内23区内なのに、
仕事の関係で自宅から通えない。
心配と寂しさもあったんでしょうね。
入社式の朝、衝撃的な出来事
まだまだ娘のいない暮らしに慣れない
2023年4月1日の入社式の朝のこと。
娘は大ケガをしました。
朝食の後片づけで包丁を洗っていたら、
親指の肉をそぎ落としてしまったようで
血が止まらなかったらしいのです。
それでも、入社式に参列。
午後になっても血が止まらなかったので
病院を受診することに。
傷が深くレーザーで止血してもらった、
と連絡がありました。
「やっちゃったよ!」
娘は元気な声でしたが、こちらはビックリ!!
なんでそんなことになっちゃうのよ!
さおさら心配しちゃうよ汗
と言うわたしに
「止血できたから平気!平気!」
と娘は言うのです。
冷や汗がでました。
でも、タラレバを言ってもしょうがない。
きっと慌てただろうに……。
一人で一生懸命止血をして、
バンドエイドをぐるぐる巻きにして入社式に行ったんだね。
それでも血が止まらず、
痛かっただろうな、焦っただろうな。
と、ぐるぐると想像を膨らませました。
いつも一緒にいると、
まだまだ子どもだと思ってしまいます。
でも、年齢は25歳。立派な大人。
娘のことを子ども扱いしている訳じゃないけど、
もう少し距離を置いた方がいいのかな?
それとも、いままで通りに接していけばいいのかな?
などと考える機会になりました。
親になって思うこと
親になり子どもが巣立って思うのは、
わたしの両親も同じ想いをしてきたんだと考えるように……。
わたしが一人暮らしをしたとき、
両親は寂しそうではありませんでした。
地元と東京は案外近いし、
いつでも会えると思っているんだろうな
と勝手に思っていました。
のちのち母から聞きましたが、
わたしの前では見せなかっただけ。
父は寂しさを隠して仕事に没頭していたんですって。
面と向かって話すのが恥ずかしい。
でも、仕送りが足りなかったら可哀想。
好きなものを食べさせてあげたい。
という思いで食料を送っていたと知りました。
いまのわたしも当時の両親と同じ。
ちゃんと食べているのか?
母の味を食べさせてあげたい!
その思いから、娘が自宅に帰ってきたら
好物を作って待っているんです。
いまごろ気づくなんて、
18歳のわたしは想像力がなさ過ぎ!バカですね!
でも、気づけて良かった。
両親と娘のおかげです。
経験しないとわからないこともあります。
なので、子育てに限らずいろいろなことを
経験しなくちゃいけないんだ
と思うようになりました。
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