見出し画像

新連載『レオニード・ヤコプソンの世界』 第1回 「天才振付家 ヤコプソンの軌跡」

こんにちは!
サンクトペテルブルグのヤコブソン・バレエ団(ロシア国立サンクトペテルブルグ・アカデミー・バレエ)は、『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』などの古典作品の上演で皆さまにもおなじみのカンパニーですが、その名がバレエ団に受け継がれているレオニード・ヤコブソン(※)その人については、広く知られてはいないのではないかと思います。この連載では、ヤコブソンがどんな振付家だったのかをロシア・バレエの研究者である梶彩子さんにご紹介していただきます。

今回は、第1回「天才振付家 ヤコプソンの軌跡」をお届けします。


※弊社では「ヤコブソン」と表記しておりますが、題目及び本文はロシア語の発音にならい「ヤコプソン」と表記されております。

****************************************
 
皆さまこんにちは。梶彩子です。私はレオニード・ヤコプソンを専門に研究しており、ヤコプソンはもっと知られるべき振付家だと常々歯がゆい思いがありました。今回インプレサリオ東京さんからヤコプソンについて紹介する機会を頂き、とても嬉しく思っています。ぜひより多くの皆さまに、ヤコプソンや彼の作品について興味を持っていただければ幸いです。そしてゆくゆくは、日本でのヤコプソン作品の上演につながればと願っています。

1.天才振付家レオニード・ヤコプソン

 レオニード・ヤコプソン(1904―1975)は、一言で言ってしまえば「天才」―――ありとあらゆる題材を基に踊りを即興で自在に生み出すことができるソ連バレエの天才振付家でした。クラシック・バレエの語彙だけに縛られずに新しい動きを生みだすことに長け、特にその才能を遺憾なく発揮したのが小品。1958年には小品だけを集めた公演「舞踊ミニアチュール」がキーロフ劇場(現在のマリインスキー劇場)で行われ好評を博し、1960年には映画化され、翌年ヨーロッパで行われた二つのテレビ祭で賞を受賞したほどでした。キーロフ劇場専属振付家としても、タタール(※1)の民話を基にした『シュラレー』(1950)、古代ローマの奴隷反乱を題材にした『スパルタクス』(1956)、詩人マヤコフスキー(※2)を中心に据えた『南京虫』(1962)、ブローク(※3)の革命詩に基づく『十二』(1964)、独ソ戦をロシアのおとぎ話世界に置き換えた『奇跡の国』(1967)といった意欲作を次々と上演し大きな話題を生みました。
その後1969年に自分のカンパニーを得ると、「舞踊ミニアチュール」と名付け、ソ連各地からバレエ学校を卒業したばかりの若手を集め、1975年に亡くなるまで精力的に創作活動を行いました。当時のソ連では、劇場から独立したバレエ団というのは大変珍しく、最初は専用のレッスン場も無い状態からのスタートでしたが、1971年には万全を期して旗揚げ公演が行われ、大成功を収めます。ヤコプソンは当時六十代後半。若き団員と共に新作を作り続ける気力と体力を維持し、他のどの振付家とも似ていないユニークな創作でソ連バレエの前衛であり続けたことは驚きに値します。そしてだからこそ、バレエ団を得て僅か6年、これからという時の死は、大いに惜しまれました。このカンパニー舞踊ミニアチュールが名称やレパートリーを変えながら、現在のヤコプソン・バレエとして活動を続けているのです。

iOS の画像 (c)

※1 タタール ロシア及びNIS諸国に住むテュルク系民族
※2 ウラジーミル・マヤコフスキー (1893–1930) ロシア未来派を代表する詩人
※3 アレクサンドル・ブローク(1880–1921)ロシア・シンボリズムを代表する詩人


2.振付家としての名声を得るまで

 軌道に乗った活躍に至るまでの経歴も簡単に紹介したいと思います。ヤコプソンは1904年、ロシア帝政末期のペテルブルグに生まれ、レニングラード舞踊学校(現在のワガノワ・バレエ・アカデミー)を卒業し、キーロフ劇場バレエ団で踊りながら振付も行いました。バレエ学校時代から名教師アグリッピナ・ワガノワ(※)に振付の才を認められバレエ学校の専任振付家に任命されますが、クラシック擁護者のワガノワと実験派のヤコプソンはやがて決裂し、ヤコプソンはモスクワへ。古典と革新という対立だけでなく、頑固で喧嘩っ早い性格も災いし、大作を上演する機会になかなか恵まれず、生活のためにバレエ草創期のタタールスタンやトルクメニスタンに赴き作品を振付けたり、レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)やモスクワのバレエ学校、イザドラ・ダンカンスクール等でも創作をしながらソ連各地を転々としました。キーロフ劇場初演『シュラレー』(1950年)成功後は、レニングラードを主な拠点として活躍しました。なお、今でも母校ワガノワ・バレエ・アカデミーでは、演技の授業の一環でヤコプソンの小品が踊られています。教育的観点からもその価値が認められ、大切に継承されているのです。

iOS の画像 (b)


3.受け継がれるヤコプソン作品

 残念ながら大半のヤコプソン作品は死後散逸し、現存する作品はごくわずかです。しかし重要なのは、ヤコプソン作品がワガノワ・バレエ・アカデミーやマリインスキー劇場、そしてヤコプソン・バレエで今も踊り継がれているということです。
 ヤコプソン・バレエのレパートリーには、数は限られているものの豊かなヤコプソンの創作世界が今も生きています。たとえば、代表作の「ロダン・シリーズ」ではロダンの彫刻作品が生き生きと動き出し、『タリオーニの飛翔』は、黒い衣装に身を包んだダンサー4人にサポートされたシルフィード(=マリー・タリオーニ)がまるで宙に浮いているように見える大変美しい作品です。

画像1

(「ロダンシリーズ」より)

他にもロマン主義バレエの傑作にひねりを加えたヤコプソン版『パ・ド・カトル』、18世紀の「舞踊の神」ヴェストリスとバレエ・テクニックのパロディ『ヴェストリス』(名ダンサー、バリシニコフのために作られました)、シャガールの絵画にインスピレーションを得た『婚礼行列』など、バレエ・ファンの皆さんも、そうでない方も、時に意表を突くようなヤコプソンのイマジネーションを存分に楽しんでもらえると思います。

iOS の画像 (8)

(ヤコプソン版『パ・ド・カトル』より)

iOS の画像 (15)

(『ヴェストリス』より)

iOS の画像 (4)

(『婚礼行列』より)

4.おわりに

ヤコプソンのバレエ団がヤコプソン作品を日本で上演したことはまだないそうです。是非、日本の観客の皆さんにも、今も色褪せぬ魅力に満ちたヤコプソン作品を生の舞台で楽しんでもらえる日が来ますように!

iOS の画像 (17)


【梶彩子/プロフィール】
東京外国語大学ロシア・東欧課程ロシア語学科卒。サンクトペテルブルグ国立大学歴史学部西欧・ロシア文化史学科修士課程修了。現在、東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程在学中。専門はロシア及びソヴィエト・バレエ史。

****************************************

今回はヤコブソンの生涯や代表作品についてご紹介いただきました。
バレエ・ファンでも、彼についてはあまりご存知ない方も多いのではないかと思います。しかし、彼のバラエティーに富んだ作品達は、どれも一度見ると頭から離れない不思議な魅力に溢れたものばかりです。

彼の残した作品は、ヤコブソン・バレエ団の個性であり、バレエ団とバレエ史にとって重要な作品であることは間違いありません。
日本での上演は諸事情により今はまだ難しいのですが、いつか日本のお客様にもお届けできるよう頑張ります…!

次回は、ヤコブソンと日本の意外な関わりについてご紹介いただきます。
どうぞお楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?