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人生の意味について

人生に意味があるのか?については、誰しもが一度は考えたことがあるのではないだろうか?

もちろん、自分から望んでこの世に生まれてきたわけではないので、人生に固有の意味などあるはずがない。

ここで人生の捉え方について、見解が分かれる。

一つ目は、生まれてきたこと自体に意味はないのだから、無目的に別に人生の意味なぞ考えたり、構築したりせず、淡々と寿命まで全うする

二つ目は、生まれてきたのは偶然かもしれないが、せっかく生まれてきたのだから、何らかの意味や目標を持つべきだ

全然スピリチュアルな話ではないので、生物が生まれてくること自体には種の存続ということ以外に、意味や目的があるわけではないだろう。

人間だけが脳が発達したために、生きる意味について疑問に思ってしまうだけだ。

生きる意味にはもちろん唯一の正解なんてものは存在しないし、客観的な意味なんて無いというのが近いのだろう。

では、生まれてしまって生きていかなければならないので、どう考えたら良いのだろうか?

道徳的な意味ではなくて、生きやすいか、楽しいか、という視点でみた場合についてだ。

思い通りにならない人生を達観して執着を極限まで減らして、何も感じないように生きる方向、あるいは生まれた以上、意味を創り出して達成を目指して生きる方向のどちらを目指すべきかを個人的に考えている。

まあ、その折衷案が自分にとってはいいのかも知れない。

他人の評価軸や価値観で評価されることを諦める部分と、自分が好きなことについては積極的に楽しんでいく部分。

会社での出世は出来なかったけれど、その分責任もなく精神的には楽になり時間もあり恵まれている。

趣味のランや読書は誰と競うわけではないので、好きなペースで楽しめている。

理想の家族関係とも程遠いけど、その分自由に好き勝手に行動できる。

大勢でいるよりも、一人でいる方が圧倒的に好きなので、今の境遇は決して苦痛ではない。

生きる意味とは?と聞かれても、ただ生まれてしまったから寿命がくるまでなるべく楽しもうぐらいしかないのだが、楽しむの幅や深さを拡張していきたい。
この後の人生に大きな期待はないけれど、ささやかな楽しみイベントを沢山作って、そこそこの人生にしていきたい。

死の床で振り返った時に70点ぐらいの人生でいいかなと今は思っている。

完璧な人生なんてありませんからね。

執着をなるべく手放し、他人に期待せず、自分なりのそこそこ人生にしていきたい。

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