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ヘルスケアスタートアップのCDOをやってみた(退任)

2020年末から約1年間続けた、ミナカラのCDO/執行役員を、2021年11月末をもって辞任しました。

着任のタイミングにもnoteを書いていたのですが↓
https://note.com/imototakumu/n/n6d15d1745783
ここで書いてある通り、この1年は自身が代表をつとめるデザイン会社 broom inc. の活動と並行する形で続けてきました。“外部CDO”ってことではなく、がっつり"中の人"です。

先に現在の状況だけ書いておくと、今回の辞任は、ぼく個人とミナカラにとってネガティブなものではない、という相互認識で、関係も依然と変わらず良好かつ、気持ちも前向きです。また、今後の関わりが0になるということでもなく、“中の人”から、もともとそうであった"パートナー関係(デザイン会社とクライアント)"にもどったという感じです。実際、現在もさまざまなプロジェクトを共に進める計画を立てています。

着任から1年での心持ちの変化、そして今後の自身の方針を改めて整理するために、このnoteを書いておこうかなと。ただ、具体的なことに触れ始めると収拾がつかなくなっちゃうので、印象に残った本質的な部分にだけスポットを当てて書こうと思います。全編ぼくの主観によるまとめなのでこれは違うぞって点も多々あるとは思いますがそこは悪しからず。

働き方編① 役割の掛け持ちは大変

まず、2つの会社をまたぐ働き方について。
大変なのはあらかじめわかっていた”つもり”で、着任時点では、みんなが休んでいる間に自分が2倍働けばなんとかなるだろう、くらいの心持ちでした。

でも、その"あらかじめ覚悟していた2社の仕事"とは、今振り返って紐解いてみると、両社それぞれの経営者としての仕事とディレクターとしての仕事とデザイナーとしての仕事、おおよそ6つの役割を掛け持ちするようなものだな、と。

慎重に見当したなら(しなくても)気づきそうなものですが、このあたりが着任時点では見えていなかったように思います。これ自体には着任後わりとすぐに気がついて、少なくともデザイナーとしての役割は他の人に任せるべく、採用にも動き出しましたが、そう上手く事が運ぶこともなく、結局最後までパワーが分散したまま、駆け抜けてしまったように思います。反省です。

ただ現在でも、役割の掛け持ち自体がパフォーマンスを下げるとは思っていませんし、むしろキャパの範疇ならシナジーを生むとも思っています。単純に「なんでもできると思うなよ・仕事ナメんなよ」って話です。

”デザイン会社を立ち上げたデザイナー”など、スモールビジネスを主宰している人は、その状況や価値観の中でのプレイングとマネジメントをあたりまえのように並行しているし、broom inc.を通じてそういう境遇にあったぼく自身もある程度はできている気になっていましたが、でもそれは自分が身を置いてきた場所だけの話なわけで。

ミナカラのようなスタートアップとbroom inc.のようなスモールビジネスの差分然り、会社やプロジェクトの規模や文化が異なれば、役割の定義も移ろうわけなので、凝り固まった個人の物差しを当てがっても仕方ないのです。その都度、自覚と熟慮を経て、取り掛かる前にやわらかく準備すべきだな、と。

結局ここでの学びは基本中の基本みたいなことなので、なんだか情けなくなってくるんですけど 、任せられることは潔く任せる、任せられないことも任せられるように環境を整える、そうやって全員が得意なフィールドでパワーを集中できるようにすることが、リソース運用の手段としても、個人の心持ちとしても、大切と改めて思ったのでした。

働き方編② 経営の掛け持ちはもっと大変

業務遂行に当たっては、細かく時間を区切ることでなんとか物理的に並行することはできたものの、マインドシェアとして2社分が入り乱れることで、自身のクリエイティビティがなんとなく薄れていくのを感じました。

broom inc.では普段から複数のプロジェクトを同時並行的に扱っているので、一定のスパンで脳のスイッチを切り替えるのはおそらく得意な方だと思うのですが、経営レイヤーでの2社分の思考は、その量はもとより、アイデアのベクトルが散り散りになって収束しない、没頭できない、そんな感じです。これはもしかしたら、デザインの会社とヘルスケアの会社という全く異なる業態だから起こっていることなのかもしれないし、思考の方法次第で解決できることなのかもしれない、など迷いつつも、最終的にはこのままではフルパワーを発揮することは難しい、と1年かけて判断しました。これが辞任の一番大きな理由です。

パラレルワークという働き方・考え方(wiki曰く、複数もつ役割・活動・仕事のどれもが”本業"と認識すること・副業ではなく複業)がありますが、今回の経験を経てそれに対するぼくの見解は、「どちらも”本業"と認識はできるし、その分経験値も多い、ただしどちらも成果は遠のく」です。

あらかじめ50:50でのコミットになる、というのは周囲のメンバーも承知してくれていたとはいえ、バランスをとるのに翻弄されるがあまり全力を出せていないと感じる歯痒さは、相当キました。もしかすると、あらかじめ80:20などでのコミットを自他ともの前提としたならば、心持ちも多少変わったのかもしれません。でも、ぼくの場合は、ひとつの枠組みに対して全身全霊のクリエイティビティをつぎ込めなくなるのが苦であるということを身をもって知ったので、今後この手の話は断ることに決めました。

働き方編③ 働き方と自分らしさ

2社分のマインドシェアを抱えることに加えて、可処分時間がほとんどなくなったことも、クリエイティビティの減少につながっている、そんな気がします。ぼくは一週間のうち最低でも、まとまった4-5時間くらいカフェに篭って、ひたすらあてもなく何かを頭に入れたり、考えたりする、そんな時間を18歳くらいから設け続けています。本当にどうでもいいような知識を得て、何に使えるかわからないけど面白そうなプロダクトやサービスのアイデアにつなげる、“ただ吸って吐く”そんな時間です。この1年はそんなルーティンが、18歳からの約10年間で唯一途切れた1年でした。

途切れるまでルーティンとすら思っていなくて、なんとなくやってたことなんだなって。でも、こういう些細なことが自分らしさを形づくっているんだろうと思った時、それはぼくにとって”譲れないこと”だなと思ったわけです。

とはいえ、いざCDO/執行役員を降りることを考えるとなんとなく責任から逃れるみたいでどうなんだろうと思ってはいたこともあり、broom inc. 共同創業者、それ以前に友人の坂本にちらっと話したら..

「いもちゃんのやりたいようにすりゃいんじゃね?」って、
かるっwww
まぁでもその通りだなって。さんきゅーな。テメェの人生は仕事かよ、とピコピコハンマーでぶん殴られた気分でした。

耐え忍ぶことで報われることももちろんあるだろうけど、「これが自分だ」と認知していることを失ってまでやるべきことなんて何一つないな、と。

組織編① リーダーとチームの色・社外パートナー

社内のもの同士だと、事業状況の理解の深度、社内での成功事例の数、など互いの間にある“差”を如実に体感できる分、それがそのまま個々人の、意思決定に関わる発言の影響力に紐づくことを感じました。

ともなれば、影響力が高い個の思想に、組織全体の"色"がおおよそ傾いていくのは必至で、着任当時のミナカラの場合、マーケ領域での成功事例に引っ張られる形で意思決定の判断軸が形成されていたと捉えています。それは”色”をつくっている一方で、ブランディングやデザインの文脈を、アセットではなくコストとして捉えがちな状況にもつながっていたようにも思います。やっぱり、リーダーによって組織の色が変わる、ってのは真理だなと。

ただ、そういう状況に対して、ブランディングやデザインの考え方をインストールすること自体はできると踏んでいたし、実際に、だんだんと社内の多方面で“体験“という言葉が飛び交うようになったことからも、ビジョンは生まれたと思っています。ですがやはりインストールだけではだめ、会社としての価値観のプライオリティーや意思決定の判断軸そのものを抜本的に“中から変える”ためには、あくまで社内での強い影響力を纏う必要があることをひしひしと感じました。

そして、この点において、社外パートナーって、すごく都合が良い存在だな、と改めて。良い意味で。社内の影響力に関係なく、独自に築いてきた実績と提案次第で社外から社内に影響をもたらせるわけなので。ミナカラでもUX/UI設計の文脈で社外パートナーと一緒にプロジェクトをすすめていた時期があったのですが、社内に新しい風が吹いた、そんな感じがしました。固まった判断軸が解きほぐされ、プロジェクトメンバーを中心にみんなの考え方にも波及していく感じです。

ここではじめて、具体的なソリューション以上に、社外パートナーをアサインするメリットを感じたわけです。逆に言うと、broom inc.もそうでないといけないと思い、身が引き締まる思いです。おそらく、意識してるかしてないかで関わり方に大きく差が出るだろうな、と。

組織編② スタートアップにおけるCxO

いわゆるリーンスタートアップ的にスクラップ&ビルドを繰り返すべきフェーズ、ブランド開発における根本的な存在定義/戦略が移り変わることが前提にあるうちは、CxOをはじめとするリーダー的な振る舞いを求められるポジションは、文字通り”すべて”を捧げられる人材でないと、開発課題における、一点集中のパワープレイの実施が難しいことから機能しにくいだろうと、ぼくがそうでなかったことから反面教師的に悟りました。

スクラップ&ビルドを通した非連続的な成長のためには、運用の仕組みづくりや文化の醸成など以前に、たとえ属人的だとしても独断専行でゴリゴリ進めていくスタンスが必至だな、と。

逆に、企業の実態と戦略・ビジョンが噛み合い、ある程度事業のコアがブレなくなってきたフェーズでは、仕組みづくりや文化の醸成が必至になると思います。もしCDOを外部から登用しようとしているのであれば、ちょうどこの頃からディレクションやエデュケーションの文脈での有用性が最も高くなるようにも思いました。また、社内CDOとしてだけでなく、社外CDOもしくは社内チームへの教育ないしは相談役としての座組みを検討しても良いかな、と。

本来このあたりで初めてブランディングの領分に入ってくると考えているのですが、それ以前から”視点”としてそれらの考え方が介在することには今も変わらず賛成です。Airbnbのブライアン・チェスキーや、Slackのスチュワート・バターフィールドなど、創業者がデザイナーのケースを見てみても、ゼロ地点からデザイン思考が伴うことで、事業成長が加速することが往々としてあるわけなので。

事業編① ちゃんとやることの落とし穴

ミナカラでいちばん初めにぼくがイニシアチブをとって進めたこととして、事業戦略以前に自分たちの存在意義を定義・把握しておこうというのをやりました。その際、いくつかのフレームワークを用いて経営陣4人で議論を進めていたわけですが、それがまぁ決まらないw

途中、「ちゃんとやる」っていうマインドはよしとして、自分自身それを実現するための方法論に縛られている気がしてなりませんでした。フレームワークやセオリーは結局、ひとつの手段でしかなく、それに捉われてがんじがらめになってる場合じゃないのです。目的は「ちゃんとやる」ではなく「おもしろいことをやる」なのだから。

結局フレームワークのフの字も原型をとどめない形で着地こそしましたが、ぼくがもっと柔軟な頭ならもっと早くに決まっていたことかもしれないなぁ、と。

ちょっと脱線しますが、この"柔軟性"に関連して常々思っていることとして、「この方法はお金がないとできません」はビジネスマンとしては正しいけど、クリエイティブの文脈だと単に思考を止めているって話じゃないかな、と思うわけです。貧しい環境でもどうやって豊かな体験を生み出せるかって考えるのがデザイン領域に住まう者の本分だとぼくは思います。世の中の表層的な風潮として、デザインへの投資は予算が潤沢な会社のもの、という印象をなんとなく感じるわけですが、そうじゃない会社もたくさんあるわけで。もしもデザインへの投資をしにくい経営状況ならそういう状況自体に沿った、やり方で柔らかくできることが、ぼくらの正な気がするわけです。

これを踏まえて、broom inc.でも、もともとは属人化から脱するためにつくったメソッドがあったんですが、それに完全に沿って実行するなんてことはできるはずもなく、抜け漏れ防止のチェックシート程度の運用で十分と、考えを改めました。

いつかの講演会か本か、何で見たかは忘れましたが、最高の素材で一流レストランの逸品をつくるシェフってのも素敵だけど、冷蔵庫の余り物であったかい晩ごはんをつくるオカン的なマインドも最高だよねって話です。

事業編② イノベーションの重み

ぼくが辞任する直前、株式会社NTTドコモと株式会社メドレーがミナカラの全株式を共同取得する、という大きな変革を迎えました。いわゆるM&Aってやつですね。さいごに、その背景にあったことも記しておくと..

そもそもミナカラでは、医薬品の販売を中心に薬剤師によるサポートなども含めた包括的なサポートを提供しています。そのための場として中核を担っているのがminacolor.com。ぼくらはcom(コム)と呼んでいました。

comでは、一般用医薬品(市販薬・OTC薬)を薬剤師/薬局を通して提供している一方で、医療用医薬品(処方薬)については、医師の診断が必要になるため自社だけでは対応することができず、真の包括的な課題解決ができないという課題を抱えていました。

抜本的にミナカラを良くしようと事業開発メンバーと議論を重ねていくと必ずと言っていいほど最終的には、「ユーザーにとってみても”不調が起こった際ミナカラを訪ねれば包括的な間口で受け止めてくれる""診断から服薬サポート、医薬品の提供まで、地続きの体験をオンライン上で提供してくれる"ってなれば一番良いよね!」となるわけです。

ちなみに過程では、もっとニッチなターゲッティングのもと、あえて間口を狭め、何らかの分野に特化したよりわかりやすいサービスにつくりかえるという、ある意味で真逆の、至極ブランド開発的な発想での事業戦略も検討していましたが、スケールすることを視野に入れ、かつ単純にユーザーにとっての最善を考えるなら、圧倒的に広い間口の方に希望が広がっています。

見て見ぬふりをしていたわけではありませんが、クリニックを自前で立ち上げるにしても、医療機関との連携によって解決するにしても、お金も時間も関係性も、それらの構築に膨大なリソースとその準備が必要となるので、どうにかしないといけない課題と認識しながらも、機会を伺っている感じでした。そんな折に、医師や医療機関との基盤があるメドレー・ドコモと一緒に、という着地をしたのでした。

ぼくがもし喜納さん(ミナカラ創業者)だったら、なんてなってみないとわからないけど、オーナーシップ/経営を任せる覚悟はそう容易いものじゃないし、事業のためとはいえこの決断をしたことは素直に、かっこいいなと!

オンライン診療をはじめ、ヘルスケア×オンラインの分野は各社の参入もはげしく、まさに戦国時代って感じですが、それだけ可能性に満ちた市場と思います。規模も大きい。そういう環境に対して、もがきながら着々と実現していく、その難しさも楽しさも含んだ極めてイノベーティブな空気感はとても心地よいものでした。

“何かを変えるために大きく張る”ってのは、従来のデザイン会社のビジネスモデルだとまぁない話です。何もかもちがえど、だからこそ面白かった。気概としては定着した気もするので、この先何らかの形へ昇華したいとも思ったのでした。

さいごに

ながーくなっちゃいましたが。喜納さん、ミナカラに誘ってくれてありがとうございました、とんでもなく稀有な経験をさせてもらいました!

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