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史料5 楽譜に凝縮されたガリカニスム

「ヴェルサイユ宮殿の王室礼拝堂で使用するためのグラドゥアーレとアンティフォナ集」(1684-1686年) (※拙訳)

より

IN FESTO S. LUDOVICI REGRIS FRANCIÆ AD VESPERAS ANT. (P. 213-221)
晩課でのフランス王ルイの祭典 (※拙訳)

213ページ
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他の聖歌集では大抵黒一色かせいぜい赤と黒の二色使いのところ、この聖歌集は楽譜部分は赤黒二色とはいえフルカラーで豪華な宗教画・静画的装飾が多くのページに施されており、最早一つの美術品の様相を呈する。筆者は絵画美術は音楽以上に素人なので、ここでは要所以外触れないことにする。

1. グラドゥアーレとアンティフォナとは

グラドゥアーレGuraduale: 昇階唱、ミサで使徒書簡の朗読の後に歌われるレスポンソリウム(応答唱)。
- アンティフォナAntiphona: 交唱、キリスト教聖歌の隊形の1つで、合唱を2つに分けて交互に歌う。

Wikipedia「昇階唱」:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%87%E9%9A%8E%E5%94%B1
Wikipedia「アンティフォナ」:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8A

大雑把な括りで言うと、カトリック教会の礼拝で使用されるネウマ譜で書かれた聖歌集のことである。
ローマカトリック教会で使用されるものはGraduale Romanumである。フランスはカトリックの形を保ちつつ中世に独自の国教会に変化し、独自の聖歌集を編纂した。


2.(筆者が出来る範囲で)213ページの解説
このページを四角に囲う枠線の装飾↓

他、Incipit(インキピット、歌詞の最初の文字)の大いに装飾されたQの中に描かれている(国王の)紋章に含まれている模様↓

は、fleur-de-lis(フルール・ド・リス)と呼ばれ、アヤメを象った何かしらの「フランス」の意味を持つ象徴・記号・装飾である。


Qから始まる冒頭の歌詞はラテン語の旧約聖書サムエル記上13章14節の第2行と一致する。

I Samuelis 13
14 sed nequaquam regnum tuum ultra consurget. Quaesivit Dominus sibi virum juxta cor suum: et praecepit ei Dominus ut esset dux super populum suum, eo quod non servaveris quae praecepit Dominus.

Bible Gateway: 
https://www.biblegateway.com/passage/?search=1%20Samuel%2013&version=CEV;VULGATE

日本語訳:

1:サムエル記上/ 13章 14節(新共同訳、旧約聖書)
しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。

日本聖書協会HP検索結果: 
https://www.bible.or.jp/read/vers_search/titlechapter.html


サムエル記では、結局イスラエルという国は神が支配する国から王(人)が支配する国にはなれなかったというその経緯(物語)が綴られている。そのうちこの聖書箇所は古代イスラエルにおいて宗教的にも政治的にも指導者であった預言者(士師)サムエルと、サムエルによってイスラエルの初代王に任命されたサウルの間に生じた軋轢を記し、とある時にサウルがサムエルを待たずして生贄をささげる礼拝を行ったことをサムエルが厳しく咎める台詞である。イスラエルが王政へ転換しようとした理由として、周辺国が皆王政を敷く中でイスラエルだけが王を持たないこと、イスラエルと敵対するペリシテ人との戦争に際し軍事的指導者が必要になったことなどが挙げられている。(参考:https://mythpedia.jp/judaism/old-testament3.htmlhttps://mythpedia.jp/judaism/old-testament4.html

一見王を批判した王政にとって不吉な聖書箇所に見えるが、なぜフランス王国がこの聖書箇所を国家宗教の礼拝で使用する聖歌集に採択したのか。その理由は王権神授説という政治思想により説明され得るだろう。王権神授説下にあっては、当時のフランスの司教 ジャック・ベニーニュ=ボスェット Jacques-Bénigne Bossuet (1627-1704) の著書によると

« le trône royal n’est pas le trône d’un homme, mais le trône de Dieu même »

「王座は人の王座ではなく、神ご自身の王座である。」(※Deeple翻訳)

Jacques Bénigne Bossuet, Politique tirée des propres paroles de l'Ecriture Sainte, Paris, 1714, P94: 
https://books.google.fr/books?redir_esc=y&hl=fr&id=mSaiydJ9UOkC&q=tr%C3%B4ne#v=snippet&q=tr%C3%B4ne&f=false


ということなので、フランス王に従わない者は神へ逆らう者と同じ、という意味が歌詞からは浮かび上がる。それが例えローマカトリック教会であっても。

それでもフランス王国はあくまでカトリックの体制を採っているため、カトリック教会の伝統と規則に矛盾しないラテン語かつ聖書の範囲でローマカトリックからの独立を謳い上げるという巧みな歌詞選択を行った。自国の王国と国家教会体制(ガリカニスムGallicanisme)の正当性を独自の聖歌集に上手く表明しているといえるだろう。


今回は213ページのみ。

※無断転載を固く禁じます。


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