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ぼったくられて考えた、「お金」のこと

インドを旅していると、ぼったくられるのは日常茶飯事だ。
しかし、たまにお金を払いたいのに、いくら払えばいいのかわからないこともある。

そして、これがけっこう悩ましい。
旅を終えたあと、後悔するのは、ぼったくられたことよりも写真を見返しながら「もっと払えばよかった」という思いの方だったりする。

インドを日本人が歩いていると1日に50回ぐらいは「ぼったくり」に声をかけられる。そして、実際にぼったくられることもあるのだけれども、その時点では気づかないことも多い。

「答え合わせ」が行われるのは少し後だったりするからだ。
たとえば500円で買ったモノを小さな市場で100円で売っているのを見つけたり、現地の人と一緒にタクシーに乗ると、いつもの半額くらいで乗れたりといった時、旅人は「相場」を知る。

気づいたときは「やられた!」と少なからず悔しい思いもするのだけれども、数えきれないくらいぼったくられているうちに、ある疑問がわいた。

果たして、「ぼったくり」は悪なのだろうか。

ヒンディー語しか話せないタクシードライバーからすれば、下手な英語しか話さない日本人を相手にすることはそれなりに面倒な相手だ。

目的地の確認からお金のやりとりまで、外国人を相手にすることは地元民を相手にするのの何倍も時間がかかる。しかし、多くの日本人が地元の人と同じ金額しか払わないことを断固として主張し続けたらどうだろう。

次第に「日本人はコミュニケーションが面倒なのに、金を払わない」という認識が広がり、今後の日本からの旅人が街中でタクシーを捕まえづらくなることだってあるかもしれない。

今回の旅でも、Booking.comで見つけた破格の宿を予約し訪ねてみると、「外国人おことわり」のホテルだったため門前払いされたことがあった。

夜8時に見知らぬ街に放り出されて途方に暮れつつも、このホテルにも過去に外国人は色々とあったのかもしれないなぁと水に流した。

1杯のチャイからはじまった宴

インド西部ラジャスターン州。砂漠を越えた先はもうパキスタンという場所に、ジャイサルメールという美しい街がある。

2月なのに30度を超える暑い日。日陰でチャイを飲んでいると、となりに座るインド人が話しかけてきた。

ふだんは抜け目なくお金の話をしてくるインド人も、チャイを飲んでいる時はOFFになるのか少し空気がちがう。チャイをおごってくれることも少なくないし、「金を払う」と言っても受け取ろうとしない。

男性とチャイを飲むうちに意気投合。彼の名前はパダムさんという。すると、そのパダムさんから「今夜、うちでディナーをしないか?」という誘いをいただき、二つ返事で「喜んで」と答えた。

その「パダムさんち」というのが、茂みの中に立てたテントだったのだ。街の郊外へのびる大通り、人通りがなくなり建物がまばらになったころ、点々と現れ始めた小さな林の中にあった。

テントの一つは寝室。もう一つはキッチン。トイレはそのあたりの草むらで、とパダムさんは説明してくれた。

薪から火を起こしカレーを煮込むこと1時間。このカレーが絶品だった。旅行客がふだん食べるカレーとは一味ちがうガツンとくる辛さ、スパイスの香り、新鮮なラムの柔らかさ。止まらない汗に夜風が気持ちいい。

カレーに欠かせない「ロティ」と呼ばれるパンのようなものは女性が作るのが習慣らしい。カレーの煮込みが完成したところで、パダムさんの義妹のラダさんに交代。

インド人にとって手作りのロティは「母の味」だという。食堂で1枚10円でおかわりでき、時には満腹から残してしまったこともあったが、僕の中でロティを見る目で変わった。

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私たちは一晩中いろんな話をした。

若い頃にラクダで競う「キャメルレース」の大会で優勝したこと。そして、今はキャメルサファリでキャメルドライバーをしていること。

キャメルサファリは重要な観光産業で、観光客は3000円くらいをツアー会社に払うが、ドライバーには1日働いても300円くらいしか支払われないと嘆いていた。

学校には行けなかったので、観光客との会話の中から英語やフランス語などを覚えた。インドにも義務教育はあるが、バス代や制服代などが高く、多くの子ども達が通えていないこと。

そして、彼らの子どもたちもまた、学校には行けてないこと。

どんなツアーよりも「パダムさんちでの宴」は、インドについてたくさんのことを教えてくれた。

めずらしい景色や得がたい体験を求めて私たちは旅をする。お金を払いツアーに参加することもあれば、たった1杯のチャイから忘れられない出会いが始まることもある。

この贅沢な時間はいくらだろう

インドでは仲良くなったり、話が盛り上がった頃合いをみて「ビジネス」の話になることも少なくない。

多くの場合で、別れ際に「いかに貧しく困っているか」を訴え、子どもたちにもご飯をたべさせてやりたいのと、お金を求めてくるのだ。くり返し「プリーズ…」と言われることに疲れたけれど慣れてはきたし、状況もよく理解できた。

きっと、パダムさんも「お金をくれないだろうか」と切り出すだろうと思っていた。そして、宴を十分に楽しんだ私は払うつもりだった。

しかし、彼は最後までお金を要求しなかったのだ。

宿に戻り、楽しかった宴の余韻にひたりながら、彼が話してくれた彼の人生や、インドの状況、子供達のことを思うと、「本当に払わなくてよかったのだろうか」という考えが、頭から離れなくなった。

旅の始まりに相場もわからず1000円くらいで買った本物か偽物かもわからない絹を見ながら、このお金を彼にあげられればよかった、と考える。

モノや体験の値段は「売る側」だけが決めるものではない。そもそも、あらゆるものにマーケットがあり相場があるわけでもない。

まだ価格がついていない「価値あるもの」は確かに存在するし、むしろ、価格のついていないものと出会うために、私たちは法外なお金を支払う。

「ぼったくられた」という感覚は、「これが私にとって、いくらなのか」を私自身が分かっていない時、生まれるのかもしれない。

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悩んだ挙句、自分の中で小さな決まりを作った。翌日もチャイ屋を訪ね再会することができたら、あらためて今晩のお礼を言い、お金を渡そう、と。

翌日、同じチャイ屋を訪ねると、彼はいた。
私の姿を見つけるやチャイを頼み、またもやごちそうしてくれた。

チャイを飲みながら、私は昨晩の時間がとても楽しかったことを伝える。そして、「楽しかった時間のお礼です」と伝え、20ドル紙幣を1枚だけ渡した。

彼は一瞬驚いたようにも見えたが、大げさに喜ぶわけでもなく、静かな笑顔でゆっくり受け取ってくれた。

20ドルは東京だと飲み会1回分にもならない金額だ。しかし、同時にキャメルドライバーとしての彼の仕事10日分くらいの金額でもある。

その金額がはたして高いのか安いのかは分からない。私がお金を渡したことで、“善意の彼”が味をしめ、ビジネスとして始めるきっかけにもなるかもしれない。

それでも、この時の私には「ありがとう」という言葉に20ドル紙幣をつけるぐらいしか、感謝を伝える方法が思い浮かばなかった。

20ドルなんて言わずにもっと渡せばよかった…と後悔している自分もいたりする。そうした悔いがあるからこそ、今、この文章を書いているのかもしれない。

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