見出し画像

六段の調べ 序 初段 五、発覚

前の話へ

序 初段 一話へ



 信に古書店街へ行こうと誘われた日の夜、清隆は帰宅してすぐ和室に顔を出した。居候は清隆から見て左斜め奥に置かれている文机へ、顔を伏してうなだれている。その後ろで箏の糸を指ではじいている妹に、シャシャテンはどうしたのか尋ねる。
「確か昼間に出かけてたんだっけ。なんとかっていうのを探しに――」
「『芽生書』よ。昔に預けた者から受け取ろうとしたのじゃが」
 机上で顔を傾け、髪を掻き上げながらシャシャテンが応じる。この家から遠くもない持ち主の家に向かったものの、いくら戸を叩いても反応がなかった。しばらく待ってみたが家の主は帰ってくる様子がなく、今日は回収を諦めて帰ったそうだ。
「四辻姫様に合わせる顔がないわ……。明日も同じことになれば如何にせん? いっそしばらくは通わずに、気晴らしでもするかのぅ……」
 平日の昼間に向かったことが良くなかったのではないか。清隆は考えつつ、信から次の休みに出掛けないか提案されたと話す。髪を整え、シャシャテンがゆっくり起き上がる。
「書が数多く売られておるのか……。それは興味が湧いてきたのぅ。美央、そなたも行かぬか? 籠もっておるのも味気ないじゃろう?」
 突然の話に顔を上げ、美央は手を止める。しばらく黙っていた彼女は、やがて口から押し出すように「行く」と答えた。すぐ信にそれを伝えようとして、清隆は今日の昼、追っ手の姿を見なかったかシャシャテンに問う。
「四辻姫様があのように仰られたのじゃ、わざわざ気にする必要もなかったわ」
 少し前まで追撃を恐れていたのに、もう不用心になっている。それに呆れて、清隆は部屋を出る。一応登下校時にも周囲へ気を配っていたが、怪しい影はなかった。それでも油断は出来ないと、清隆はしばらくシャシャテンのために警戒を続けることにした。
 
 
 約束の日、四人揃って最寄り駅へ向かう間も、清隆は目の端に追っ手がいないか気にしていた。一方で上機嫌に歩くシャシャテンは、清隆とは別の意味で周りを頻繁に探っていた。道端に雀や鳩がいれば追い掛け、高い鉄筋コンクリートの建物があれば立ち止まって見上げる。駅に着いてからは切符の購入に戸惑い、電車が出る際に車体が揺れると小さく声を出した。電車内ではなるべく静かにするようにとの言い付けを守りながら、シャシャテンは人間観察に夢中だ。信が話し続けるのも聞かず、洋装の人々が多い点に驚き、スマートフォンを利用する乗客に興味を示していた。
「いや、どれもこれも瑞香にないものばかりでな。つい珍しゅう思えたのじゃ」
 清隆にとっては当たり前の光景が、シャシャテンには不思議に見えるようだ。これまで会った人にはなかった反応を新鮮に思う傍ら、彼女がいたという瑞香がこの日本とは全く違うのではと浮かぶ。一体瑞香とはどのような場所なのだろうか。これから調べられる期待に胸を膨らませ、古書店街に近い駅の階段を上る。
「待ってよ、清隆。シャシャテンが大変なことになってるよ?」
 信の声で振り返ると、シャシャテンは階段を半分ほど上った所で息を切らしていた。手すりを両手で掴んで立ち止まる彼女が再び歩きだしてから、清隆は少しゆっくりと足を進める。
 初夏が近い好天の下に出ると、シャシャテンは美央へと話し掛けてきた。まだオーボエは見せてくれないのかなどしきりに聞いてくる彼女に、妹は淡々と答えている。そんな二人と距離を置くように、信が清隆の方へ近寄ってきた。
「おれ、シャシャテンたちに嫌われてる気がする……」
「しつこいと思われているんじゃないか」
 平井家の前に集合して駅へ向かう時も、電車で移動している間も、信は清隆たちにほとんど途切れることなく話していた。何度か登下校を同じくするうちに慣れてきた清隆はともかく、信と会うのがこれで二回目のシャシャテンたちは戸惑っただろう。シャシャテンは会話を聞き流し、美央はとりあえず質問には返しながらも興味がない様子だった。
「おれはただ、みんなと仲よくなりたいだけなのに……」
「だからといって急ぐことはないだろう」
「でも……」
 何か言おうとして黙り込んだ信を、清隆は横でじっと睨む。幾度か口を開きかけてはいるが、そこから声は出てこない。気安く言い難い、深い事情があるのか。そんな彼を思って、清隆は話を変えた。
「信の方は、もう入部する部活は決めたか」
「あ、まだなんだよ! 清隆はどう? 吹部に毎日行ってるって八重崎に聞いたけど」
 硬かった信の表情が、一気に笑顔へすり替わる。いつから彼が八重崎と親しくなったのか疑問を持ちつつ、清隆はまだ悩んでいると伝える。
「やっぱり清隆は、吹部に入ったほうがいいんじゃない? おれ、楽器はまったくできないけど、音楽を聴くのは好きなんだよね。動画とかダウンロードでも、コンサートの生演奏でもさ。クラシックをじっと聴くのも、盛り上がる曲で手拍子をするのも好きだよ。聴いてるほうは楽しいけど、たぶん演奏してるほうはもっと楽しいんだろうなぁ。あー、おれも楽器できたらなぁ!」
 自分は音楽を捨てられない――そんなシャシャテンの言葉や仮入部での演奏、その後に八重崎から楽しかったか聞かれたことを思い起こす。ここ数日で再び音楽に触れている間に、自分は信の言ったような楽しみを感じられていただろうか。仮入部に通う中で覚えてしまっていた、コンクール曲の旋律が浮かぶ。オーディションの結果次第ではコンクールでの演奏自体も叶わないかもしれないが、そんな悲壮さえこの曲の流れる間は忘れてしまう。
「清隆、ほかの部活には行ってないんだよね? だったらそれくらい、吹部が気になってるんじゃない?」
 信の指摘で、脳内の旋律はより音量を増した。
 
 
 駅からしばらく歩いた先の大型書店に入り、案内板を見て何階へ行けば良いか探る。歴史や人文系の本がある四階に上がるべきか考えていると、ちょうどシャシャテンもそこに行きたいと言いだした。ただ一人、六階に興味を持った妹がまずエスカレーターを上り、清隆も続こうとしてシャシャテンの長髪に目を留めた。毛先が機械に巻き込まれたら危ない。結局三人して、人々が順番を待つエレベーター前に移り、目的の階へ移動した。
 古文にまつわる本が並ぶ棚を眺めるシャシャテンを少し見ているよう信に頼み、清隆は検索機へ向かう。まず「瑞香」と入力してみるが、該当する結果は表示されなかった。続いて「不死鳥」など瑞香に関係のありそうな語句を入れたが、どれも清隆の知りたい事柄とは程遠いようだった。ついに言葉も浮かばなくなって途方に暮れていると、シャシャテンを見張っているはずの信がこちらへ向かってきた。
「シャシャテンを一人にしない方が良いんじゃないか。まだ追われているかもしれない」
「いやぁ、さすがに向こうの人も、こんなに大勢がいるところで騒ぎは起こさないんじゃない?」
 確かに今日は休みだからか、視界のどこかに必ず客や店員の姿が入ってくる。その上、共に瑞香を知りたがっている信を置いて、自分だけが資料を探すのもどうなのか。
「とりあえず本棚を見てみたら、それっぽいものが出てくると思うよ」
 信に言われて、手当たり次第に書棚を確認し、題名に気になる単語があれば開いてみた。日本史から世界史、社会や地理など様々な棚を巡ったが、瑞香について記述されている本は一つもない。
「おお、まだこの階におったのか?」
 二人がたまたま古文の辺りに寄ったところで、立ち読みをしていたシャシャテンに声を掛けられる。清隆はそこの棚にざっと目をやったが、教科書でよく見るような古典の題名が並ぶばかりだった。
「瑞香に関する本がないか、探しているんだが」
「今の日本にはないじゃろう」
 あっさりと返された言葉に、清隆は声を失う。百五十年ほど前から、日本は西洋化を拒む瑞香と関係が悪くなり、ついには文明開化の妨げになりかねないとしてその国にまつわる品を処分させた。さらに戦災なども重なり、瑞香を伝える資料が日本に残っている可能性はほとんどないそうだ。
「仮に瑞香が大きく知れ渡れば、恐らく国が許さぬかもしれぬのぅ。今の日本に、瑞香は要らぬようじゃ」
 未知の国を調べたい自分が取り残されている気がして、清隆の手が震えた。
「……シャシャテンが知らないだけで、どこかにあるかもしれないだろう」
 清隆は腕時計を一瞥し、日没まで十分な時間があると確認する。この書店以外なら、目当ての本が見つかることもあり得る。信とも意見が一致し、周辺の古書店を見て回ろうと決まった。シャシャテンにエスカレーターは使わないこと、追っ手には気を配ることを忠告し、妹にも連絡を入れて清隆たちは書店を出た。
 
 
 夕焼けが空を染めだしたころ、目に付いた店を探し回った清隆は再び大型書店の前にいた。遅れて待ち合わせに駆け付けた信が首を振るのを見て、清隆は肩を落とす。こちらでもやはり、瑞香を知る手掛かりは得られなかった。シャシャテンの言葉通り、瑞香は必要ないと切り捨てられてしまったのか。
 それぞれの階でシャシャテンと美央を迎えて帰途に就く。行きよりは冷静になっていたシャシャテンだったが、玄関を目指して家の角を曲がる辺りで顔を引きつらせた。清隆たちも足を止め、扉の前にいた一人の男を見る。先日会った追っ手と似たような、灰色の着物に身を包んでいる。違う点といえば、武器を持っておらず、頭には黒い烏帽子を被っていることだ。まさかシャシャテンが帰るまで、ここで待ち伏せていたのか。
「お久しゅうございます。随分と長く逗留されていらっしゃるようで」
 男が丁寧に頭を下げる。シャシャテンを捕らえに来たとしては、以前の者より手荒な様子がない。しかしそう油断させているだけの可能性を考え、清隆は自然とシャシャテンの前に出ていた。
「シャシャテンを無理に連れて行くなら、認めない」
 清隆が言うと、男は顔を強張らせた。やがてシャシャテンが後ろにいる者か問われる。彼は瑞香から来たのだろうが、そこでは「シャシャテン」の名で通っていないのか。前にその名が不自然だと尋ねたことが浮かび、清隆は背後の彼女を見やる。いつの間にかシャシャテンは信と美央の後ろに下がり、なるべく男と目を合わせないようにしていた。
「私はあのお方を迎えに上がっただけの者でございます。既に神器を集められたのではという四辻姫様のお頼みで伺いましたが……」
 シャシャテンに向けた男の口調がやけに恭しいと、清隆は気が付く。彼女が元女王付きだからか。しかしこの場にいる男と同じ一部下という立場にしては、態度が不自然だ。
 草履の擦れる音がして、シャシャテンがこちらに近付いているのが分かった。自ら捕らわれるような動きを清隆は制そうとしたが、シャシャテンはまっすぐ男の前に進み出た。彼女が足を止めると、男がすかさず姿勢を改めて深く礼をした。
「黙って馳せ参じた無礼をお許しください。何せ伯母上様がお待ちでいらっしゃいますので――姫様」
 男の口から出た語を、清隆はすぐに呑み込めなかった。思わずシャシャテンより後に下がり、信たちと顔を見合わせる。彼らもじっとシャシャテンを凝視したまま動けなくなっている。
「あなた様から神器を受け取るよう命を受けました。どうか御宝をお渡しください――六段姫ろくだんひめ様」
 姫と呼ばれた女が、両膝を折って地面に座り込む。震えている体が、表情の見えない彼女の心を訴えていた。

次の話へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?