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六段の調べ 序 初段 六、敗者の姫

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序 初段 一話へ


「……今、何と言った」
 確認の意味を込めて、清隆は男に問う。相手ははっきりと、シャシャテンが瑞香の王女であり、本来なら伯母の四辻姫に次いで王位継承を許されているはずの六段姫だと告げた。突然なこの発言が事実なのか、すぐに受け止められない。
「もう良い、全て話すとしよう。黙っていて悪かったが……そやつの言う通り、元の名はシャシャテンなどではない。清隆、そなたが気に留めたのは鋭かったのぅ。『変な名』と言われたのは、癪に障ったが」
 シャシャテン――六段姫は膝を突いたまま語りだす。彼女は現在の瑞香国王・大友正衡と、四辻姫の妹である五色姫ごしきひめとの間に生まれた。十年ほど前まで、都の御所で何不自由なく幼少期を過ごしてきた。
「しかしあの夏、大友は時の女王であった四辻姫――伯母上へ反旗を翻した。宮城は包囲され、都とその周りは戦で多くが焼けた。そのさなか、私と母・五色姫は、伯母上から日本へ神器――鳳凰の箏と『芽生書』を送るよう頼まれてここへ来たのじゃ。仮に四辻姫が王位を追われたとしても、大友が王として認められぬようにのぅ」
 シャシャテンが懐から出した手を、こちらへ顔をやらず差し向ける。その上に載せられていた二つ折りの紙を、清隆は取って広げた。そこにあった文字に目を丸くし、信たちにも見せる。筆跡からして父のものだろうか、清隆も含めた家族四人の名と家の住所が記されていた。
「たまたまこの家を訪ねた時、英幸殿が下さったのじゃ。いつか箏を受け取りに来る折は、これを頼りにせよとな」
 シャシャテンが自分の名を知っており、さらに母とも気安くしていたことに納得がいく。思い返せば父も、初めは家にいたシャシャテンに驚いていたが、すぐにそれを受け入れていた。既に彼女の来訪を分かっていての態度だったのかもしれない。
「そして私と母上は、別の家へ『芽生書』を託した。そして間もなく追っ手が来てのぅ――後で大友から差し向けられたと聞いたのじゃが、そこで私は母上と離されてしまったのじゃ……」
 シャシャテンの声が震え、小さくなる。途切れ途切れになりながら、彼女は何とか話し続けていた。
「大友と懇意にしておった拷問吏が、母上に尋ねたのじゃ。神器はどこへやったのかと。叫びが収まるまで、血が止まらぬまで酷くいたぶってな。そして母上は何も言わず……息絶えた」
 清隆は、はっとしてシャシャテンを見た。後ろ姿から表情は分からず、ただ彼女は俯いている。長く沈黙が続いた後、嗚咽交じりに再び語りが始まった。母の死後、シャシャテンは四辻姫と山の屋敷へ幽閉された。外出も叶わず、母殺しを命じた大友が治世をする日々が十年続いた。大友への憎しみを募らせ、正統な王でない彼の鼻を明かしてやろうと、神器を手にする日を待ち望んだ年月だったという。
「じゃがな、私はまだ『芽生書』を持っておらぬ」
 今度は迎えに来た男へ、シャシャテンが言う。四辻姫へは近いうちに送れると伝えたものの、実際には書の持ち主がなかなか応じてくれなかった。いずれまた訪れるつもりなので、せめて今日は鳳凰の箏だけ持って行ってくれるかシャシャテンは頼む。男はそれにすんなりと了承した。
 鍵の掛かっていた玄関を清隆が開けてやり、シャシャテンは家に入る。やがて紫の布でくるまれた箏を持ち出すと、男にそれを渡した。
「わざわざ足を運ばせてすまぬのぅ。『芽生書』は伯母上へ直に送る故、しばし待ってほしいと伝えてくれ」
「御意のままに。またの知らせをお待ちしております」
 男は礼をすると、以前シャシャテンが清隆の前でやったように右手を払い、炎の中に消えた。夕焼けの広がっていた空は、既に赤みが消え藍色に染まりつつあった。
「……シャシャテン、で良いのか」
 清隆の問いに、シャシャテンは誰を見もせず頷いた。
「本当に、姫なのか」
「そうじゃよ。今消えた奴を見たであろう。堅苦しくしおって……あれでは私の位が悟られるではないか」
 確かに怪しかったと思い出し、清隆はシャシャテンの部屋にも記憶を巡らせる。あそこにあった調度も、並の人間では手に入りにくいようなものだった。御所であれ幽閉先であれ、普通の暮らしをしてこなかった高い身分であると匂わせる。
「なぜ『シャシャテン』なんて名乗って、王女だと隠そうとした」
「……怒っておるのか?」
 シャシャテンが片手で顔を押さえながら口を開く。
「この辺りを母上と歩いておった時にな、誓ったのじゃ。いずれ私は、『立派な女王』になると」
 母の死後、シャシャテンはどうすれば理想の女王になれるか考えた。そしてある日、これまでとは大きく異なる大友の治世に民が混乱していると聞いて思い立った。内裏の外に暮らす庶民のことを知れば、彼らに慕われる女王になれるかもしれない。しかし幽閉先でも、宮中と変わらず周りは敬う態度を取り、外に出られない点を除けば暮らしぶりもほとんど変わらなかった。「じゃからせめて、誰も私を姫と知らぬ地でくらい、民の如く生きてみたかったのじゃ……。それも私のことが知られた以上、終わりかのぅ」
 先ほどの男一人の態度からも、シャシャテンが瑞香でどのような待遇を受けてきたか容易く想像できる。あの窮屈さを逃れて、彼女は自由に生きたかったのだろう。たとえこの見知らぬ国で過ごす時間が、短いものでさえ。「シャシャテン、俺たちは今まで通り接して良いか。お前が王女だっていうのも、いったん無視して」
 信が驚いた声を上げると同時に、シャシャテンも赤くなりかけた目でゆっくりと清隆を一瞥する。
「別に日本だと、俺たち以外は誰も知らないだろう。姫だとか何だとかで――」
「誰が姫なの?」
 突然母の声を耳にし、清隆は背後の角から両親がこちらへ向かってくるのを認めた。市民吹奏楽団の練習に行っていた彼らは、揃ってトロンボーンのケースを背負っている。信が駆け寄って挨拶すると、母が微笑んで話しだした。
「久しぶり。えっと、お名前は――」
 母は信と向き合ったまま続きを発さない。昔から人の顔と名前を覚えるのが苦手だと、清隆は聞いている。改めて信が名乗ると、母が思い出したように何度か頷いた。
「この前言い忘れたけど、ぜひうちの箏教室に入らない? ちょっと待ってて、チラシ渡すから――」
 肩に掛けた鞄を探る母を父が差し止め、彼女の勝手を信に謝る。
「敦子さん、誰彼構わず教室へ勧誘するのはやめてください。それで四人とも、帰ってからずっとここに?」
 清隆は家の前であったことを話し、見覚えがないかと父に紙を渡した。父は確かに自身が書いたと認め、十年ほど前にシャシャテンが五色姫に伴われて家に来た様子を明かした。
 鳳凰の箏が家にあったのは、持ち運び続けるには負担であろうそれを見かねて、母が真っ先に置いていくよう勧めたからだそうだ。神器がまとまって瑞香とは無縁な持ち主のもとにあるのは危ないと、『芽生書』は別の場所で預けられた。昔ここに来たシャシャテンは大人しく無口だったとも聞いたが、清隆はにわかに信じられず彼女を見やる。
「しかしまさか王女だったとは――。シャシャテンさんも大変な苦労をされたようで」
「……やはりここで姫と呼ばれるのは、どうも肌に合わぬのぅ」
 父が呟いてシャシャテンを見下ろすと、彼女は清隆の提案した通り、姫としての扱いをやめてほしいと頭を下げた。そして信たちにも同じように注意する。
「御意のままに。シャシャテンだってのんびりしたいだろうしね」
「あんたがそう言うなら、わたしも好きにするよ。そもそも姫とか、どうでもいいし」
 信は先ほど去った者が告げた言葉を真似し、美央は低く肯定の返事をした。二人とも、改めて異国からの来訪者を歓迎するつもりのようだ。少し頬を緩め、シャシャテンは外が冷えてきたと家に入ろうとする。
「ちょっと、シャシャテン。なんとかの書を四辻姫さまに送ったらどうするの? 瑞香に帰っちゃうとか?」
 信に呼ばれて、シャシャテンは扉へ伸ばした手を下ろす。何も考えていなかった彼女に清隆は呆れながら、ふと頼み事が口を突いた。今から無理を言っても許されるか、少し不安を覚えつつ。
「まだ決まってないなら――一回だけで構わない。俺を瑞香へ連れて行ってくれないか」
 清隆の脳裏に、和室で見せられた冬の光景が蘇っていた。まだわずかにしか知らない異国の様を、実際にこの目で確かめたい。シャシャテンと出会った日、瑞香の存在さえ疑っていたことを謝り、清隆はあの国に興味があると伝えた。
 話に聞いただけのものを、「ない」と決め付けも出来る。しかしそれでは、何も得られず終わってしまう。シャシャテンと会ってから分かったのは、瑞香がどんな場所であれ、清隆自身はそれに惹かれているという事実だった。まだ知りたいことが山ほどある。時間が掛かっても良いから、それを理解していきたい――。
「何とのぅ。そなたがここまで興味を抱いておるとは思わなかったぞ」
 シャシャテンが笑って手を差し出す。いずれ約束を果たすとして。迷わず清隆はその手を重ねた。わずかに相手の温もりが伝わったかと思えば、居候は手を振り払って戸を開け、姿を消した。
「じゃあ、また学校でね! あ、入部届ももうすぐ締め切りだけど、清隆はどうする?」
 信の言葉に、シャシャテンへ続こうとしていた清隆は足を止めた。楽器が出来るだけで感心され、持ち上げられもした。一方でここ数日練習してきたコンクール曲が頭の中を巡り、吹いている間は何を思っていたか考える。
 信の言った通り、聴いている時より楽しめただろうか。入部を諦めたとしても、しばらくはこの曲がずっと残り続けるかもしれない。その際はどうしても悔やむだろうと、清隆は直感的に浮かんだ。長く音楽に親しんできた以上、やはりそれを簡単に捨ては出来ない。
「……決めた。やっぱり俺は、吹奏楽を続ける」 
 そう口にした途端、自分を再び吹奏楽を勧めてくれた人々に改めて感謝が湧いていた。信が自身を差し置いて、無事に入部先が決まったことを喜ぶ。母はお祝いしようと意気込み、急であることに父が困惑を浮かべる。そんな周りも気にせず、妹はシャシャテンにまつわるやり取り中とも変わらぬ無表情で、信に挨拶をすると家へ入った。やがて清隆も、瑞香を知る仲間に別れを告げて玄関を上がる。入部届は自室の通学鞄にあったと振り返りながら、その足は階段にまっすぐ向かっていた。

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