蒐集家、団結する 第一章 五、蒐集決行
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治と同行する約束を取り付けた次の週、予定通りに椛たちは蒐集を行う場所――「楽土蒐集会」東京支部のビルへ向かった。先日壺を蒐集し、平泉に尋問を受けた場だ。日付が変わる前、裏口から非常階段を上って潜入した建物の中は、嫌というほど静かだった。途中で人に出くわしもせず、真木が事前に調べていた部屋の前に立つ。椛がドアノブを握ると、鍵が掛かっていないのが確認できた。これは楽勝だと戸を開ける手を真木が止める。
「椛、警戒しておきなさい。どうもわたし達に都合が良すぎる」
「前はこれほど簡単に入れなかった?」
小声で問う治に真木が頷き、前回の蒐集では少なくとも人の気配があり、倉庫である部屋も施錠されていたと語る。しかし今の椛は、そんな昔を気にして立ち止まっている場合ではなかった。早く目当ての品を手に入れ、無事に元の持ち主へ届けるのが先だ。周囲を見回しても、人が隠れているようではない。
「今日はたまたま、ついてただけだよ。ほら行こう、行こう!」
椛は消灯した部屋へ入り込み、手探りで電気を付ける。中に誰もいないと確認して、真木と治に手招きをした。顔を見合わせ、緊張を緩めない様子で二人はやっとこちらに来た。
部屋全体に天井まで届くほどの棚が、何列も縦に並んでいる。奥の窓には分厚いカーテンが下がり、昼でも光が入らなそうだった。陶器や織物など種類ごとに収められているものが分けられている棚の中から、額縁に入った風景画を探す。どうやら明治期の油絵として貴重なものらしい。何とかそれがあると思われる場所を見つけたが、段の上にはどれも似たような平べったい箱があるばかりだった。外から見ただけでは、目的の品がどこにあるのか分からない。
棚の高い所から低い所まで、三人で手分けして探す。おぼろげな記憶を頼りに椛が箱を開けては確認していると、上の方を見ていた治が声を掛けた。ちょうど彼の片腕ほどの幅がある額の中に、緑豊かで明るい自然の風景が描かれている。確かめた真木が目当ての作品だと認め、額を元通り箱に戻して両手に抱えた。後はこれをいったん持ち帰り、明日にでも返すだけだ。弾む気分で椛が戸へ引き返そうとして、治が止める。
「まだこれから何があるか分からないからね。一応、俺が先に出ても良いかな?」
「いいよ、いいよ! でも治くんも気にしすぎだなぁ」
若干呆れながら、椛は速足で出入り口に向かう仲間を目で追った。彼はゆっくりドアノブを掴み、慎重に押し開けていく。薄暗い廊下が見えたと思った瞬間、絶え間ない発砲音が部屋に届いた。すぐさま治が戸を閉める。
「やっぱり、今まで誘われていたんだよ!」
治が椛たちの側へ飛びのいた直後、外から扉が開けられた。白ジャケットの長い裾をはためかせて入ってくる若い男の手に、厳めしい機関銃が握られている。白神だと椛が気付いた直後、彼の武器がこちらに向けられた。
「その品を置いていってもらおうか」
一メートルにも満たない距離から、銃口が静かにこちらを狙う。椛の背にはちょうど棚の側面がぶつかり、前方の戸は白神に塞がれている。窓から逃げるにもカーテンを開けてガラスを割って、など面倒な工程が必要でありそうだった。ここは蒐集品を持ち帰れるよう、押し切るしかない。
「あんたたちのものって言ってるけど、もともとは真木ちゃんの知り合いが持ってたんだよ! それを返しに行くんだから、置いてくわけにいかないよ!」
「何を言っている? それは既に『楽土会』のものだ。無断で持ち出すのは盗難と同じだろう」
「そっちは自分勝手に欲しいものを集めてるんでしょ!? あたしたちはね、ちゃんと持ち主さんのために蒐集家やってるんだからね!」
辛辣な白神の滅茶苦茶な理論に、椛は強く反論する。そのやり取りに、諦めの混じった声が加わった。
「君が思い込んでいるだけで、向こうにも大事な目的があるかもしれないよ?」
椛は隣にいる治を見た。彼は敵に反論しようともせず、淡々と語る。
「富岡さんが正しいと思っていることも、『楽土会』にはそうじゃないかもしれない。彼らの正義を、簡単に変えるなんて出来ないよ」
正義という言葉に、椛は首を傾げた。人のものを奪って自分のものにするのが、正義だと言うのか。何が正しいかは人それぞれで違う、「楽土蒐集会」もある意味「良い」ことをしているのかもしれない――そんな治の言い分は、まるで「楽土蒐集会」に同調しているようであった。思わず椛の胸に、痛いほどの思いが湧き上がる。
「治くんは、大事なものがなくなって困っている人の気持ちを考えたことがないの? 勝手にものを盗む悪い人に味方して、苦しい人になんもしないなんて、ひどいと思わないの!?」
こちらを向く治の視線が下がり、一点で止まる。どうやら椛の下げるペンダントを見ているようだ。自分にとって忘れたくない思い出の詰まったそれを凝視し、やがて彼は長い溜息をついて顔を上げた。
「そんなことを言うから、君は『偽善家』って呼ばれるんだよ」
「違う、違う! あたしは『偽善家』なんかじゃない!」
「二人とも、いい加減にしなさい!」
それまで黙っていた真木の一喝が、部屋中に轟いた。ひとまず反論はやめたが、椛はどうしても納得できなかった。鼻息を鳴らし、治から顔を背ける。そこに白神の声がした。
「とりあえずおまえたちの事情を聞いておく。大人しく――」
「いいや、始末するんだ。この場はきっちり収めないといけない」
新たに部屋へ入ってきた人間に、白神も椛たちもそちらを見た。髪や目が金に染まった西欧風の男――「楽土蒐集会」副会長の平泉だった。彼の隻眼は一心に、なぜか治へと注がれている。金色の瞳を丸くし、会えたことを驚く口ぶりを見せながら。
「君、『楽土の平定者』なんて呼ばれているみたいだけど、どういう意味? そもそもどうして、そこまで俺を見てくるんだい?」
治の問いに一瞬だけ顔色を変えた後、冷徹な表情になってから平泉は白神に頼んだ。
「彼らに今後の活動を妨害されてはたまらない。あんたなら得意な仕事だろう?」
白神が機関銃の具合を確かめる。このまま殺されるのかと思うと、椛は震えずにいられなかった。真木も治も目を閉じて覚悟を決めているようだが、自分にそこまでの強さはない。何より、まだ生きていたいのだ。世の中にいる困った人を助けたい――。
「……そうだよ、やりたいこともやれないで死ぬなんていやだよ!」
願いが白神へ届くように、椛は叫んだ。そこに扉の開く音と、慌ただしい足音が耳に入ってきた。突如現れた女は、椛たちに背を向けて立ち、まるで三人を庇うかのようだった。椛には後ろ姿しか見えないが、白か黄色っぽい着物らしきものを羽織っている。その裾からはズボンが見えており、洋服の上に着ているようだ。黒がかった茶色の髪が一つにまとめられ、走った後の名残でゆらゆらと揺れている。
「『勝負師』君、ここで彼女たちを殺しても、君の目的とは無関係じゃないのかい?」
やや低い声が、白神の動きを止める。助かるかもしれないと安堵しながら、椛は今聞いたことを頭で反芻した。「楽土蒐集会」とは別に、白神は何か狙いがあるのだろうか。そして自分たちの窮地を救ってくれたこの女は何者なのか。
「春日山に構うな、白神」
白神が固まる後ろで、平泉が容赦なく言い放つ。それを遮るように、春日山という女が叫んだ。
「この子の邪魔をしないであげなよ、副会長さん。だいたい君も、好きじゃないことを嫌々やっているじゃないか!」
強気だった平泉の表情が強張った。まるで春日山に心を言い当てられたかのように。しばらく俯いて顔を見せなかった彼が、やがてゆっくりと首を振った。何もせず二人のやり取りを黙って聞いていた白神に、張りの乏しい声で告げる。
「これも『楽園』のためだ。……やれ」
指示を受けた白神が、意を決したように歩きだした。春日山も押しのけて銃を構え、命令を実行しようとしている。人に逆らえないその様が、椛には惨めで見苦しかった。白神は迷いなくこちらへ向かっているのに、今や死の恐怖も忘れて本音が出る。
「本当はやりたいことがあるのに、それもできないで上の言いなりなんて……なんか白神くん、昔のあたしみたい」
白神の足が止まった。椛からすぐ近い位置に立ち尽くし、武器を持ちながら襲ってこない。どこか幼さも残る顔が、動揺を映していた。自然と口元の緩んだ椛は、その隙を突いて武器を奪い、白神を足元から蹴り倒した。機関銃は平泉の顔に投げ付け、真木たちと共に廊下へ飛び出す。
階段へ走っていると、「楽土蒐集会」に所属すると思われる人々が椛たちを追ってきた。別の部屋に隠れていたのだろう。椛が脱出を急ぐ中、真木が左太もものレッグポーチを開けて小さな袋のようなものを取り出し、後方の床へ投げた。袋の当たった辺りが光ったかと思えば爆発音を立て、煙が立ち上る。追っ手の姿が見えないうちに階段を駆け下り、一階に着いた。
休む暇なく、裏口へ続く廊下に何人かの「楽土蒐集会」会員を見つける。ある者は投げ飛ばし、ある者は蹴って姿勢を崩し、椛は先頭で行く手を切り開いて進んでいった。
そしてようやく外に出られたかと思えば、建物の壁を背に別の会員たちに取り囲まれた。前回の蒐集を彷彿させるとはいえ、今度の彼らは武器を持っていない。椛が力業で押し切ろうと一人の腕を掴んで引き寄せた時、すかさずそばにいたもう一人の手が椛の首へ伸びてきた。
再びの窮地を察する椛の視界に、血しぶきが飛ぶ。諸刃のナイフを握り、治が椛を締め上げようとした敵の頬を切り付けたのだった。赤く染まった刃先を他の者へ振るう治に負けじと、椛は今組み合っている会員をねじ伏せる。そして非力ながらペン状の武器を手に応戦する真木を連れ、人の隙間から走りだした。遅れて治も追い付き、無事を喜ぶ。
「ほら真木ちゃん、やっぱり治くんは助けてくれたよ!」
「でもあんた、端さんと言い争っていたじゃない!」
「それはそれ、これはこれ!」
冷たい風が吹く夜の街を駆け、椛は仲間を振り返る。真木は絵の入った箱をしきりに気にし、治はナイフを腰のベルトに仕舞っていた。自分たちを追ってくる影はない。一悶着あったが、今回も蒐集は成功した。治と色々あったことは、また別の時に考えよう。解放感に包まれながら、椛はビルから遠ざかっていった。
自分は今まで何をしていたのか。廊下の騒ぎが耳に入る中、白神は蹴られた後から立ち上がってもただその場にいた。「偽善家」たちを追う気も全く起きない。
やはり「楽土蒐集会」に肩入れしようとしたのは、間違っていたのか。「偽善家」の言う通り、自分は近ごろ疑わしく思えていた上から都合よく働かされるだけだった。せっかく大きな狙いがあるのに、わざわざ遠回りをするところだった。もっと手早く、効率的な方法もあるというのに。――そこまで考えて、この組織で動いていた時間が無駄だったようにも思えてきた。
傷一つない春日山が、目を押さえる平泉に突っ掛かる。
「いくら何でも、『勝負師』君にあんなこと命じるなんてやり過ぎじゃないのかい?」
「これも計画完遂のためだ。……それに彼にとってはどうということもない。あいつが何人手に掛けてきたと思っているんだ?」
平泉の話も否定できない。活動の中で人殺しはしてきたが、躊躇いはなかった。どれも全て自分のためになると思って、一心に進んできた。それを振り返れば、「偽善家」たちを殺すことも利益になっただろうか。そして自分を知った気になっている春日山に、ふと苛立ちが募る。もし思惑が勘付かれていたら、それはそれで厄介だ。
いつの間にか、調子を取り戻したような平泉が春日山を見ていた。首を傾げ、副会長は女へ問う。
「何でそこまで、白神を庇おうとするんだ? あんたが彼の家族を殺したんじゃないのか?」
突然の言葉に、白神は何も考えられなくなった。少しも頭が働かない。対して春日山の方は、観念したかのように息をついている。
「そうだよ、僕が彼の仇だ。君は僕を殺すのが目的じゃなかったのかい、『勝負師』君?」
相手の問いが聞き取りづらい。衝撃がいまだに声を出すことを阻んでいる。殺すならここで殺しても良い。そう聞いた気もするが、体は指一本たりとも動きそうにない。
「何だ、君のことが分からなくなったよ。せっかくやりたいことを叶えてやれると思ったのにさ」
そう言って部屋を出た春日山に、白神はひとまず胸を撫で下ろした。どうやら真の目的は見抜かれていなかったらしい。とりあえず問題のないことを理解し、翌日を迎えた。
本来ならもっと先にやろうと思っていた作戦を、今日実行することにした。「偽善家」にああ言われては、何もしていないのは情けない。突然の呼び出しも、かねてより同じ思いを持っていた「楽土蒐集会」の同志たちは何人か応じてくれた。
自宅の一室でパソコンを通し、白神はテレビ電話で今夜の動きを確認する。こちらの案に、複数の画面で賛同が上がる。ただ一人、言いづらそうに問い掛けてきた者がいた。
『きみ、昨日は色々あったんだろう? ほら、春日山のこととか……』
「あいつなら、どうでもいい」
彼女も誰かが呼んだと聞いたが、今日の誘いには現れなかった。たとえ本当に仇だったとしても、倒すつもりはない。ただ今は、練っていた策を優先させたい。ひとまずは今日の計画が成功することを願って、白神は通話の画面を閉じた。
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