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六段の調べ 急 六段 三、彼女のために

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 受験が終わってしまえば、学校に通う日も少なくなる。翌日が休みだからと、清隆は妙音院邸からの帰り際に信と八重崎へ一つ提案をした。瑞香にまつわる重い話が出来る場所として、以前八重崎に『差流手事物』を渡された喫茶店へ行くのはどうか勧める。そこに、明日も学校であるはずの妹が割り込んできた。
「それって午後? ならわたしも行く」
「お前、確か部活だっただろう」
 ほとんど授業などを意図的に休んでこなかった妹へ、清隆は尋ねる。しかし美央は、こちらを見ず平然と言った。
「今はシャシャテンの方が大事だから」
 結局、彼女も放課後に喫茶店で集まることになった。日が変わり、窓から差す光が暖かい個室で四人が固まる。どうも窮屈なものを覚えながら、清隆は四辻姫を殺害する以外に彼女を止める案を考える。
「衣装合わせって今度の日曜? 意外と時間ないね……」
 八重崎が手帳を開いて唸る。祭りでの光景から、四辻姫は簡単に話を聞いてくれそうな人でないという印象が、彼女にはあるようだ。女王直々に説得するのは難しいと八重崎が判断した時、信が尋ねてきた。
「四辻姫さまは、どうやってシャシャテンを手に掛けるって言ってたっけ?」
 清隆は昨日の話を振り返る。シャシャテンは毒に弱い。それを利用して、姪を毒塗りの刀で斬る計画を四辻姫は立てていた――。
「それなら、先に四辻姫の動きを止めた方が良いか」
 女王による計画が果たされないと分かれば、倉橋も動かないだろう。そのための策を、四人で考える。まず四辻姫が毒を塗った刀をすり替え、どこかに隠す。万が一シャシャテンが負傷させられても、毒さえなければいつも通り傷が治る。四辻姫の試みは失敗に終わり、倉橋も警戒しなくて良いはずだ。
「だが問題は、いつどうやって内裏に行くかだ」
 清隆は八重崎が開けたままにしている手帳を見下ろし、じっとそれを睨んだ。あまり早く武器をすり替えても、気付かれてまた毒を塗られてしまうかもしれない。それなら前日に忍び込むのが良いか。
「それであそこの中へは、シャシャテンでも簡単に移動できないんだが――」
「そこは人でな――じゃなかった、際目番だったかの人に任せればいいんじゃない?」
 妹の案を聞いた信が、口に含んでいた飲み物を吹き出しかける。厳密には際目番の子孫である彼へ、誰もが視線をやる。それに押されたように、信はカップを置いて宣言した。
「わかった。おれにしかできないみたいだし、喜んでやるよ! でもそのすり替え作戦? 倉橋さんたちにも伝えたほうがいいよね? 『何もしなくて大丈夫です』って。あ、そうだ!」
 さらに信が両手を打つ。賀茂にも作戦を教えれば、陰陽術で手伝ってくれるのではないか。そう楽観する彼は、陰陽師を何者だと思っているのか。妹も白い目を向けている。少し呆れながら、清隆はまず倉橋に連絡を入れた。そしてスマートフォンの画面を閉じ、ぼうっと窓の外を眺める。カーテンを開けた先の風景も、目に入らない。ただ頭に、これで良いのかとの思いが浮かぶ。
「まぁ、悪い方に動いても、わたしは受け入れるから……」
 手にしたカップに力を込め、八重崎が唇を引き結んでいる。その姿が最悪の状況を想像しているようで、これ以上見ているのは耐えられなかった。
「先輩、今から思い詰めても良くない。お前たちもだ」
 咄嗟に八重崎たちへ、言葉が口を突く。若干俯いているように見えた信と美央も、視線を上げた。
「悪いことが起きる前に止める。まずそこへ尽くしていくしかないだろう」
 成功するかは分からない。だが恐れているだけでは、事態はより悪化する。動くしかないのだと、清隆は自分の心に言い聞かせていた。

 約束の日、信は予定に遅れず家へやって来た。彼は玄関から軽く身を乗り出し、シャシャテンの不在を知って肩を落とす。ここ最近、居候は式の準備をすべく、瑞香へ行くことが多くなった。清隆たちが彼女のために奔走しているなど、知る由もないだろう。
「それで、シャシャテンを助けるんだよね。御所へ繋げるんだっけ? 御意のままに!」
 玄関に立つ清隆の隣で、信が片手を前に突き出す。それが素早く振り下ろされ、部屋の入口に青簾の下がる廊下らしき風景が輪の中に映る。時々ちらついて見える白いものは、雪だろうか。ここは外とも通じているのかもしれない。
 静かに炎の輪をくぐり抜け、清隆は辺りを見回す。廊下から伸びる階段の先に庭が広がっており、地面や石灯籠に至るまで雪を被っている。人の行き来がないと確かめ、清隆はひとまず目の前の青簾を上げ、部屋に入る。畳が数ヵ所に置かれている部屋の妻戸を開け、その先に誰もいない帳台があるのを認める。ここで、今いるのがかつて大友の伏せていた夜御殿と気付いた。その隣に女王が日中を過ごす昼御座があったと思い出し、清隆は向かって左の大妻戸をわずかに開けた。
 見えたのは、座って作業をしている女の横顔だった。その髪は長く、毛先がどこにあるのか分からない。四辻姫と思われる彼女は、白布の上に刀を置き、それへ何かを塗り付けているようだった。行動の意味を、清隆は一目で理解する。
 やがて四辻姫が素早く刀を仕舞い、正面へ顔を上げた。女官が青簾を上げて現れ、清隆は慌てて大妻戸を閉じる。扉の先で足音がし、身を強張らせる。静かになってから再び室内を覗き見ると、そこには誰もいなかった。
清隆は音を立てないように、昼御座へ入った。帳台の中に置かれていた刀を取り、元いた縁側へ駆け戻る。その空中に浮かんでいた炎の輪に、清隆はすかさず飛び込んだ。
「……で、ここから賀茂さんのところだね?」
 信の手引きで、今度は追放前と同じ場所に移った賀茂の屋敷前へ下り立った。叩くより先に扉がひとりでに動き、賀茂がこちらへ来る。事前に話を聞いていたのだろう。陰陽師は何も聞かずに清隆から刀を受け取った。
「これ程の事など、容易い物で御座います。わたくしめと式神にお任せ下さい」
 賀茂が懐から二つ、ものを取り出す。まず紙の人形へ呪文を唱えると、それは先日に日記の写しを見せた青年にも似た式神へと変じた。式神が清隆の奪った刀を、鞘と刀身とで分ける。その間に、小さな剣のような形をした茶色い陶器が、刀へと変わる。玄関の戸から薄く入り込んだ光に照らされる様は、本物と見紛うほどだった。
 賀茂が新しい刀身を渡すと、式神がそれを鞘に収める。四辻姫の部屋にあったものとぴったりはまったそれを持ち、式神は少ししか開いていない扉をすり抜けて外へ出て行った。
「これで陛下が戻られるまでには間に合うかと思われます。どうかわたくし達を信じて下さいませ」
 賀茂が毒塗りの刀を拾い、清隆に突き付けないように背を向けた。彼はいったん奥へ進むと、手に何も持たず玄関へ戻った。武器は部屋に置いてきたのだろう。賀茂が結界を手繰ろうとしたが、前方で立った火花を見て清隆はそれを止めた。信によると思われる炎が広がっていく。賀茂に礼を言って、清隆は居間へ向かった。
 炬燵に入っていた信は、ねぎらいの言葉を掛けつつ手を振ってくる。一見苦労していないようだが、彼がいなければ何も出来なかったのだ。それに感謝を告げたが、清隆から不安は消えなかった。
「やれることはやった。だが、これで良かったのか」
「そんなの、明日になってみないとなんともいえないよ!」
 炬燵から這い出した信が、清隆の肩を強く叩く。四辻姫が別に策を考えている可能性も浮かんだが、これ以上何をするべきか分からなかった。ひとまずは、信の言う通り割り切るしかない。清隆は胸に手をやり、小さく息をついた。

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