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六段の調べ 急 六段 四、堕ちたる王女

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序・初段一話へ


 衣装合わせ当日、シャシャテンに伴われて清隆と美央、八重崎は朝から瑞香の内裏へ出向いていた。女官に一室へ案内された後、シャシャテンはすぐに着替えのため別室へ移る。信と北は遅れると清隆は聞いていたが、倉橋からは全く連絡がない。あの人、そして四辻姫が裏で練っている計画が本当なのか、急に不安が迫ってきた。それを押し殺すように、清隆は座るなり背後に置いていた懐刀――シャシャテンに借りた「山下水」へ触れる。
 部屋には立ち姿が写せる鏡の他は、暖を取るための火鉢しかない。その火に手をかざしているのも八重崎だけで、妹は寒さも気にしていない様子で部屋を囲む鳥居障子を眺めていた。二十分ほどして障子が開き、女官に案内された信と北が入ってくる。役目を終えて廊下へ引き下がろうとした女官へ、清隆は四辻姫がどうしているか尋ねた。女王も今は準備中で、シャシャテンが着替え終わるころまでにはこの部屋へ来るらしい。
「四辻姫さまが、なんか色々あるんだってね?」
 北が清隆たちのそばへ、ゆっくりと腰を下ろす。今回の裏、そして以前清隆たちが初めて聞いたことも知っていたという。高校生の自分たちに作戦へ乗らせることを、彼は呆れているようだった。
「それにしても、倉橋さんはシャシャテンをどう思っているんでしょうか」
 北の溜息を聞きながら、清隆は零す。シャシャテンを見殺しにも出来るはずなのに、倉橋は彼女を救おうとしている。四辻姫を陥れた後で、シャシャテンに対しても何か企んでいるのか。
「確かにあの人は、一生姫さんたち薄雪系が好きじゃないって、よく言ってたよ。でもね」
 軽く目を伏せる北が明かしたのは、清隆にも見せなかったあの人の一面だった。
「ぼくが瑞香を知っている証拠に『芽生書』を見せたときだよ。五色姫さんのことを話したら、あの人はちょっとだけ同情したんだよね。自分のおかあさんに境遇が似てるってさ。急に引き離されたところが、かな。だから五色姫さんにもシャシャテンさんにも、何か思っている気がするね」
 妹が不思議そうに、北を見つめている。間もなく鳥居障子の開く音がした。黒い束帯を身に着けて入ってくる山住は、少し動きづらく見える。頭には冠を被り、いつも跳ね気味の髪がいくらか隠れていた。彼は清隆たちに挨拶すると、後ろを見返って声を掛ける。
 山住が清隆たちのそばへ移ると、廊下から重い衣擦れの音が聞こえてきた。こちらへゆっくり足を進める花嫁の姿に、信と八重崎が感嘆の声を漏らす。シャシャテンの打掛も着物も、白に染まっていた。髪はいつものように伸ばしたままだが、それも艶が出て輝いている。綿帽子に隠れ気味の顔はうっすらと化粧をしており、本当に居候の姿なのかと清隆は目を見張った。
「どうじゃ、似合っておるか? 婚礼の日が楽しみじゃのぅ」
 紅を塗った唇が開かれると、その口調は普段通りのシャシャテンだった。鏡に全身を写して満足げに頷き、清隆たちへ歩み寄ると衣装を自慢するように見せてくる。そこに障子の向こうから、髪と着物の裾を引きずって四辻姫が入ってきた。シャシャテンがそれに気付き、伯母へ見栄えはどうか尋ねる。四辻姫はその姿を褒めながら、口角を高く吊り上げた。
「そなたの父も見ておったら、さぞ喜んだかのぅ。……いや、そもそもあやつは、そなたが娘だと知る筈もないか」
「伯母上、それは如何なる意味でございますか?」
 シャシャテンが怪訝な声を上げると同時に、清隆の体は強張った。思わず後ろの懐刀を掴む。妙音院邸での記憶が、四辻姫の言葉と繋がった。
「六段よ、よく聞いておけ。そなたはな……亡き夫・洞院公経と我が妹・五色との子なのじゃよ。そなたが生まれた後、大友正衡殿から聞かされてのぅ」
 シャシャテンの目が見開かれる。しばし絶句し、倒れんばかりに膝を折る。戸惑いを見せたのは、彼女だけだった。山住も何らかのきっかけで、この事実を聞いていたようだ。あってはならない間柄に生まれた娘を、密かにその出生を知っていた者が取り囲んでいた。
 日記の記述を、清隆は思い返す。洞院公経は、四辻姫と結婚して一年足らずで病死した夫だと聞いていた。実際、洞院は病弱な人で、結婚後は起き上がっている方が珍しかったという。しかし、王配であったその彼を思う人がいた。
 姉と同時期に大友正衡と結婚した五色姫は、何度も洞院のもとへ忍び入った。姉の夫と知りながら関係を持ち、彼が死去した後に懐妊が判明した。その子こそシャシャテン――六段姫だった。
「私を裏切った二人じゃ。恨まぬ訳がなかろう? ――もちろん、裏切り者二人の子であるそなたもなぁ?」
 四辻姫が笑みを深め、姪へ歩いていく。対してシャシャテンは覚束ない動きで、ゆっくりと後ずさっていた。
 女王にあった出来事は本当なのだと、清隆は一瞬だけ震えた身を以て察する。今や四辻姫には、殺気に近いものが漂っている。
「もちろん正衡殿も、五色を憎んでおった。そこで果たさんとしたのが『建国回帰』じゃ。主家の王へと返り咲き、五色の望んでおらぬ世を作ることが、あやつの願いじゃった。……けど私の怒りは、そこで収まるものではない」
 四辻姫は、「建国回帰」を自分なりに変えようと思い付いた。シャシャテンを育て、日本へ送っている間に、彼女は大友にも黙って動きを進めていた。
「……それがあなたの『建国回帰』だったと言うのか。瑞香を――」
 倉橋の話していた思惑を口にする清隆に、四辻姫は向き直った。恐れる声を出しているが、彼女は笑っている。優雅に袖を揺らし、女王は語りだす。
「私に世継ぎを生むようせがみながら、五色に子が出来たと分かれば掌を返しおって……。私が憎いのは、公経や五色、六段だけではない! 民じゃ、数多で一斉に裏切る民も許せぬ!」
 四辻姫が強く足を鳴らす。母である三橋姫の死後に急遽女王となり、結婚もした彼女は、治世や世継ぎに対する国民の期待を一身に受けていた。それだけに妹の方が先に懐妊したことが気に食わなかったという。その時は洞院との子だとも知らず、何度も五色姫の子を流産させようとして失敗した。王女が生まれてから諦め気味だった四辻姫のもとに届いたのが、身内同士が不貞していたとの知らせだった。
 近しい人に裏切られ、民の心にも応えられない。四辻姫は絶望の末、為政者としてあるまじき策を企んだ。まだ瑞香が不死鳥しかいない島だったころ――日本との交流もなく、民が一人もいない時代へ、この国を戻そうと。
「それなら、なんでおれたち――日本にいる瑞香人の子孫も巻きこもうとしたんですか? 昔のことなんだから、関係ないでしょ!」
 信が体を前傾させて問う。一時は瑞香への移住を求められながら、妙音院にその危機を伝えられた彼だ。計画の一端となりそうだった身として、思いがあるのだろう。そんな信に、女王は低い声で言い放つ。
「私はのぅ。瑞香と日本の関わりを根から絶ちたかったのじゃよ。正衡殿とは違う、人が流れ着く前の『建国』と同じようにな」
「……獣以下。何も知らない人まで目的に使おうとするなんて。あんた、それでも女王なの?」
 それまで黙っていた妹が、片膝を立てた。彼女は今にも女王へ食い付かんとしていた。動きだしこそしないものの四辻姫を睨み、拳を握っている。まるで湧き出る感情を封じ込んでいるようだった。かつて「人でなし」と言ってきた少女を、四辻姫は一瞥する。
「なるほど、此度は『獣以下』か。遠い昔に不死鳥から認められた一族が、そう呼ばれるとはのぅ……」
 四辻姫はそう自嘲し、開いていた背後の障子へ手を伸ばした。廊下にいた女官の腕が、女王へ鞘入りの刀を差し出す。それが昨日、四辻姫の部屋にあったものと同じだと気付いて、清隆は息を呑んだ。女官の持っていた鞘からすらりと抜かれた刀は、まず女王の手前にいた山住へ向けられる。得物こそ別室に置いてきているが、それでも彼の武術は優れている。シャシャテンを殺すには邪魔になりかねないと、四辻姫は王配となる者を先に排除しようとした。迫ってくる脅威へ、山住は顔色も変えず言い放つ。
「私を殺すのは構いません。されどその代わりに、どうか姫様はお見逃しください」
「待て、それはならぬ! そなたのいない世で生きろと言うのか? そんなのは御免じゃ!」
 シャシャテンが山住の袖に縋り付いた。伯母の方も見据え、彼女に対して思い改めるよう頼む。衣装も乱れんばかりに必死のシャシャテンを、山住は引き離そうとした。
「姫様、早まってはなりません。あなたが亡くなられてしまえば、私がこれまで守ってきた甲斐がないではありませんか!」
 四辻姫が刀を振り上げる。清隆は背後の懐刀を手にし、鞘のまま四辻姫の手元へ投げ付けた。だがそれは刀の鍔辺りにぶつかっただけで跳ね返される。清隆は落ちた得物を拾い、紙縒りで留められている鞘を引き抜こうとした。その視界に、鋭く伸びる刃先が入り込む。鋒が迫ったと思った瞬間、清隆は後ろに引き寄せられていた。腕を掴んでいるのは、呆然と口を半開きにした八重崎だ。彼女の視線を追った先で、清隆は頭がくらみそうになるのを覚えた。
 畳に倒されている山住の衣装に、血が点々と零れる。彼を庇うように立っていたシャシャテンは、胸を深々と貫かれていた。白い装束はみるみるうちに赤く染まる。
「それは毒を塗ってある故、傷が治ることもあるまい。夫になるはずだった者に看取られて、早う楽になるが良い」
 四辻姫の刀が引き抜かれると、溢れる血はより量を増した。倒れるシャシャテンを山住が抱え上げ、何度も呼び掛ける。尊敬する伯母に刺された姫は、焦点の合わない虚ろな目を天井に向けていた。
 自分が危機感を覚えて刀をすり替えたのは、無駄だったのか。心に暗雲の立ち込めるまま、清隆はシャシャテンを見つめていた。出会ったころの傷付いた姿より、ずっと痛々しい。細く流れ続ける血が、こちらへ届くより前に床板の隙間へ吸い込まれていく。その量こそ少なくなっているものの、助かるかどうか――。
 清隆はふと、シャシャテンの傷辺りに目をやった。毒で傷が治らないなら、出血が収まるはずがない。四辻姫の手にあるのは、もしや。
 廊下から慌ただしい足音が聞こえた。既に開いている鳥居障子に手を掛け、二人の人物が部屋へ飛び込んでくる。四辻姫も想定外といった面持ちを向けた相手は、倉橋と妙音院だった。倉橋が何かを持っていると気付いて、清隆ははっとした。鞘こそ違うが、四辻姫の得物と同じ長さに見える刀を、その人が静かに抜き払った。

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