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六段の調べ 急 六段 五、清くあれ、爽やかなれ

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「残念ながら四辻姫、貴方は六段姫を殺せていませんよ」
 抜いた鞘を妙音院に渡し、倉橋は柄を握り締める。そこにシャシャテンが瞬きをし、ゆっくりと起き上がった。彼女は血に濡れた胸元を不思議そうに見下ろし、新たに訪れた来客に戸惑う。四辻姫が目を見開くと同時に、陶器の割れる音がした。女王が振るっていた刀はどこにもなく、シャシャテンのそばに粉々となった茶色の破片があるだけだ。それが昨日、賀茂が武器に変じさせたものだと清隆は気付く。
 突然の事態に呆然とする四辻姫の後ろで、倉橋が刀を振り上げた。次の瞬間、刃先が女王の肩先から背へと食い込んでいった。悲鳴を上げた伯母に、シャシャテンが傷も気にせず駆け付ける。倉橋から武器を奪い投げ捨て、彼女は部屋へ響かんばかりに叫ぶ。
「うぬ、何をするのじゃ! 何ゆえ……何ゆえ、伯母上を!」
 シャシャテンが責める間に、妙音院が血の付いた刀を拾った。傷を押さえて呻く四辻姫へ、彼は刃を突き出す。しかしその顔には、まだ躊躇いが見え隠れしていた。
「六段姫、貴方は生まれた時から、伯母に恨まれていたのです!」
 倉橋がシャシャテンを振り切り、廊下に置いていた鞄を引っ張り取る。そこから日記を取り出すと、付箋を貼っていたページを開いた。清隆も聞かされた、四辻姫の思いが書かれている部分だろう。
「よく見なさい! 貴方が思うほど、四辻姫は貴方を愛していません!」
「人の日記を盗むとは罪じゃが……そやつの言う通りじゃよ、六段。うぬを育てておる間も、私はうぬを慈しみなどしなかった。憎き五色、そして公経の子よ……その親に生まれたことを呪うが良いぞ」
 四辻姫が倉橋の方へ目だけ動かす。同時に妙音院が女王を凝視し、柄を握る手へ力を込めた。その表情から迷いは消え、覚悟を決めたようであった。
「何と悲しい。公経さまについても、貶められているようで」
 先日、妙音院から直々に聞いた話が清隆に思い出される。洞院公経は、幼い妙音院の遊び相手であり、箏の教師だった。生まれつき視力の悪い左目に落ち込んでいた身を励ました彼を恩人と見做した妙音院は、その人と忘れ形見への態度が悪いことを気に食わなかった。刀が四辻姫の背後に回されたかと思えば、肩からその髪がばっさりと斬られた。重い音を立てて落とされた髪が、床へ広がっていく。
「屋敷に留まるよう言ったのはどうした、妙音院よ……」
 四辻姫は息も絶え絶えに言う。顔色も悪くなっていき、背の出血は止まらない。やはり倉橋が持っていた刀に、毒が塗られていたのだ。
 妙音院は破約を詫びる間も、怒りを顔に滲ませていた。
「実の姪を殺めんとするなど、まさに我が上東門の者と変わりません……。身内に命を狙われたのは、私も同じでございます」
 鋒が四辻姫の胸へ突き付けられる。昔に友人の宮部玄や伊勢千鶴子から、彼女の計画は聞いていたと妙音院は明かす。それが現実になりかねない事態を倉橋に聞き、姫を救うためここへ乗り込んだのだと。
 日記に視線を注いでいたシャシャテンが、伯母の危急に気付いて声を上げた。その袖を倉橋が掴み、動きを封じる。妙音院がきっぱりと告げた。
「わたしも初めは、やりすぎだと言いました。なれどこの先にも命を狙われかねない六段姫さまを思えば、もはやこうするしかありません。――わたしは恩人の忘れ形見、六段姫さまの味方故に!」
 刀が女王の胸へと突き刺され、しばらく時間を置いて引き抜かれた。口から血を吐き、顔を歪めて四辻姫は倒れ込む。シャシャテンが倉橋へ蹴りを入れて離れると、床に伏せる伯母を抱き寄せた。四辻姫は右袖で姪を追い払おうとするも、腕を上げることさえ困難であるようだった。
「私を恨むが良いぞ、六段。死ぬまで私と同じ思いに憑かれてな……。我が業苦を、うぬにも……」
 言葉が途切れ、四辻姫は目と口を開けたまま動かなくなった。シャシャテンが何度揺すぶっても、反応を見せない。その死を理解し、シャシャテンは狂気に陥ったかのような叫びを上げた。まとまった語にもなっていない声を発して伯母だけを見る。激しい出血の続いていた体を、シャシャテンは両腕で優しく抱えていた。
「倉橋さん、あの日記を」
 清隆が頼むと、倉橋は王女に突き付けた冊子を渡してくれた。それをシャシャテンに読ませようとするも、彼女は紙面を見下ろすだけで黙っている。その目も体も、小刻みに揺れていた。読むどころではなさそうな王女を置いて倉橋は姿を消し、何冊か同じ体裁の本を手に戻ってきた。四辻姫の部屋で持ち出したという日記を受け取り、清隆は最初からめくっていく。周りの面々が覗き込む中、やがて先日の写しと同じページに行き当たる。内容も筆跡もほとんど同じであると、倉橋に告げられた。
「……何を楽しそうにしておるのじゃ。清隆、そなたが声に出して読め」
 憮然としたシャシャテンの命令に、清隆は応える。彼女に関係ありそうな箇所として一冊目の日記を取り出し、読むというよりは前に聞いた記憶を辿っていた。一度耳にしただけで覚えてしまったのか、言葉はすらすらと出てくる。
「『五色が懐妊す。公経の死はあれど、口惜しきことなり』――」
 自らの薄雪系を主家と偽った親や一族、ころころと態度を変える民に憤慨を覚え、自分を裏切った洞院や五色姫、そして六段姫を彼女は恨んでいた。字によって墨の濃淡が変わり、書きなぐったような筆跡からも、その気持ちが伝わってくる。
 数冊目の日記には、妙音院邸で見なかった日付の記述も現れた。読めないそこは、倉橋に頼む。四辻姫は「建国回帰」を掲げる王へ不安を覚えるだろう民の側に立ち、大友へ反対するふりをしていた。一方で彼と話し合った末、王位を譲ることで合意した。五色姫たちが神器を日本へ移す前に継承の儀式を行い、大友が正統な王になるのを認める。そして拷問吏の千鶴――後の伊勢千鶴子に五色姫を殺すよう命じ、六段姫は自分の思うままに育てて手駒にしようとした。
 薄雪山に幽閉――実質的には自ら身を引いて以降も、四辻姫は独自の動きを進めている。日本から瑞香の痕跡をなくす一環として菅家の襲撃を部下に命じ、倉橋の母が殺害された。山住が屋敷を訪ねた時も、快く思わなかったらしい。主家の血が入るとして、薄雪系が乗っ取られないか危惧していた。かつて清隆が対峙した折に大友が語った、彼の被災地訪問妨害についても荒々しく記されていた。
「これは三年前の四月ですか。『我が都よりの使、六段に己が心を読まれたと思ひ紛ふ』。そこから数日後ですが……『手傷は大友の使によるものとす』と」
 倉橋の語りを聞いて、清隆は気付く。今の記述は、自分たちがシャシャテンと出会った日のことではないか。居候は伯母を抱いたまま、反応を示さない。大友の部下だと聞いていた者に追われていた際、何があったのかも話さなかった。
 日記はその年の夏に、清隆が四辻姫と出会ったころへと続く。あの時、四辻姫はその真偽を知っていた上で、本物と見ていた『芽生書』を燃やしてシャシャテンを失望させようとした。自分や信に対してどう思っていたのかは分からない。それでも妹を救いに内裏へ行った際の様子から、やはり同じく追い込もうとしていたのではと清隆は考える。その自分が大友のもとへ上がり込んだと知った四辻姫の恐れも、覗いた日記には歪み気味の字で書かれていた。
 シャシャテンが大友を挫こうと日本で奔走する裏で、四辻姫は彼と手を組んでいた。その大友が倒れたと聞き、使い物にならないと判断した彼女はその殺害を計画した。彼を殺した後、六段姫も毒殺させる。自分もそれについて行くように見せかけて、仮死するつもりだったのだ。もし実際に行われていたらと考え、清隆は目を閉じた。
「……長い。全て読み上げるつもりか? もう終わりの方を聞かせてくれ」
 感情の籠もっていない声で、シャシャテンは促す。清隆は最後の冊子を探し、昨日書かれたと思われる部分を広げた。読み上げようとする倉橋を止め、清隆ははっきりとした字で記されたそれを眺める。そして何枚にも渡って書かれた文の冒頭を口にした。
「『いよいよ明日、悲願を果たさん。晴れの場において、六段を殺すべし。裏切りし者の子よ、憎し、憎し、憎し』……」
 そこから先の続きを、清隆は黙ってシャシャテンに見せるだけにした。字の大きさや墨の濃さが不揃いな、しかし同じ文句が紙面を埋め尽くしている。もう清隆も、記録の主がどこかで姪を大事にしていたのではという可能性を捨てた。一つ一つの字からも迫ってくる強い思いは、冷静に考えようとするのも打ち消す。
 シャシャテンが食い付くように日記を覗き、数枚ほど紙をめくって清隆へ返してきた。よく見ると、「憎し」と並んだ文の最後に言葉がある。「この心や、如何に抑うる」――この気持ちをどう抑えようか、いや、抑えられない。
「確かに、伯母上の字じゃのぅ。忘れもせぬよ。それが斯様な……」
 ようやく四辻姫を床に寝かせ、シャシャテンは彼女から離れる。清隆のそばに重なっている冊子を眺めるシャシャテンに、倉橋が言い聞かせた。
「もうお分かりでしょう。四辻姫は思惑のために人を巻き添えにするような、自分勝手な人だったのです。貴方も危なかったのですよ」
 シャシャテンの手が、倉橋の襟を掴んだ。そのまま相手を罵倒するように清隆は思えたが、彼女はすぐ突き放した。四辻姫の隣に座り込み、目を潤ませて呟く。
「伯母上、貴方様は……本当に私を、恨んでおったのじゃな……。私のことなど、初めから裏切っておったのじゃな……!」
 シャシャテンが袖で強く顔を押さえる。そこから吠えるような慟哭が漏れ聞こえた。深く信頼していた人は、彼女と真逆の思いを持っていた。人を喜ばせておきながら、心では違う考えを隠している。それは昔に清隆のソロを褒めた、もう顔も忘れた同級生に似ていた。シャシャテンはひどく憤っているだろう。何か言おうとする周りを止め、清隆は彼女が泣きやむのを静かに待った。
 どれくらい経っただろうか。嗚咽は小さくなり、シャシャテンは化粧の崩れた顔をさらしつつ裾を引きずった。横たわる伯母に近寄り、開いたままだった口と瞼を閉じてやる。
「……伯母上、貴方様には感謝してもし切れませぬ。ここまで育ててくれなければ、今の私はおりません」
 思わぬ言葉に、清隆は息が詰まった。生まれた時から自分へ否定的だった相手に、シャシャテンは微笑み掛けている。
「貴方様を恨めと言われても、私には出来ますまい……。伯母上が本当に私を嫌っていたとしても……私は、生涯伯母上を恨みませんとも」
 瞳から零れ落ちた涙を、シャシャテンは笑いながら拭った。そんな彼女を、妹と倉橋が呆気に取られたように見ていた。四辻姫に批判的だった二人にとって、姫の言葉は予想外だったのだろう。そして清隆も、心は同じだった。
 シャシャテンは本気で、伯母を嫌わないつもりだ。彼女が何を思っていたところで、全て受け入れようとしている。それほどシャシャテンにとって、四辻姫は愛しい存在だったのだ。そしてその人の殺害へ結果的に大きく加担したのは、紛れもなく自分だ――。
 毒の塗られた刀は、障子の前に座り込む妙音院の近くにあった。清隆は足早にそこへ向かうと、刀を拾い上げる。そして妙音院が声を掛けるより前に、刃を首元へとやった。
「何をしておるのじゃ、清隆」
「そうだよ! 清隆は何も悪くないって」
 シャシャテンと信が、続けて自分を止めようとする。だが清隆は聞かずに、周囲の人々を一瞥してからシャシャテンへ昨日の出来事を告げた。刀のすり替えによって、彼女が望んでいない結末を招いてしまったのだと。
「俺のせいで、四辻姫は死んだようなものだ。彼女を恨まないようなら、せめて俺を恨んでくれ」
 清隆はそっと目を閉じ、柄を持つ右手を動かそうとする。その時、手から急に得物をもぎ取られたかと思えば、投げ捨てられる音がした。
「馬鹿だなぁ、きみ。あんなにわたしを助けようとしてくれていたのは、どこ行ったの? 清隆くん」
 目を開けた清隆の視界に、八重崎が映る。周りに人がいるのも気にせず、二人でいる間しか呼ばないと決めたはずの通称で呼んでくる。かつて自分が死の世界から救おうとした人が、今度は自分を死から引き留めようとしていた。清隆が呆然としている間に、八重崎はシャシャテンが見えるよう居場所をずらす。
「シャシャテン、怒ってないみたいだよ」
 八重崎が示した相手は、床に落ちた刀をじっと見つめていた。
「……そうか。そなたたちが動かねば、私は伯母上に殺されておったのじゃな」
 思い詰めた表情のシャシャテンに、清隆は問い掛けようとしてやめた。強く思慕する伯母に殺されたかった方が良かったのか。その疑念は、シャシャテンの礼に途絶える。
「私を助けてくれて、ありがとうな。城秀と添い遂げも出来ずに死ぬのはまっぴらだったぞ。しかしそなたは自責が過ぎる故……こう考えておけ。そなたは伯母上を殺したのではない。私を救ったのじゃと」
「ああ、それなら私からも。姫様をお救いくださり、感謝申し上げます。本当に清隆殿や皆様には、手間を掛けさせてしまいました」
 頭を下げるシャシャテンと山住は、心から感謝しているのか。清隆は胸を騒がせたまま、二人を見るしか出来なかった。
 障子の方で足音がする。床に転がっていた刀を仕舞った倉橋が、今にもこの部屋を立ち去ろうとしていた。こそこそとしたその動きを、北が咎める。
「結婚式の前にこんな惨事を起こしておいて、許されるのは難しいと思うけどね」
「分かっていますよ。ですからここでお暇します。もう瑞香に行くことは――」
「待て、倉橋輪よ」
 身を起こしたシャシャテンが、倉橋を立ち止まらせる。その行き場を塞ぐように王女は倉橋の前へ移った。大事な伯母を殺した者を、厳しく処罰するつもりか。清隆は落ち着かぬ気持ちで、王女の言葉を待った。
「……いきなりで悪いが、頼みがあるのじゃ。何、伯母上のことは――」
 シャシャテンが倉橋の耳に、何かを囁いている。彼女が話し終わった後、相手は良いのか何度も念押ししてから諦めるように言った。
「考えておきます。でも後で何かあっても、知りませんよ」
 倉橋が去った後、シャシャテンは妙音院へ向き直った。正座をして刑の宣告を今か今かと待っているような彼は、固く目を閉じている。やはり伯母を手に掛けた者に対し、シャシャテンは穏やかに話しだす。
「妙音院殿。そなたには清隆や倉橋殿と同じく、私を救った恩がある。それによって伯母上が下した刑も取り下げよう」
 驚いて目を開けた妙音院に、王女は続ける。慶事の前後に、処刑などあってはならない。そもそも箏を盗んでいない妙音院を、罪には問えない。
「私は甘いのやもしれぬ。女王を殺害した者など、厳しく処すのが当然じゃ。けどな……恩人たる者を自ら殺めるなど、私にはどうしても出来ぬのじゃよ……」
 シャシャテンが妙音院と視線を合わせるように、身をかがめる。まっすぐなその眼差しへ、妙音院は礼をするように首をうなだれた。やがて顔を上げた彼が、王女へ口ごもり気味に告げる。
「お生まれのことを、姫さまはさぞ驚かれているでしょう。しかし、その御身を厭わないでください。公経さまは、すばらしき方でございました……」
 人の悪いことを言わず、少なくとも生前は誰も傷付けなかった。かつての王配をそう語り、妙音院は王女を励ます。
「公経さまの血が流れていることを、どうか誇りに思ってくださいませ。そして、若くして亡くなられたあの方の分まで、生きてくださいませ……」
 シャシャテンは何も言わなかった。実の父を知る者へ、ただ深く頷いてみせるだけだった。

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