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六段の調べ 急 六段 六、君と旅立とう

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六段一話へ

序・初段一話へ


 結婚式当日の昼に、シャシャテンはまず瑞香へ赴いた。彼女が向こうで支度をしている間、日本で用意された会場では設営が進んでいた。夕方になって一通りの準備が終わり、大人たちに混じって手伝っていた清隆はホール出入り口のそばで息をついた。そこに同じく用を済ませた八重崎と合流する。普段とは違って髪をかんざしで夜会巻きにした様は華やかだが、それを褒めるより先に悔やみが口を突く。
「結局、俺のしたことは正しかったのか」
 二週間ほど前、伯母の遺体に縋り付いていたシャシャテンの姿が浮かぶ。加えて、彼女が自分を何とか励まそうとしていた言葉も。それでも清隆の心にある不安は拭えなかった。
「シャシャテンはああ言っていたが、俺が四辻姫の殺害に手を貸したのは変わらない。こんな印象のまま、シャシャテンと別れて良いのか」
「清隆くん一人のせいじゃないよ」
 その声に八重崎を見ると、彼女は小さく俯いていた。清隆の案に賛同した時点で、自身も共犯だと。信も似たことを言っていたとも聞き、清隆は首を振る。先に案を出した自分が悪いのだ。元々は四辻姫を殺さず、シャシャテンを助けたかった。それが結果的に、女王の命を奪った。シャシャテンは許してくれたが、本当にそうしたかったかは分からない。慰めておきながら、心では別の考えを持っているともあり得る。
「せめて今日くらいは、辛気臭く考えるのはやめなよ」
 軽く肩を叩かれる。突然の言葉に、清隆は八重崎を見返った。彼女の顔は、一時期ひどく悩んでいたとは思えないほど明るめだ。
「最後だし、シャシャテンとはいい思い出を作りたいでしょ? とりあえずは今日の合奏、頑張ろう? いい演奏聴いたら、怒っていても許してくれるよ」
 去年辺りから死を願うまで思い詰めていたのは、どこへ行ったのか。疑いの意味も込めて八重崎を睨もうかと思ったが、以前の約束がそれを止める。何があっても、彼女は信じると決めたのだ。それが悪い方向へ進んでも受け入れる。
 清隆が頷いた時、会場から出てきた父が声を掛けた。そろそろ式の時刻だ。八重崎と顔を見合わせ、揃って楽器のある楽屋へ向かう。
 しばらくして、入場で演奏する体制が整った。白い壁が眩しい場内には、演奏が行われる場を除いた一面に敷物が広がっている。その上に置かれた座卓には豪勢な日本料理が並び、着物を着た人々が興味深そうに眺めていた。
 位の高い公家から一介の民に至るまで、シャシャテンは瑞香人の多くを招いていた。客人たちは料理だけでなく、会場の奥にいる演奏者たちにも視線を投げ掛けていた。瑞香人にとっては見慣れない洋装や、きらびやかな楽器が珍しいのだろう。そしてこの式は、多くの瑞香人にとって西洋音楽に触れる初めての機会であるはずだった。全く新しい音楽を、彼らはどう受け止めるか。入場の時間となり、指揮棒が振り上げられてからも、清隆は気が気でなかった。
 去年の春、シャシャテンが入退場の音楽に使ってくれと頼んだ楽曲が始まった。トロンボーンやユーフォニウムの旋律から様々な音が重なり、木管楽器が奏でる穏やかな場面へ続く。その音色が盛り上がったかと思えば、また落ち着いていく。曲が進む間に、先日と同じながら汚れ一つない晴れ姿のシャシャテンと山住が、こちらへ歩いてきた。通常ならこれから曲調が変わる所で再び演奏初めの旋律へ戻り、それが繰り返される。やがて指揮が合図をした。奏者たちの横、会場では最前の正面に当たる場所で、新郎新婦が座っている。
 演奏を終え、吹奏楽団の人々はそれぞれの席に着いた。清隆も移動し、三々九度など結婚にまつわる一通りの儀礼をじっと眺める。そして全ての過程が滞りなく終わった後、歓談と食事が始まった。会場は賑やかになり、瑞香の者も空気に馴染んだのか、身分の垣根も超えて会話を楽しんでいた。その中に妙音院一家らしき三人を見つけ、清隆は食事の手を止めた。王女の計らいにより、彼らも参列を許されたようだ。そして清隆たちより離れた座卓で、シャシャテンと山住は何かを話しながら箸を動かしていた。
 予定の時刻になり、余興の演奏へ準備をしなければならなくなった。隣に座っていた信に励まされてから、清隆は楽屋へ楽器を取りに行った。そこから持ち場へ移動し、周囲に人が揃っているか確認する。妹も八重崎も万全の状態だった。
 新郎新婦が期待の目で待ち構える中で最初の余興――吹奏楽の披露が一曲行われた。シャシャテンの選んだ曲が演奏され、会場全体から歓声が湧き上がる。瑞香の人々は笑顔を見せ、いかにも音楽を楽しんでいるようであった。
 楽器から口を離し、清隆は息を漏らす。部活で大勢がいる前では何度も演奏してきた。しかし、ここまで反応が嬉しいものはあっただろうか。瑞香の人は、単に初めて聴く音楽に驚いて騒いでいるだけかもしれない。だがその疑いを上書きせんばかりに、人から喜ばれる感慨が迫ってくる。深い思いに囚われ、清隆は隣の八重崎に声を掛けられるまで箏の準備が始まっているとも気付かなかった。
 箏と吹奏楽による合奏も、一曲用意されていた。今回のため特別に編曲され、清隆と美央が中盤のソロを任された曲だ。初めは快く思わなかった大役も、本番の今となっては誇らしくなる。何せ、一番この演奏を聴かせたい者が、最も上座の席で顔を輝かせていた。
管楽器や打楽器の華やかな音と、繊細な箏の音が互いを殺すことなく美しく響いていく。やがて吹奏楽の静かな伴奏に合わせて、まず妹が一人で箏を奏でる。シャシャテンに教わっていたからか、その指は迷いなくはっきりとした音を立てていく。彼女の顔は、真剣そのものだった。
 そしてあっという間に、清隆がソロを弾く番となる。時間がない中詰めた練習の成果を出そうと、一つ一つ丁寧に糸を爪弾いていく。さすがに妹ほど、手慣れた演奏ではない。それでも中学生時代に学んだ技法は不思議と覚えており、自然に手が動いた。
 シャシャテンはどう思って聴いているだろうか。清隆の心にそう浮かんだ瞬間、音量の増した吹奏楽の響きが耳に飛び込んできた。楽譜には、しばらく弾く部分が書かれていない。慌てて深く頭を下げると、一人が叩いているにしては大きな拍手が聞こえた。座卓の前で信が膝立ちになり、清隆へ指笛を吹く。新婦の席で見ていたシャシャテンも、手を叩いている。それにつられたように、瑞香人が集う辺りからも喜びの声が聞こえてきた。裏で自分を貶しているようには見えない。そうであるはずがないと、清隆は強く思っていた。
 吹奏楽団が退場し、箏教室の生徒たちによる合奏が始まる。その後は北のピアノ演奏も行われ、どちらも好評を博した。そして式が終わり、招待客は満足げな顔で帰っていった。清隆も楽屋に戻ろうとして、先に退場した花嫁を廊下で見掛ける。横を向く彼女に対峙しているのは、呼ばれていたとは夢にも思っていなかった人物だった。
「気にせずとも良かろうに。せっかく晴れの場を見せてやらんと思ったのじゃぞ?」
 顔を伏せている倉橋は、何も言わない。あの人も招待されながら、遠慮して席には着かなかったようだ。伯母の仇とも呼べる人へ、シャシャテンは穏やかに言う。その声色は、今まで相手に告げた言葉の中でも特に優しいものがあった。
「そなたには幾度も、ひどいことを申した。あの時の怒りは確かなものじゃったが……今となっては悪いと思っておる。そして私を救わんとしたこと、菅宗三ともども瑞香を調べてくれたことに深く感謝しよう」
 それでも倉橋が黙っていると、清隆の後ろから足音が聞こえてきた。こちらへ駆けてくる信へ静かにするよう制し、清隆は遠くの倉橋を見る。話を続けるよう合図すると、その人の頬がいくらか緩んだ。そこから真顔になり、瑞香を探り続けた者はぽつぽつと語りだす。
「……私も貴方も、あの者によって母を奪われた同士です。貴方に同情しかけた時もありました。でも家のことを考えると、貴方がたを嫌い抜くしかないと思っていたのです」
 頭を下げる倉橋に、シャシャテンが手を伸ばす。惑いながら倉橋が応じると、王女は大きく頷いた。互いに反発し合っていた二人が、ようやく分かり合えた。シャシャテンたちを遠目に、清隆はそう考えていた。

 日付の変わり際、楽器を仕舞うなり、清隆は会場を飛び出した。もうシャシャテンが、瑞香へ帰ってしまう。朝には即位式を行い、四辻姫の後を継いで女王となるのだ。その前にしっかりと、別れの言葉を伝えたかった。何を言おうかも、まだ決まっていないが。
 建物の入り口ではシャシャテンと山住が隣り合い、その前に美央と信、八重崎がいた。既に両親や北とは会話を済ませたという居候は、先に山住へ言葉を求めた。それを聞き入れ、シャシャテンの夫となった者は礼を言う。
「姫様をこれまで見守ってくださり、ありがとうございました。皆様がいたおかげで、姫様は日本で満ち足りた時を過ごせたのでしょう。……ああ、私は婿入りしましたが、皆様はこれからも変わらず『山住』とお呼びください」
「では城秀、今後は私のことも『むつ』と呼べ。清隆たちは『シャシャテン』で構わぬぞ」
 馴れ馴れしく呼ぶのは恐れ多いとする山住へ笑ってから、シャシャテンはまず八重崎へ話し掛けた。朝重の呪いを受けた後の一件を思わせるようなことを口にする。
「そなたはもう、何も一人で抱え込まずとも良い。心からそなたを守ろうとしておる者がおるじゃろう?」
 八重崎がはにかんで首肯する一方で、訳が分からないと言うように信が口を半開きにした。次はその彼へ、シャシャテンは一言告げる。
「不死鳥の血を継ぎし際目番の末である身、決して恐れるな。そなたにはそなたにしか出来ぬことがあるのじゃ、誇るが良い。……それはそうと、楽器が出来ぬのを嘆くだけで終わって良いのか? たまには慣れぬものに挑むのも楽しいものじゃぞ、信」
「御意のままに。……今、なんて呼んだ?」
 信の問いは無視され、言葉は美央へと移る。
「そなたにはひどく思い悩ませたようじゃのぅ。されどそれも、答えが見つかったようで何よりじゃ。そなたは『人でなし』などではない。もう分かるか?」
「……そんなの、言われなくても」
 美央が小さく俯くと、丁子色の髪が垂れ下がった。
「そうじゃ、忘れる所だったぞ。一度、その麗しき髪に触れてみたいと思っておったのじゃ!」
 美央が拒む暇もなく、シャシャテンは式中にまとめられていたものが解かれた髪に指先を入れた。彼女が手で梳いている間、妹は唇を噛み締めていた。やがてシャシャテンが離れ、清隆に目を向ける。その顔に、四辻姫を殺された恨みは見られなかった。
「そなたの調べ、日本で聴いた中では最も――美央と並んで、優れておったぞ」
 微笑むシャシャテンは、最後に自分へ良い印象を感じただろうか。本番前に八重崎と交わした会話が蘇る。
「そなたには幾度も救われたのぅ。そなたの鋭さ故に明らかになったこともあった。この恩は二度と忘れぬ。――嗚呼、そうじゃ。これを」
 シャシャテンが小さい刀を懐から取り出す。鍔辺りに紙縒りが付いた、清隆が瑞香へ行く際にはいつも貸し出されていた「山下水」だった。今までは抜くなと言われていたその武器から、紙縒りが外される。また瑞香へ行く時に、これを持参してほしい。ただしなるべく抜かないようにとも忠告される。シャシャテンから改めて贈られた得物は、清隆の手に重く載った。
「のぅ、清隆。そなたはまだ知り足りぬことがありそうじゃが……これからも瑞香と関わるつもりか?」
 シャシャテンの目が、寂しげに揺れる。これに答えたら、彼女はもう去っていくのだろう。出来れば返事を考える時間を長く取りたい。しかし更けゆく夜が、それを許しそうになかった。深く息を吸い、清隆は答える。
「嗚呼、もちろんだ。今度は俺が、シャシャテンみたいに瑞香を教えていきたい」
 亡霊と化した朝重へ告げたものと、似たような文句が口を突いた。
「……何とのぅ。そなたがそこまで思うようになったか。よし、任せたぞ。そなたは瑞香やまだ知らぬ世のことを、多くに広めてくれ。そして私は『立派な女王』として、瑞香を誰もが住み良い里としよう――今すぐには難しいとは、承知しておる」
 シャシャテンが裾を翻し、こちらに背を向けた。まっすぐに腕を伸ばし、下へ素早く払う。炎が立ち上がる輪の中へ、まず山住が入り込んだ。御所の門がそびえる景色を前に、彼は振り返る。
「姫様のことは、お任せください。これからも私がお守りいたします」
 そしてシャシャテンも、結界の先へ足を踏み入れていった。地面に付くほどの黒髪も、瑞香の中へ収まる。夫の手を取って門へ進むかに見えたシャシャテンは、輪が狭まりだしたところで足を止めた。目元の潤んだ顔が、清隆たちに向けられる。彼女は何度か口を開いたり閉じたりしてから、一言だけ残した。
「……達者でのぅ」
 物憂げな声は風に消え、結界も静かに閉じていった。シャシャテンたちのいた場所へ信が駆け寄り、手を伸ばそうとする。
「やめておけ、信」
 清隆の声に、信はゆっくりと腕を下ろす。シャシャテンは瑞香の者として生きるべきだ。それをすぐに邪魔してはいけない。そう言い聞かせながら、清隆は居候の去った跡から長く目を離せなかった。

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