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六段の調べ 急 六段 二、四辻姫の思惑

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序・初段一話へ


 シャシャテンには倉橋のことを伏せ、清隆は同行者数人を連れて妙音院邸に行くとだけ告げた。信に伴われ、屋敷の前に下ろされる。軽く戸を叩くと女中が顔を出し、大広間へ案内された。隅に火鉢の置かれた部屋には、妙音院と倉橋、都への入りを許された賀茂がいた。倉橋に呼ばれて正面に座ると、清隆は肩が震えるのを覚えた。微笑んでいる倉橋だが、その裏で何を企んでいるか分からない。自分の過去を知っていたように思えた件もあり、妙に身構えてしまう。
 倉橋はまず、清隆から少し離れて座る妹に声を掛けた。王女を叱責し、女王に歯向かった話は聞いていると。その勇気を、正面の人はひどく褒めたたえていた。
「私にも劣らぬ気概です。さすがと言いますか……ぜひ、手を貸していただきたいものです」
 妹は下唇を噛み、俯いている。押され気味になっている彼女を何とかしようとして、清隆は本題とは別でありそうなことを口にしていた。
「朝重は……」
「嗚呼、れいさんのことならお気遣いなく――」
 初めこそ薄く微笑んでいた倉橋も、言葉の途中で詰まった。表情に影が差し、一瞬だけ歯を食い縛ったように見えた。
「……あんなことになるなんて。私はあの子に、生きる術を教えたかったのに。きっとお母様の言葉を、素直に受け止め過ぎていたのでしょう」
 表情こそ落ち着いているが、声には今にも泣きだしそうな悲壮があった。先ほどから詳しく聞かされていない話を進められている八重崎、そして朝重の件はわずかにしか知らない信と美央が呆然とする。彼らの反応も差し置き、倉橋は視界を閉ざしたまましばらく動かなかった。やがて大きく首を振り、開いた目を素早く賀茂へやる。何事もなかったような、普段通りの毅然とした顔だった。
 最初に四辻姫の動きを察したと話す陰陽師が、説明を始める。内裏へ密かに式神を送り込んだ結果、女王の計画が明らかになった。賀茂は一呼吸置いてから、はっきりとそれを告げる。
「陛下は何らかの術を以て、六段姫様を殺めようとなさっているようで御座います。こちらの見立てでは、衣装合わせの日にかと」
 清隆は一瞬息を呑んだ後、動揺せず話を聞くよう努めた。シャシャテンが最終的に式での衣装や髪形を確認する調整の日は、次の週末だ。そしてその日に四辻姫を止めるため、倉橋は清隆に協力してほしいと頼んでくる。大友のもとに上がり込んだ一件から、四辻姫が恐れている自分が決め手だ。そして彼を支えてきた人々にも、ぜひ力添えをしてほしいと。
 賀茂が手を叩くと、清隆の後ろで襖が開いた。若い青年の姿をしているが、内裏に忍び込んで調べた式神と紹介される。彼は女王が計画を立てている証拠として懐から紙片を取り出し、清隆に渡した。四辻姫の日記を写したというそれを、倉橋が読み上げる。
 紙面には、女王が近日何をしてきたかが記されていた。婚儀の準備だけでなく、刀や毒を用意したなど不穏な言葉もある。加えて、シャシャテンに向けたと思われる否定的な単語も聞こえてきた。
 これらが実際に、シャシャテンの殺害へ繋がるものか分からない。そもそも四辻姫が密かに事を進めようとする動機も、今の話を聞くだけでは不透明だ。
「本当に、四辻姫がシャシャテンを殺そうなんてしているんですか」
「動機なら十分ですよ?」
 倉橋がそばに置いていた鞄から分厚い紙束を取り出し、畳の上に置いた。片側が黄ばんだ糸で閉じられたそれは、一冊の本にも見える。倉橋がページをめくっていくと、所々虫食いのある紙に日付と文が書かれているのが現れた。式神に見せてもらったものと体裁が同じそれは、四辻姫の古い日記らしい。
 再び倉橋が語るページが進むごとに、清隆の背に寒気が襲ってきた。恐らく、この部屋の室温が低めだからだけではない。耳に入る文が、すぐには事実とは受け取れないほど恐ろしかった。想像さえしてこなかったシャシャテンの事実から、姪や妹・五色姫に向ける四辻姫の心がありありと綴られている。それは女王が度々見せてきた態度の理由を納得させるものでありながら、「建国回帰」までに至るにはやり過ぎだと思えるような動機だった。
 この記述が正しいのなら。清隆は一人で悩みを抱えるしかなかった四辻姫に思いを馳せた。裏切られた彼女には、自分と重なる点もある。しかし瑞香を大きく変えようとする態度には同意できなかった。
「……ひどいものでしょう」
 冊子を畳む倉橋へ共感するように、妹が深く頷いた。対して残りの来訪者は、まだ受け止め切れていないのか微動だにしない。
「私も女王の私室からこれを盗んで読んだ時には、驚きましたよ。あの方を止めなければ、六段姫だけでなく瑞香も危険です。どうか、皆さんにもご協力を願いたく」
 倉橋は清隆たちを順番に見、深く頭を下げてきた。それに誰もが答えあぐねていると、妙音院が口を挟む。
「わたしも六段姫さまを痛ましく思っています。今まで迷っていましたが、此度は倉橋さまに手を貸すと決めました。あの方には、公経さまのこともあります故」
「四辻姫の夫と、何かあったんですか」
 清隆の問いに、妙音院は涙ぐみながら思い出話を聞かせた。昔の短い間にあったことを、彼はしっかりと記憶していた。その上で、亡くなった恩人に対する女王の反応がいただけないと声を震わせる。洞院の名誉がこれ以上傷付けられるくらいなら――そんな覚悟も、小さく零した。それから息をつき、髪に隠れていない右目で妙音院は倉橋を見る。
「四辻姫さまを陥れんと鳳凰の箏を盗んだのは、あなたでございますね?」
 既に内裏へ戻った山住の推測だと付け加えて、屋敷の主は問う。倉橋は髪を掻き上げると、首を縦に振った。王家が分かれた歴史を聞いたか確認され、清隆は八重崎を見た。既に事情を教えていた彼女は、小さく首を縦に振る。それを理解の合図として、清隆は話を促した。倉橋は暗い声色で、懺悔のように語り始める。
「どうしても正統な主家の血を引く妙音院さんに、王権が渡ってほしかったのです。箏は四辻姫の部屋にあったものを盗みました。残りの神器は、残念ながら見つからなくて。――しかし、私のせいで処刑の決まった妙音院さんには、いくら謝っても足りません……」
 倉橋の声は、次第に消えつつあった。やがてその人は妙音院へ深く頭を下げた。対する主家の末裔は、倉橋を許すつもりだと言い聞かせる。
「あの箏を見掛けたときから、こうなるとは心を決めていました。ただ倉橋さんには、どうしても聞きたいことがあります」
 身を起こして遠慮なく尋ねるよう促した倉橋に、妙音院は率直に切り込んだ。
「お母上のことは、哀れに思っています。しかし、いくらなんでも四辻姫の王位を奪わんとするのは、いかがなものかと」
 清隆の中で、妙音院の言葉が結び付かなかった。倉橋の母と四辻姫に、どんな関わりがあるのか。疑いを持っているのが伝わったのか、問われた者が恥ずかしそうに笑う。
「お答えする前に、清隆さんたちに話をしなければいけませんね。……私は、四辻姫の部下に母を殺されました」
 倉橋の告白に、清隆の耳は引き付けられる。四辻姫は日本から瑞香の痕跡をなくそうと、国に縁のある者を調べていた。その過程で目を付けられたのが、独自に瑞香を探っていた菅宗三だった。今より十二年前、四辻姫は部下を送り込んで倉橋の家を襲撃した。そこで菅と倉橋は難を逃れたものの、菅の妻――倉橋の母は負傷し、数日後に亡くなったという。
「父から瑞香について聞いたのは、葬儀の後でした。そこで四辻姫が関わっているかもしれないと少し知って、もっと調べたいと思ったのです。父には黙って、朝重の家を頼って瑞香に、さらに当時四辻姫のいた屋敷に行きました」
 倉橋は四辻姫の日記を盗み見した。そこで初めて彼女の思惑に気付いて脅威を覚え、以後幾度となく瑞香を訪れるようになった。次第に一生姫が大友家との約束を破って薄雪家の王位を続けたこと、昔は割と親しかった二つの家系に隔たりが生まれ、互いを敵視するようになった風潮に怒りを覚えた。そして倉橋は、一生姫から始まる薄雪系の治世や、それにまつわる人々を一つの言葉で決め付けた。
「薄雪系など、ろくでもない。一生姫のころと何も変わっていません。四辻姫も、五色姫も。だから落ちぶれて、目にもの見せてやりたかったのです」
 倉橋の顔には一転して、怒りが浮かんでいた。親を殺された憤りもあるだろう。だがそれに留まらず、薄雪系という一族全体に向けられた強い情念が伝わってきた。それを肌でひしひしと感じながら、清隆は結婚に胸を躍らせている姫を思う。
「倉橋さんは、シャシャテン――六段姫のことも、嫌っていますか」
 四辻姫の姪は、倉橋が警戒するような者には見えない。祭りでは国民の前で、自らが平らかな世にすると宣言していた。朝重れいの呪いには倉橋自身も掛かったが、シャシャテンはいつも辛辣な物言いをしていたにもかかわらず、その人を含む面々を助けようとした。それでも倉橋は、シャシャテンを一族の身内と同様に「ろくでもない」と言うのか。
「あの人が言うことなど、綺麗事に過ぎません」
 顔を背ける倉橋を、賀茂がじっと見つめていた。その心に隠しているものを暴くような視線が、痛く突き刺さっている。陰陽師が何を言い出すのか、清隆はじっと待った。
「倉橋様。恐らく貴方は、六段姫様に思う所が有るので御座いませんか?」
 沈黙の後、長い溜息が部屋に響いた。この場にいる全員から目を逸らし、倉橋は低い声を出す。
「……いえ、そんなものはありません。誰であれ、薄雪系は私の敵です」
 倉橋は一向に、こちらへ目を合わせようとしない。それが心を固く表さないためのふりにも清隆は見えた。薄雪系を嫌っていると言う人は、シャシャテンを救うためにわざわざ清隆たちを呼び出した。敵と見做している者なら、殺されるのを止めなければ良いものを。
「倉橋さん、怒らせちゃったら申し訳ないんですけど……本当はシャシャテンを助けたいんじゃないですか?」
 こわごわと信が問い掛ける。倉橋は質問者を見ず、きっぱりと言い切った。
「四辻姫の思うままにさせたくないだけです。でも清隆さんたちは、あの人を救いたいでしょう?」
 すかさず全員が、肯定していた。シャシャテンと出会った時、彼女を傷付けたくないと思った気持ちは変わっていない。清隆だけでなく他の者も、いよいよ自分たちのもとを離れる彼女を無事に見送ってやりたいようだった。
 しかし四辻姫の計画を止めるにしても、どのようにするのか。肝心の手段を、清隆はまだ聞いていなかった。それを尋ねると、倉橋とようやく視線が合った。
「決まっています。四辻姫を殺すのです」
 信が大声を出すだけで、周りは黙っていた。倉橋の口元が、わずかに緩んでいる。その心を図り切れず、清隆はしばらく何も言えなかった。

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